第二千八百二十九話 眠れる竜は夢を見る(九)
「だから、迎えに来たんだろ!」
セツナは叫びながら、ラグナの魔法をかいくぐり、頭部への接近を試みた。しかし、咆哮とともに横殴りの突風が殺到し、弾き飛ばされてしまう。防御障壁のおかげで痛みこそないものの、大きく吹き飛ばされ、ラグナに近寄るどころか遠ざかってしまった。
《まだいうか、偽者め!》
「俺は、本物だ!」
《偽物は皆そういうのじゃ!》
それはその通りなのだろうし、そうやって偽物たちがラグナを騙そうとした事実もあるに違いない。だが、それでも、セツナにはそういう以外にはないのだ。
《そういってわしが気を抜いた瞬間、殺しにかかってくるのじゃろう!》
「違う! 信じてくれ!」
セツナは必死になって叫び、ラグナに向かって飛ぶ。ラグナの翼が大気を叩き、強烈な衝撃波がセツナをまたしても吹き飛ばした。エッジオブサーストをメイルオブドーターに同化させ、飛行能力を強化していることでなんとか食い下がるが、それでもラグナの圧倒的な力には、翻弄されざるを得ない。
「俺は、おまえを迎えに来たんだ!」
《地獄にじゃろ!》
ラグナが吼え、竜王の魔力が翡翠色の稲光となって天地を駆け巡る。その雷光の乱舞がセツナ目がけての攻撃となるのも時間の問題だ。雷の嵐が一点に収束し、極大の矢となった。それはさながらオーロラストームによる攻撃のようだった。ラグナが、無意識に記憶の中のファリアの戦い方を再現しているのだとしても、なんら不思議ではない。雷光の矢が解き放たれる。
轟音とともに飛来した翡翠の雷光に対し、セツナは、籠手と化したロッドオブエンヴィーの能力“闇撫”でもって受け止め、さらに闇の掌を巨大化させることで雷光を上回り、包み込み、握り潰す。闇の指の間から雷光が飛散する。
「……否定はしないさ」
《やはりそうではないか! この偽物めが!》
「そうだ、その通りかもしれない。俺の行く道は、地獄そのものだ」
ネア・ガンディアとの戦いは、熾烈を極めるものになるのは間違いない。まさに地獄のような闘争になるだろう。そのために膨大な量の血が流れ、数多の死が溢れるかもしれない。敵は神々であり、神々の王なのだ。生半可な覚悟で戦える相手ではないし、勝利のために犠牲を払うことを念頭に入れた上で挑まなければならないだろう。だれひとり失わずに済むと想っているのなら、大間違いだ。
もっとも、セツナは、だからこそ、だれひとり失わずに勝ってみせると心に決めている。
勝利には犠牲がつきものだ。それがこの世の道理であり、戦国乱世の掟といってもよかった。いや、戦国乱世関係なく、時代とは無縁の条理といってもいいのかもしれない。しかし、いや、故にこそ、セツナはその道理や条理に反発するのだ。
なにかを失わなければ前に進めないと、だれが決めた。
そんなことを強いられるいわれなど、ない。
世界は既に失い続けている。
最終戦争が大量の命を奪い、“大破壊”によってもまた、膨大な数の命が失われた。
世界の未来のためならば、これ以上の犠牲は必要ないはずだ。
ただそれでも、これから先、セツナたちに待ち受けるのは地獄のような道であることに違いはない。
「でも、その地獄も、ラグナが一緒にいてくれるなら、乗り越えられる」
《なにをいうか!》
ラグナの咆哮がまたしても天地を攪拌するかの如く吹き荒れ、翡翠の光が渦を巻く。そうして生み出された九つの光の帯は、さながら獣の尾のようであり、それは白毛九尾の記憶を元にした魔法なのではないかと推測する。そして、九つの光の帯による連続攻撃は、苛烈にして猛烈であり、セツナは、間断なく叩きつけられるそれらを休むことなく捌き続けなければならなかった。多少移動したところで、光の帯もまた軌道を変えられるのだから、意味がない。
