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第二百八十四話 死神部隊

 夜明け前、黎明の空を灼く炎の塔は、スマアダの落日を宣言するかのようだった。

 スマアダ。ザルワーン南東の都市だ。ジベルの国境に程近いこともあり、アルジュ王やハーマイン将軍が喉から手が出るほどに欲しがっていた都市であり、なかなか手を出すことができなかった街でもある。ザルワーンとの戦力差を考えれば、手を出せないというのは当然の話だ。国土は三倍に近く、兵力差も倍以上はあるのではないか。そんな国と正面からぶつかり合おうなどというのは、愚かな考えというほかない。

 しかし、ただ機会を窺っていても芸がないと考えたのが、ハーマイン将軍である。彼は、スマアダを切り取る好機をみずから作り出そうとしたらしい。そのために、スマアダに駐屯するザルワーン第四龍鱗軍翼将ザイ=キッシャーを籠絡し、彼の思考を支配することにより、どのような事態になっても、ジベルにとって有利に働くように仕向けたのだ。

 そして、ガンディアのザルワーン侵攻という予期せぬ事態をも利用することができた。ガンディア軍がナグラシアを制圧している事実を大いに利用したのだ。

 ハーマインの得意顔が思い浮かぶが、彼がそのような表情を見せるような人物ではないことくらい、彼女にもわかっていた。

 宣戦布告の炎を見上げながら、彼女はスマアダの住民たちが騒ぎ出す音を聞いている。火を放ったのは一箇所だけだ。スマアダの行政の中心である庁舎であり、事前の準備もあり、高層の建築物は彼女の想像以上によく燃えていた。紅蓮の炎が渦を巻き、夜明け前の空を衝く。夜明け前の庁舎は無人だったようで、焼け出されるものも、炎に巻かれて死ぬものもいかなかったようだ。無論、無人という前提があったからこそ、彼女たちは庁舎に火を放ったのだが。

 最初から民間人を巻き込もうとするほど、ジベルも外道ではない。しかし、任務の遂行を邪魔をするのなら民間人であっても容赦をしないのが彼女たちだ。

 突然の炎上騒ぎに、庁舎の周辺は騒がしくなっている。いくら無人の庁舎だけを炎上させたとはいっても、燃え移らないという保証はなかったし、彼女たちもそこまで保証するつもりもない。スマアダが一面炎の海になったところで、構いはしないのだ。大事なのは、この地を手に入れることだ。ザルワーンから切り取り、ジベルの国土にすること。そのためなら、スマアダの市街地がどうなろうと知ったことではない。あらゆる手段が正当化される。特に、彼女らにはそれが許される。

「火事場ってどうして人が集まるのかしらね」

 彼女は、物陰に身を潜めたまま、炎上する庁舎に集まる人々を眺めていた。集まっているのは民間人だけではない。龍鱗軍の兵士と思しき連中も動いている。さっそく消火活動が始まったようだが、すぐには消せないだろう。念入りに燃やしたのだ。そのための準備も怠らなかった。

 とはいえ、こんなことになんの意味があるかといえば疑問ではあったが。

(隊長が派手好きだからしかたがないわよね)

 彼女は諦観とともに嘆息した。彼女たちを率いる隊長は、昔から謎の多い人物だったが、派手な作戦が好きなことだけは隊員の誰もが知っていることだ。

「光に集まる羽虫のようなものか」

「そう聞くと叩き潰したくなるんだけど」

「物騒なことをいうものだ」

 隣の男がふっと笑った。闇に溶けるような黒衣を纏い、鬼の仮面を被っている。トーラ・シクセ=ドーラ。通称・死神陸号ろくごう。死神部隊の七人目であり、彼女の相棒のような人物でもある。

 彼女も、彼と同じ漆黒の装束に身を包み、獅子の仮面で顔を隠している。レム・ワウ=マーロウ。死神壱号という通称があるが、そう呼ばれること自体は極めて少ない。

「でもさ、どうせやるんでしょ? あたしたちだけでさ」

「本隊が到着するまでの時間稼ぎだろー?」

 トーラの背後から、小柄な人物が姿を見せる。彼も同じ黒衣であり、蛇の仮面を被っている。華奢とさえいえるような体格は、声を発さない限り性別を隠すことができるかもしれない。もっとも、性別を偽る意味も、隠す必要性に迫られることはないのだが。死神伍号ことリュフ・フィヴス=ヴェント。

「時間稼ぎなんてするまでもないわよ」

「弐号ちゃんのおかげで半数に減らせたとはいえ、さすがに無茶だよー」

 リュフが言及した弐号は、このスマアダにて半年前から暗躍しており、彼女の活躍もあって翼将サイ=キッシャーをジベルの制御下に置くことができたようなものだ。彼女は自分の肉体を使うことも厭わない人物だが、レムが彼女と同じ任務を与えられたら別の方法で籠絡しようとしただろう。そして、失敗したに違いない。そうなる未来が見えたから、隊長はこの任務に弐号を指名したのだ。

