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第二百八十一話 ジベル

 ナグラシア奪還作戦は大失敗に終わったが、これは自分の采配が悪いわけではないのだ、と彼は自分に言い聞かせた。実際、その通りだろうと想うのだ。彼は、直属の上官に当たる翼将サイ=キッシャーの命令を遂行したに過ぎない。サイの情報網がもたらしたナグラシアの防備が薄いという情報を元に、サイが立案し、発動した作戦なのだ。奪還部隊の人員こそゲイリーが選び抜いたものの、それはゲイリーのほうが兵士ひとりひとりの実力をよく知っているからであり、それはサイも認めるところだ。

 ゲイリーは、ナグラシア奪還のために、第四龍鱗軍の中でも精鋭中の精鋭を選抜したのだ。もちろん、千人のうちの五百人が、彼のいう精鋭ではない。半数も精鋭がいるのなら、第四龍鱗軍の戦力は他の龍鱗軍を圧倒することになる。もちろん、それはそれでいいのだが、実際問題、五百人も精鋭がいるはずもない。

 奪還部隊は、百人の精鋭と二百人の猛者、二百人の勇士によって構成され、ゲイリーはその芸術品のように研ぎ澄まされた部隊構成に満足したものだ。しかし、不安はあった。本当にナグラシアの防衛戦力は少ないのか。スマアダの防衛戦力を割くほどの価値のある作戦なのか。無論、ナグラシアを奪還できれば、ガンディア軍にとっては痛手となり、ザルワーンにとっては好機が生まれるきっかけとなるだろう。ザルワーンにとって不利な情勢を覆しうる一撃となる可能性も大いにあった。だから、サイは執拗にナグラシアの奪還にこだわったに違いない。彼としては、ザルワーンの逆転の立役者となることで、将来の道を切り開きたかったのだろう。地方都市の翼将で収まるような人間ではないのだと、普段から公言してはばからない人物だった。

 だが、ナグラシアの守備部隊は、奪還部隊を上回る人数であり、その圧倒的な攻撃力によって奪還部隊を瞬く間に壊滅状態に追いやった。

 ゲイリーが部隊長から報告を聞いた限りでは、五百人いたはずの奪還部隊は三百人以下にまで減少していた。半数以下にならなかったのは、不幸中の幸いというものかもしれないのだが、到底喜べる結果ではない。ナグラシア突入当時、あれだけ高かった士気も、いまでは無残なものに成り果てている。兵士ひとりひとりの顔を見ればわかる。だれもが死んだような表情をしていた。想像を絶する様な迎撃を受けたのだ。

 だれもが勝利を確信していた。油断は有ったかもしれない。だが、それもしかたのないことだったのだ。ナグラシアのガンディア軍が門前に展開した兵数の少なさは、事前に得ていた情報が確かなものなのだと誤認させることに一役買っていた。もっとも、兵士たちの多くは、サイの判断を疑いもしていなかっただろうし、この奪還作戦も成功するものと思い込んでいた節がある。サイのことを信奉する彼らには、サイの情報網に疑念を抱くという発想さえないのだろう。

 その点、ゲイリーは違う。

 が、だから、なんだというのか。

 サイの命令に抗し得なかった時点で、ゲイリーも彼らと同じだ。もちろん、ゲイリーは副将であり、翼将の命令に逆らうことはできない。決定されれば、従うしかない。しかし、サイが奪還作戦を考案した時点ならば、まだなんとかできたかもしれない。彼の情報網を追求していけば、なにかが見いだせたかもしれない。

(なにもかも遅すぎる……!)

