第二千八百二十五話 眠れる竜は夢を見る(五)
『ついでにいうと、この世界があれ以上破壊されなかったのは、ラグナシアがその大半を引き受けてくれたからだそうだ』
ラムレシアが、不意に付け足してきた一言はセツナたちを驚愕させた。ただただ驚くべき事実だった。ラグナが“大破壊”の力を吸収することによって転生を果たしたこともそうだが、それによって“大破壊”による被害を減らしたというのはとてつもないことだろう。
ラグナがいなければ、世界はもっと悲惨な状態になっていたかもしれないということなのだ。
「え……?」
「本当なの、それ……?」
だれもが驚きのあまり、ラムレシアを見上げた。半透明の天蓋の上に佇む竜王は、ひとり静かにラグナを見下ろしている。
『ラングウィンが嘘を吐くわけがないだろう』
『つまり、ラグナシアのおかげで現状があるということか。ふむ』
マユリ神が感嘆の声を上げるのは、めずらしいことだったが、ラムレシアの話が事実ならば、そうもなろう。ラグナは、ある意味世界を救ったといっていいのではないか。少なくとも、被害は減らされた。ラグナがいるというただそれだけで、だ。
「そんな……」
「さすがはラグナでございますね……」
「いや、そりゃそうだけど……」
「なんなのよ……いったい」
「ラグナ……おまえは」
セツナたちは、甲板の縁からラグナの巨躯を見下ろしながら、思い思いに言葉を紡いだ。ラグナとの再会は、歓喜に満ちたものになると思いきや、それ以上に驚きの連続だった。
『さて、セツナ。目的を思い出せ』
「わかってる。ラグナを呼び起こせばいいんだろう」
「でも、どうやって?」
「さて……」
「ラングウィン様にも起こせなかったのよね」
「寝坊助のラグナだもの。そう簡単には起きないと想うけど」
「きっと寝坊助っぷりにも磨きがかかってます!」
エリナが力強くいうと、ミリュウが苦笑とともに認めた。
「でしょうね」
ラグナは、セツナたちが想像を絶するほどの巨体を誇る。それはそのまま、彼女の力と考えていい。質量は即ち力だ。ラングウィンがその巨躯によって圧倒的な力を内包していることを見せつけているように、ラグナの、そのラングウィン以上の巨体に秘められた力は絶大無比に違いないのだ。もし、その力が眠ることに集中させているのであれば、ラングウィンですら起こせないというのも納得できる。
そして、セツナにラグナの覚醒を託すのも、無理からぬことだ、と、いまらならば理解できた。
ラグナは、セツナたちの夢を見ている。特にセツナとの夢をだ。その甘美な夢から目を覚まさせるには、現実のセツナの声以外にはないかもしれない。
夢よりも幸福な現実こそ、眠れる竜王を叩き起こす力になるのではないか。
「ここから呼びかけても届かないだろうな」
「でしょうね」
『人間の声ではな』
「じゃあ、降りるしかないか」
セツナは、すぐさま武装召喚術を唱えると、メイルオブドーターを呼び出し、身に纏った。ミリュウが問いかけてくる。
「ひとりで行く気?」
「皆で行っても、仕方がねえだろ」
「そうね。ラグナはセツナに御執心のようだし」
「なーんか、引っかかる言い方だな」
「気のせいよ」
ファリアがにこやかに告げてくるのがむしろ恐怖だったが、深く考えないことにした。甲板を覆う天蓋に触れると、触れた部分から一定の範囲に通り抜けるための穴が開く。半透明の天蓋の形は、マユリ神が自由に操作できるのだというのだが、実際にそれを目の当たりにしたのは、いまが初めてだった。天蓋を自由に開閉できるのは見て知っていたが、ひとがひとり通れるくらいの穴を開けたところを見るのはこれが初であり、多少の驚きを覚えながら、セツナは穴を潜り抜けた。翅を広げ、眼下へ。
「お兄ちゃん、ラグナちゃんをよろしくね!」
「御主人様、ラグナは寝相が悪いことをお忘れなきよう」
「ああ、わかってるよ!」
エリナとレムに返事をしつつ、セツナは、極大飛竜の元へ向かった。姿形からラグナの面影を見出すのも困難なほどに禍々しく、厳つい外見は、竜王にこそ相応しいが、どうにもしっくりこなかった。そして、降下すればするほど、近づけば近づくほど、その巨大さに圧倒されていく。ラングウィンですら巨大すぎてどうしようもなかったというのに、ラグナの巨躯は、それを遙かに上回るものだ。二倍どころの話ではない。
(十倍は……言い過ぎか?)