「そうかしら」

「そうだな。さすがに四人で五百人はきつい」

「そっか。隊長も兄弟もいないんだった」

 レムは、トーラに諭されて、自分たちの戦力を思い出した。死神部隊が勢揃いならば五百人程度なら対等以上に戦えるはずだが、確かに四人となると話は別かもしれない。リュフがあきれたようにいってくる。

「忘れてたのかよー。しっかりしてくれよなー」

「あんたにいわれたくないわよ」

 レムが憮然としたのは、リュフの腕が頼りにならないからではない。彼の口調や性格といったものがだらしないように思えるからだ。ここは敵地だ。気を抜いていい場所ではない。

 レムは、視線を炎の塔に戻した。彼女たちの居場所からは庁舎の様子がよく見えたが、野次馬の数は増える一方で、減る気配はなかった。庁舎前では戦えないだろう。民間人を無駄に巻き込むことになる。死神部隊にとってはどうでもいいことだが、考慮しておく必要はあるらしい。庁舎の周囲では兵士たちが忙しなく動きまわっており、緊迫した空気が漂っている。犯人探しに躍起になっているようでもあり、野次馬を追い散らすのに必至になっているようでもある。緊迫しているのは、なにも炎上騒ぎのせいだけではない。

 ジベルの軍勢がスマアダに迫っているという情報は、既に第四龍鱗軍に届いているはずだ。レムたちの耳にも届いているようなことを知らないはずもない。市内各所で戦いに備えた動きがあるのも、レムたちは確認している。だが、スマアダの市民には知れ渡っていないらしい。だからこそ、暢気に火事の見学になど出てこられるのだろうが。

「ザルワーン全土が戦場になっているというのに、平和なものだな」

 トーラの感想にレムは苦笑を浮かべた。確かにその通りだ。ガンディアの侵攻経路から外れたとはいえ、この街が戦火に包まれる可能性が皆無ではないことくらい、子供でもわかるはずなのだが。

 と、前方を通り過ぎて行こうとした軍人の一団が、不意にこちらを一瞥した。

「なんだ、貴様ら」

 そういいながら、こちらに進路を向けてくる。鎧甲冑に身を包んだ軍人たちは、おそらく庁舎前を目指していたのだろうが。十人ほど。そのうちふたりが群れを離れた。周囲に援軍を呼びに向かったようだ。

「なんだ、といわれても」

「怪しい奴らめ、貴様らが放火したな?」

「ひとを見た目で判断してはいけませんよー」

「いや、どこをどう見たってあたしたち以外に犯人なんて見当たらないでしょ」

「なんで自分から認めるんだよー」

 リュフは不服そうにいってきたが、レムは取り合わなかった。

「手間が省けるからよ」

 背に帯びた長物を手にしたとき、前方の軍人集団に変化があった。大きな変化だといえる。十人程度から、あっという間に五十人ほどの大所帯に膨れ上がったのだ。どうやら庁舎の炎上がいい目印になってしまったらしい。

「好都合だな」

「そうね」

 レムの思考を完全に読み取ったトーラの一言に、彼女は笑みをこぼした。得物を構える。身の丈を優に超す長柄の先には三日月状の刃が伸びている。死神部隊に相応しい武器だったが、彼女以外のだれも使おうとはしなかった。リュフは短刀だし、トーラに至ってはただの長剣だ。死神らしくないと何度いったところで聞き入れてくれないのが困りものだが、不得手な武器を振り回して失態を犯すよりはましなのだろう。

「その格好、レナの仲間だな……!」

「レナ?」

 軍人のひとりに怒気をぶつけられて、レムは、疑問符を浮かべた。断言してきた男は軍人集団の真ん中にあり、こちらを睨み据えている。甲冑を着込んでいる上、影になっていて顔はよくわからないが、声は若い。だからどうということはないし、興味もないのだが、判断材料にはなるだろう。

「レナ=ベイジー! 知らないわけではないだろう!」

 男は、軍刀を抜いていた。周囲の軍人たちが散開し、陣形を構築する。男が指揮官なのは明白だった。彼の一言によって軍人たちは動き、攻撃してくるに違いない。緊張が走る。が、それは恐怖ではない。戦闘状況に入ったという確認に等しい、反射だった。