 ゲイリーは、己への怒りで我を失いそうになった。ゲイリーがもっとサイに注目し、サイの行動を見ていれば、こんな事態は防げたかもしれない。すべては、彼がサイを嫌い、その言動のことごとくを軽視していたから起きたのかもしれなかった。

 彼は、悲壮感に満ちた部下たちを激励すると、スマアダへの帰路を急いだ。ナグラシアのガンディア軍が追撃部隊を差し向けてくるという可能性は、皆無ではない。ナグラシアの防衛を優先するとはいえ、こちらはたかだか三百人にも満たない部隊だ。ナグラシアの防衛戦力がどれだけのものかはわからないが、一部を差し向けるだけでもこちらを殲滅できそうではある。

 しかし、それらは杞憂に終わった。

 物見に後方の様子を窺わせたところ、追撃部隊に遭遇するどころか、ナグラシアのガンディア軍が動き出す気配すらなかったのだ。

 ゲイリーたちは、安堵の中で、ようやく生還したのだという実感を得ることができていた。二百人近い仲間を殺戮した矢の嵐の記憶は、目を閉じればまぶたの裏に蘇るくらいに強烈だった。ナグラシアのガンディア軍は、大量の矢を用意していたのだろうし、弓兵も数多く手配していたのだろう。弓の扱いが得意でないものさえ、矢を放っていたのかもしれない。とにかく敵に向かって射てばいいだけのことだ。それくらいの勢いが、あの矢の嵐にはあった。

 完敗だった。

 奪還部隊が勝つには、まず、矢の嵐を止めなければならず、そのためには、弓兵を倒さなくてはならなかった。その弓兵の居場所が定かではない。南門前広場に布陣したゲイリーたちからは探し出しにくい場所に、巧妙に配置されていたのだろう。城壁上、市街地の建物群、広場の木の影など、矢を辿った先に敵がいたのは間違いない。しかし、接近を試みたものがどうなったのかは、ゲイリーが目撃したとおりだった。全周囲、どこからともなく飛んでくる矢は、奪還部隊の一点突破さえも拒絶した。

 ゲイリーの撤退命令が遅くなればなるほど、奪還部隊の被害は大きくなっていただろう。二百人程度では済まなくなっていたに違いなく、それだけの犠牲で済んだのはむしろ僥倖だったのだ。

 そう言い聞かせることにも苦心する。

 自分がもっと慎重に指揮を取っていれば、こんなことにはならなかったのではないか。後悔の念ばかりが渦を巻き、ゲイリーの思考を暗澹たるものにした。このままスマアダに戻れば、サイ=キッシャーはどう思うだろうか。なんの成果もなく逃げ帰ってきたことに激怒するだろうか。それとも、生きて戻ってきたことを喜んでくれるだろうか。いや、それ以前に、自分の信頼する情報網がもたらした誤報による敗走に腰を抜かすかもしれない。それはそれで見ものではあったが、笑えるような状況ではない。

 結果、第四龍鱗軍は大事な戦力を失ってしまっている。

 と、ゲイリーは前方の慌ただしさに顔を上げた。いつの間にか俯いていたようだ。敗因と前途を考えればそうもなろう。が、いまはそこに意識を向けている場合ではない。前を進む兵士たちの間を縫って、騎兵が駆け寄ってくる。

「ゲイリー様! 大変です!」

 第四龍鱗軍の兵士だというのは、その特徴的な緑色の肩当てで知れた。第四龍鱗軍は翼将以下全員、緑色の奇妙な肩当てを装着することが義務付けられており、それが第四龍鱗軍の特色となっていた。翼将の権限で定められたことであり、ゲイリーも緑色の肩当てをしていた。今回の戦いで、矢に貫かれるような代物だということがよくわかったこともあり、スマアダに帰れば抗議するつもりではあったが。

 騎兵は、ゲイリーの目の前で馬を止めた。

「どうした? スマアダでなにかあったのか?」

 ゲイリーは、こんなところで出会うはずもない騎兵との遭遇に妙な胸騒ぎを覚えたものの、平静を装うように静かに尋ねた。すると、騎兵は、血相を変えて叫んできた。

「スマアダが、落ちました!」

「なんだと?」

 ゲイリーは一瞬、彼がなにをいっているのか理解できなかった。叫び声が大きすぎた、というわけではない。ただ、脳がその言葉を認識するのを拒絶していたのだろう。それは、破滅的な言葉だ。死の宣告に等しい。

