第二千八百四十四話 大いなる烙印(八)
それは、水平線の遙か彼方にあった。
天を貫き、宇宙にさえ到達しそうなほどに長大な光の柱。その光量の凄まじさたるや、セツナたちが召喚武装の補助もなく目視できることからもわかるだろう。光の量が膨大なだけでなく、その輝きも強烈極まりないのだ。苛烈なまでに眩しく、鮮烈に燃えている。空を灼き、大地を焦がすような光。それがなんであるかなど、セツナにわかるはずもない。ただわかるのは、遙か彼方にいるはずなのに、恐れを感じているということだ。
「なんなんだ……あれは……」
セツナは、茫然とつぶやいた。魅入られたように光を見つめながら、全身の震えを止められない。本能的な恐怖を振り切ることはできないのだ。
「わからない。わからないけど……」
「なんなのよ……いったい」
「どうなって……」
だれもが疑問を抱き、だれもが恐怖し、だれもが戦慄する中で、光の柱はさらにその輝きを増していく。膨れ上がり、一回り大きくなった。それがもし、なんらかの力ならば、その根元はどうなっているのか。光に飲まれ、破壊されているのではないか。
「あれは聖皇の力に似ているな」
「うむ。似ておる。というより、そのもののようじゃが」
「聖皇?」
ラムレシアの発言をラグナが肯定したことで、光の柱が聖皇の力の発現であることが確定的なものとなる。封印された記憶を取り戻し、聖皇のことも思い出した竜王たちが間違えるはずもない。聖皇の力。セツナは、それと直面したことがあるものの、遙か彼方で起きている現象ということもあり、確信に至るほど感じ取れなかった。感じている恐怖も本能的なものであり、それが聖皇の力を由来としているものかどうかは不明なのだ。
「つまり、獅子神皇がなにかをしている最中ってことか」
セツナは、竜王たちの話から、そう結論づけた。つまり、光の柱の根元には、獅子神皇がいるということだ。獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディア。彼がなにを為そうとし、光の柱を発現させたのかはわからない。ただひとつわかることは、なにかとんでもないことをしでかそうとしているらしいということくらいだ。そしてそれは決して、喜ばしいものではないだろう。
「獅子神皇が聖皇の力の器だということが真実ならば、そうなる」
「なんじゃなんじゃ、わしにもわかるように説明せよ」
「後でな」
「後回しは嫌じゃ」
「いまはそれどころじゃないだろ!」
「それはそうじゃが!」
ラグナが叫び、食い下がってきたとき、間に割り込んできたのはファリアだった。
「こんなときに喧嘩しない。いまは、あれをどう……しようもないわよね」
「あれが聖皇の……獅子神皇の力だってんなら、いまこの場にいるあたしたちにどうこうできるとは想えないわ」
「そもそも、なにをしようとしているのかすら、わかりませんしね」
ミリュウもルウファもお手上げといった様子で、光の柱を見ていた。
光の柱は、さらに一回り大きくなったように見えた。成層圏すら貫き、宇宙にさえ届いているのではないかと想えるほどに長大な光の柱。遙か彼方からもはっきりと目視できるのだ。光の柱が聳えている近辺は、大変なことになっているのではないか。ただの光ならば、眩しいだけで済むだろう。だが、光の柱からは、力を感じ取れた。セツナたちが本能的に恐怖を覚え、体を震わせるほどに。竜王たちが記憶の中の聖皇と照合できるくらいにだ。
力の奔流。
それも極めて莫大で、圧倒的としかいいようのないものだ。
それがなんのためのものなのか、想像もつかない。
そう想ったつぎの瞬間だった。
「あ……」
だれかが声を上げた。
光の柱が上方から裂け、折れて、倒れていくようにして光が落ちていく。見る限りは綺麗な光景だった。ゆっくりと、四つの光の柱が音もなく倒れ行く様は、幻想的とさえいえる。だが、それがなにを意味しているのか、わからないセツナではなかった。光の柱は、力だ。聖皇の、獅子神皇の力の発露。それも極めて莫大で、凄まじい熱量があった。そんなものが地上に落ちれば、どうなるか。
「ああっ」