「だれよ?」

 レムは、大鎌を大袈裟に構えながら、相手の様子を見ていた。トーラが剣を抜き、リュフがやれやれといった感じで短刀を手にする。

 リュフが、またしてもあきれたようにいってくる。

「弐号ちゃんのことっしょー」

「え?」

「確か、偽名に使ったのがレナ=ベイジーだったはずだ」

「あ、そうなの」

 レムはすっかり失念していたが、死神弐号は潜入工作に当たって、偽名を用いていたのだ。当然の処置ではあるのだが、なにぶん、彼女が潜入工作を開始したのが半年前ということもあり、レムの記憶からはほとんど完全に薄れてしまっていた。

「偽名だと……!」

「……ってことは、あなた、サイ=キッシャーなのね」

 レムが確信を抱いたのは、男が衝撃を受けているからだ。彼が第四龍鱗軍翼将サイ=キッシャーでなければ、レムたちの格好からレナこと死神弐号の仲間だと思うはずがない。無論、それがわかるということは、サイはレナの正体を知ったということだ。しかし、彼女が彼のために正体を明かしたわけではあるまい。ジベルがスマアダへの攻撃部隊を派遣したいま、弐号は、もはや正体を隠す必要はないと判断したのだ。レナ=ベイジーから、死神弐号ことカナギ・トゥーレ=ハランへ。彼女はいまどこでなにをしているのか。

 まさか、目の前の男に殺されたということはありえないが。

「だとしたらどうする!」

 男は怒りのあまり、我を忘れているように見えた。彼の剣幕に、周囲の軍人たちも驚いているように思える。サイ=キッシャーという人物について思い出せる限りでは、温厚で真面目な人格者だという話だったが、いま、レムの目の前で激情を振り撒く男にそういったものは感じられなかった。カナギも彼の相手をするのは苦痛だったのではないか。

「あなたの首を刎ねてあげるわ」

 レムが告げるより早く、サイの前にいた屈強な男が気合とともに突っ込んできた。両手で握った長剣を振りかぶり、勢いそのままに叩きつけてこようとしたのだが、

「壱号の口上くらい聞いてあげて」

 冷風のような声がレムの耳朶に届くとともに、男の腕から先がなくなっていた。なにかが飛来して、見事に両腕を切断したようだ。男が悲鳴を上げながら転倒する。そのまま放置しておいても出血で死ぬだろう。

 冷酷に断定すると、彼女は背後を振り返った。

 レムたちの後方の建物の屋上に人影があった。闇に溶けるような黒衣は、庁舎の炎が発する光を浴びてわずかにきらめいている。虎の仮面。死神弐号。

「弐号ちゃーん、別に壱号の口上なんてどうでもよくなーい?」

「あんたいつか沈めるわよ」

「あーん、壱号ってば怖すぎー」

 リュフがトーラの影に隠れる様は不気味でさえあったが、レムは黙殺することで対処した。そして、視線をサイに戻す。敵に背を向けたまま会話をしている場合ではない。そうしている間にも、敵の数は増大していた。五十人から百人近くにまで膨張しており、おそらく政庁前に集った軍人のほとんどがレムたちの敵になったようだ。

 だが、スマアダの全戦力がここに集うということはあるまい。敵は、レムたちだけではないのだ。東からこのまちに向かって迫り来る軍勢がある。しかも、あと数時間で到着するのだ。

 夜が明ける頃には、スマアダは戦火に包まれるだろう。

「貴様らはいったいなんなんだ……!」

「ジベルの軍が迫っている時に暴れる連中なんて、ひとつしか考えられないでしょ?」

 サイ=キッシャーの悲鳴とも付かない叫び声に、レムは目を細めた。鎌を軽く回転させ、周囲の敵を牽制する。もっともレムが牽制するまでもなく、軍人たちは動けなくなっていたようだが。

 仲間が腕を切り落とされたことが余程衝撃的だったのだろう。

 カナギによる遠距離攻撃は、敵を警戒させるには十分すぎた。

「我は死神。我らは死神部隊」

 レムが告げると、リュフとトーラも武器を構えた。後方のカナギが屋根から飛び降り、レムの目の前に降り立つ。驚異的な跳躍力だが、彼女たちにとっては取り立てて騒ぐようなことでもなかった。しかし、目の前の軍人たちには驚愕に値することだったに違いなく、動揺を隠せない様子だった。

 レムは、カナギが視界から外れるのを見届けると、サイ=キッシャーに向かっていった。

「ジベルに仇なすものどもに、幸いなる死を」

 

 九月二十一日明朝、サイ=キッシャーは死亡した。死神部隊を相手に奮戦したものの、力が及ぶようなことはなかった。

 その直後、スマアダに来襲したジベルの攻撃部隊は、翼将を失い、統率の取れなくなった第四龍鱗軍を難なく撃破した。

 スマアダは、瞬く間にジベルの支配下となったのだ。

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