「ゲイリー様が発たれた後、ジベルの軍勢が攻め寄せてきたのです! サイ様の奮戦も虚しく……!」

「馬鹿な!」

 騎兵の報告を耳にした瞬間、ゲイリーは目を見開き、叫んでいた。

 しかし、冷静に考えれば、すべての辻褄が合う気がした。サイ=キッシャー自慢の情報網がもたらした、ナグラシアの防備が薄いという情報。それを元に立案された奪還作戦。だが、ゲイリーたちはナグラシアで敵の大群に盛大な出迎えを受け、半死半生のような有り様で逃げ出した。そこへ、この報告である。

 ジベル。

 ザルワーンの東に位置する国だ。ザルワーンへ逆怨みに近い敵意を隠しもしない彼の国は、かねてよりこの国の領土を狙っていた。ザルワーンを離反し、旧メリスオール領ガロン砦に立てこもったグレイ=バルゼルグを支援しているという噂も、真実なのだろう。ジベルは、ザルワーンが憎くて憎くてたまらないのだ。グレイを支援することでザルワーンを困らせるということで満足していたようだが、ついにそれだけでは飽きたらず、領土の切り取りに動き出したに違いない。

 ザルワーンは目下、ガンディアの侵攻を受け、その対応のために混乱しているといってもいい。都市の幾つかは落ち、かなりの戦力がガンディア軍の前に散っていった。この状況を見逃すジベルではなかったのだ。まさに千載一遇の好機。しかも、ザルワーン南東の都市スマアダは、その位置の悪さからか、ガンディアの侵攻経路から大きく外れている。そして、スマアダはジベルとの国境に近い都市でもあるのだ。ジベルが侵攻するとすれば、旧メリスオール領かスマアダのどちからしかなかった。だが、それは二択にすらならない。グレイ軍が健在である間は、旧メリスオール領に手を出すことはないのだ。グレイの恨みを買えば、どのような報復を受けるものかわかったものではない。そう考えると、ジベルがスマアダを狙うのは、自明の理であり、必然とさえいえた。

 ジベルが戦力をある程度投入すれば、スマアダは比較的簡単に落ちたはずだ。たとえ、ゲイリーたちが第四龍鱗軍とともにあり、獅子奮迅の活躍をしたとしても、圧倒的な兵力差をくつがえせるはずもない。それが道理だ。

 しかし、ジベルはそれでは自軍に被害が出ると考えたのか、もっと狡猾な手段を用いてきた。それがサイ=キッシャーの情報網の正体なのだろう。あの自信家の翼将に信用されていたということは、ここ数日の関係ではないはずだ。サイほど自信過剰な男はいない。そして彼ほど他人を信用するとき、慎重に慎重を重ねる男もいないのだ。ゲイリーがサイの情報網を信用せざるを得なかったのには、サイという人物がなにかを信じるということがどれほど大変なことなのかを知っていたからだ。ゲイリー自身、サイに信用されるまで時間がかかった。

 ともかく、ジベルの工作員はサイの信任を得、彼に偽報を流した。ナグラシアの防備が危ういという情報がそれだ。奪還するなら今しかないとさえ囁いたかもしれない。サイのような男が、その程度の言葉で動くとも思えないのだが、そういう可能性もあるという話だ。

 サイは、情報網とやらを信用しすぎていたのだ。確認を怠り、奪還作戦を立案、強行した。ゲイリーは彼の命ずるままに奪還部隊を組織し、ナグラシアに向かった。結果、見事なまでに敗北した。防備は厚く、たった五百人では敵陣に辿り着くことさえかなわなかった。そして、二百人近くの戦死は、無駄になった。奪還に失敗しただけではない。

 スマアダの防衛にすら、失敗したのだ。

 ゲイリーは、吼えた。

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