だとしても、ラングウィンの数倍の大きさなのは間違いない。
とにかく、巨大なのだ。
つまり、リョフ山よりも遙かに大きいということだ。丸まって寝そべっているだけでラングウィンに見た銀の山脈以上の大きさだった。いうなれば翡翠の山脈だが、その標高たるやどれほどのものか。
セツナは、ラグナの寝床に降り立つと、その鼻先の巨大さに言葉を失った。
(でけえ……)
ただただ巨大だ。それ以外、思いつく言葉がない。
これまで、様々な巨大生物と戦ったが、それらを遙かに凌駕する大きさであり、巨人の末裔など、一呑みにしてしまうだろうことは明白だった。巨人どころか、十三騎士の真躯すら、いまや相手にはなるまい。いまのラグナは、あのときのラグナとは比べものにならない力を持っているに違いないのだ。
セツナは、ひとしきりその巨大さを実感すると、大きく息を吸い込んだ。そして、叫ぶ。
「ラグナ、迎えに来たぞ!」
あらん限りの声で、喉が張り裂けんばかりの勢いで、ただ叫ぶ。
「約束通りにな!」
生まれ変われば、なにがあっても必ず迎えに行く。
そういう約束だった。
約束は、果たさなければならない。
ラグナのことは、ずっと心残りだった。ラグナのおかげで生を拾い、生き延び、生き抜いてきた。ラグナがいたからこそ、いまの自分がある。ラグナは死んだ。だが、必ず生まれ変わるはずだ、と、そう信じた。それが何年先、何十年先になっても、必ず見つけ出し、迎えに行くつもりだった。
何百、何千年先でも、必ず。
生まれ変わってでも――。
そう、想った。
「ラグナ! 俺の声が聞こえないのか!」
身動ぎひとつしない巨竜の頭に向かって叫び続ける。
しかし、反応はない。
もしかしなくとも、セツナの声がまったく届いていないのではないか。
喉が張り裂けそうなくらいに叫んでも、夢を見ることに没頭している彼女には、聞こえないのではないか。ラングウィンが起こせなかったのもそのためであり、ただ叫ぶだけでは、なんの意味もないのかもしれない。
(だったら、どうすりゃいい)
自問し、一先ずその場から飛び上がる。頭部を回り込み、耳元へ。竜の耳は、人間の耳のようにわかりやすくはできていないし、どこにあるのかもわからないが、とにかく側頭部の辺りに移動し、そこで声を張り上げてみる。
だが、ラグナに反応は見えない。
どれだけ叫んでも、だ。
なんの反応もなく、無意味に時間が過ぎていく。
ラグナは眠り、彼女の夢が乱舞する。
願望と夢に満ちた光景の数々。
そのうちのひとつが目についた。
小飛竜のラグナがセツナを上目遣いに見ている、そんな光景。セツナは、しょうがないな、とでもいうような表情で手を伸ばしてくると、その視界をわずかに塞いだ。いや、違う。撫でている。
(……それが、おまえの望みか?)
ラグナは、セツナに撫でられることを好んだ。
最後まで、そうだった。
そう思い出したとき、セツナは、ラグナの頭部に回り込み、眠れる竜の額に手を伸ばそうとした。
そのとき、竜の瞼が動いた。
翡翠のような瞳がこちらを捉えた。