《本物のセツナならば、そんなことは――》
「どんな夢見てんだよ」
セツナは、光の帯のひとつを切り裂き、告げた。その瞬間、光の粒子となって散った光の帯だったが、残る八本による連続攻撃の速度が増したため、一本のみを切り裂いたところで大きな意味はなかった。黒き矛と、アックスオブアンビション、そして黒き尾を振り回すことで凄まじいばかりの連撃に対抗し続けるしかない。
《なんじゃと!?》
「俺なら、もっと甘い言葉を囁いてくれるってのか?」
《おぬしはセツナではあるまい!》
「おまえの中で、本物のセツナってのは、どんだけ美化してんだよ」
《美化じゃと!? セツナを貶めるなど、わしが許さぬ!》
「そういうのは嬉しいけどさ」
セツナは、包み隠さず本音を告げた。美化されるくらい、愛され、想われているということだ。それは素直に嬉しいことだ。ラグナのセツナへの想いの熱量は、彼の想像を遙かに上回っている。故に彼女が怒り狂うのもわかってくる。
「俺は、ここにいるんだよ」
《まだ諦めぬのか!?》
ラグナが憤怒に満ちた聲を発する。そして咆哮。竜語魔法の発動によって翡翠色の光が周囲に拡散し、光が無数の羽となる。竜の翼ではない。鳥の羽だ。その羽が弾丸のように飛来し、殺到してくる。ルウファのシルフィードフェザー、その羽弾による攻撃を想起させるものだった。
メイルオブドーターとの同化を解いたエッジオブサーストを闇の手で握り、一対の短刀、その刃を重ね合わせる。時間静止能力の発動。それによって全周囲から殺到する攻撃を止め、自身は前方へ飛んだ。時間静止能力は、言葉通り周囲の時間を止めるものだが、止めている間にできることといえば、自身の移動くらいのものだ。消耗が激しく、使いどころは難しい。しかし、敵の猛攻をかいくぐり、懐に潜り込むという使い方ならば、むしろ正しい。
セツナは、七つになった光の帯と、無数の光の羽弾をかいくぐるようにして、ラグナの眼前まで移動し、時間静止を解除した。体感にしてたった数秒の出来事だが、それだけでも全身から汗が噴き出すほどに消耗している。時間静止は多用できるものではないし、頼れるものでもない。極めて使い道を選ぶ能力だった。
ようやくラグナの眼前へと移動できたセツナは、彼女の苛烈なまでの魔法攻撃が空を切るのを背後に認識しながら、翡翠のような目を見つめた。その怒気に満ちたまなざしには、小飛竜の片鱗がある。
「諦めるもなにも、俺がセツナなんだ。セツナ=カミヤ。神矢刹那。おまえを迎えに来ると約束した男だよ」
《おぬしのどこがセツナなのじゃ!》
ラグナがこちらを睨み、吼えた。光の尾も羽弾も消えて失せる。セツナの居場所は、ラグナの鼻先だ。そこに魔法攻撃を集中させれば、避けられたとき、自分に当たる可能性がある。故に彼女は魔法攻撃を解除し、別の方法を選んだのだろう。
つまり、体当たりだ。
ラグナが、咆哮とともに羽撃き、鼻先からセツナに向かって突っ込んできたのだ。セツナは、矛で受け止めるなどという真似はせず、矛を闇の手に預けると、両手でラグナの顔面を受け止めた。凄まじい質量に圧力と速度が加わっているのだ。その勢いを殺すことなど不可能であり、押し負けるのも当然だった。すぐさまエッジオブサーストを再度メイルオブドーターに同化させ、飛行能力を高め、翼を広げる。だが、それでもラグナの体当たりのほうが遙かに強烈だ。
押し負け、空中を後退していく。
《セツナはもっと若かったぞ!》
ラグナが叫び、全身が翡翠の光に包まれた。セツナを攻撃するための魔法ではなく、自身を強化するための魔法を発動させたようだった。
事実、ラグナの速度が増し、その圧力たるや完全武装のセツナをも圧倒するほどだった。