「いかん!」
「だが」
どうしようもない、とでも、ラムレシアはいおうとしたのかもしれない。
実際、セツナたちにはどうすることもできなかった。ラグナの頭の上で、四つに裂けた光の柱が倒れていくのを見守るしかなかったのだ。
宇宙に届くほどに長大な光の柱は、やがて空を切り裂くようにして降り注ぎ、大地に海に落下し、直撃する。海面からは物凄まじい量の水飛沫が上がり、一瞬、海が割れたようだった。いや、割れたのは海だけではない。光の柱の落下地点にある大地もまた、同じように割れ。爆発的な光が生じていた。光の柱の根元から四方へ、爆発光が走り抜け、セツナたちの進路上、遙か前方にも同様の現象が起きている。
やがて爆発は収まり、割れていた海面も元通りに戻っていく。
ただし、引き裂かれた大地はそのままだ。
いくつもの島や大陸が、光の柱によって蹂躙されたのだ。落下地点周辺は無事ではないだろう。多くの命が奪われたのは間違いない。
獅子神皇が生み出したのだろう光の柱は、世界を破壊したのだ。
ただでさえでたらめに破壊されていた世界に、さらなる致命傷を加えた、というべきか。
獅子神皇がなぜそのようなことをしたのか、まったく想像がつかないし、理解できなかった。
「“竜の庭”は!?」
ファリアの声にはっとする。
四つに裂けた光の柱の内のひとつが、セツナたちの進路上に落下している。そして、東ヴァシュタリア大陸の大地に直撃し、氷雪の大地に強烈な爪痕を残していた。凍てついた大地とはいえ、そこには多くの生命が済んでいた。その多くの命が奪われただろうことは、想像に難くない。そして、“竜の庭”に住むものたちにも影響が出た可能性に思い至る。
「まさか、巻き込まれたんじゃねえだろうな!?」
「そんな!?」
「“竜の庭”が巻き込まれたのは間違いない。問題は、ラングウィンが無事かどうかだが」
「ラングウィンのことが心配か?」
渋い顔のラムレシアに対し、ラグナの反応はどこか冷ややかだ。
「ああ。とにかく急いでくれると助かる」
「わしのことよりもか?」
「ラグナ……おまえなあ」
「聞かせよ、セツナ。おぬしの本心を」
セツナは、ファリアやミリュウたちが呆れてものもいえないといった表情や態度を取っていることを肌で感じながら、頭を振った。ラグナは、ラングウィンに嫉妬しているのかもしれない。嫉妬するようなことがあるとは想えないが、ラグナのことだ。なにを考えているのかさえわからないのだから、深く考えるだけ無駄だろう。彼女は竜なのだ。人間の基準に当てはめてはいけない。
セツナはラグナの頭を撫でながら、彼女に本心を伝えた。
「何度もいっただろう。おまえのこと、どれだけ心配したと想ってんだ」
「それは聞いたぞ。わしがいま聞いておるのは、わしとラングウィン、どちらが大切かということじゃ」
「……そんなこと、聞くまでもないことだろ」
が、いわなければならないということは、わかっている。
心に想っているだけでは、想いは伝わらないものだ。声に出し、言葉にしなければならない。言葉にせずとも伝わるというのは、幻想であり、夢想だ。だからこそ、セツナは言葉を大切にしたかった。言葉に出した約束を護りたいと想うのも、そのためだ。約束を破れば、言葉の信用も失われる。想いも、伝わらなくなる。そんな気がしてならない。
「おまえのほうだよ、ラグナ」
「やはりな!」
ラグナは、上機嫌に吼えると、巨大な翼で空を叩いた。一気に加速し、空を翔ける。
「まったく、現金なの」
「ラグナらしいといえば、ラグナらしいけど」
「昔からなにも変わっていませんね」
「そう簡単に変わるものじゃないってことだろ、人間も、竜も」
セツナは、ファリアたちの感想に微苦笑を漏らしながら、ラグナの頭を撫で続けた。そして。
世界に刻まれた破壊跡は、烙印なのかもしれない。
聖皇に呪われた世界に刻まれた烙印。
そして、その発現こそが、獅子神皇の暴走の如き蹂躙であり、先程の破滅的な光なのではないか。
歯噛みして、彼方を睨む。
もはや光の柱は消え去り、余韻も残っていない。
あるのは、世界に刻まれた破壊の痕跡だけだ。




