第二千八百十七話 接近禁止領域(七)
ラムレシアの眷属たちの大合唱とでもいうべき無数の咆哮は、そのまま無数の竜語魔法の発動といってよかった。
竜の声は、魔力のうねりとなり、魔法となって世界に顕現するという。
それは実際その通りであるということは、既にセツナたちが目の当たりにし、体験し、経験してきたことだ。ラグナの例を挙げるまでもない。ラムレシアもその眷属も、竜属なのだ。神竜も、元はといえば竜属だった。それらが叫び声ひとつ上げるだけで魔法を発動していることは、疑うまでもない現実だった。
そして、ラムレシアの眷属たちが同時に発動させた膨大な数の竜語魔法が青白い光の奔流となって神竜の群れに殺到し、飲み込んでいく。
一方で、ウルクナクト号は、光の奔流に押されるようにして、神竜の群れの中を突破してしまっていた。そして始まる咆哮合戦。そう、ラムレシアの竜語魔法と眷属の大合唱では、神竜の群れを倒し切れていないのだ。それはそうだろう。神竜は、神化した竜属なのだ。神人が簡単に倒せないように、神竜もまた、その“核”を破壊しない限り、あるいは命の源たる神を滅ぼさない限り、無限に再生し、永遠に活動を続けるはずだ。
神人、神獣ら神化した存在の再生能力はただでさえ厄介だというのに、神竜となると、厄介さも比ではなかった。神竜は、首が有る限り吼え続け、魔法を発動させることができるのだ。それら竜語魔法は強力極まりない。人間には耐えられるものではないし、セツナたちが無事なのは、女神と龍神の加護あったればこそだった。
神竜たちの最初の竜語魔法で全滅していてもおかしくはない。
「突破には成功しましたが、まさかこのままラムレシアたちに任せるわけじゃないでしょうね?」
『そのような真似、できるわけがないだろう』
幻像の女神がちらりとファリアを一瞥したのは、敵陣突破以来、ファリアが船の後方を心配そうに見遣っていたからだ。
『こちらは神竜たちの後方、ラムレシアらは前方。つまり』
「挟み撃ちってことね!」
「なるほど。それなら正面切って戦うよりは効率はいいか」
「そのためにひやひやしたんだけど」
ミリュウが不満を漏らす中、ウルクナクト号が船首の向きを大きく変えた。向き直ることで神竜たちの背後を取ったのだ。神竜たちは、ラムレシアたちと魔法合戦を行っている最中であり、こちらのことなど眼中にないとでもいいたげな様子だった。
「隙だらけだな」
「取るに足らない相手と判断したんじゃないですか? こっちは護りに入っていたわけですし」
ルウファがどこか呆れたようにいったのは、神竜たちの驕りとも取れる判断に対して、だろう。
「なるほど。まずはラムレシアたちのほうが脅威だと判断したわけだ。排除すべきは、攻撃的な連中だと」
『さて、ウルクナクト号の戦闘員諸君。君らの出番が回ってきたぞ』
「神威砲でどかーんでやれないの?」
『無理だな。使えるのなら、最初に使って一掃している』
「一掃……か」
怖いことを平然というものだと思いながら、セツナはつぶやいた。そしてすぐさま呪文を唱え、メイルオブドーターを召喚し、身につける。メイルオブドーターは、その飛行能力と防御性能から、いまや黒き矛についで必須の召喚武装となっていた。
ファリアはオーロラストームを、ミリュウはラヴァーソウルを召喚し、ルウファはシルフィードフェザーを纏い、エリナはフォースフェザーを呼び出している。レムは“死神”たちを具現しており、シーラはハートオブビーストを構え、エスクはソードケインを携えている。ダルクスは常に身に纏う黒い鎧が武器だ。ウルク、イル、エルは、存在そのものが強力無比な兵器であり、なんの心配もいらない。
エリルアルムは、槍型召喚武装ソウルオブバードの使い手であり、彼女率いる銀蒼天馬騎士団には、武装召喚師と召喚武装使いが入り交じっている。全員が全員というわけではないが、主力となりうるのは召喚武装の使い手だけなのは致し方のないことだ。常人にはついていける戦いではない。
様々な召喚武装が甲板上に並び立つと、さすがに壮観といえた。
『わたしとハサカラウがおまえたちを可能な限り支援するが、船を離れるのであれば気をつけたまえよ』
「うむ、我らの加護があれば、負けることなど万にひとつもありえぬぞ」
セツナの頭の上から甲板に飛び降りた龍神は、その小さな体を誇らしげに揺らしながらいった。
「本当、神様様々よね」
「ああ、本当にな」
セツナは、ミリュウの嘆息にも似た一言に心の底から同意しながら、メイルオブドーターの翅を広げた。闇色の蝶の翅は、セツナには似つかわしくないかもしれないが、どうしようもない。
「マユリんと龍神様がいなかったら、いまごろどうなっていたのやら」
神に頼りすぎではないか、と、彼女はいいたいのだろうが。
そればかりはどうしようもないことだ。敵があまりにも強大すぎるのだ。神人や神獣でさえ、常人に太刀打ちできる存在ではなく、武装召喚師たちすら苦戦を強いられる。使徒ともなれば武装召喚師も敵わず、神にはだれであれ、相手になるはずもない。神の加護があって初めて食い下がれるのであり、もし神々の協力がなければ、セツナたちはとうの昔に全滅していたに違いない。
無論、ミリュウとて、自分たちの置かれている状況、立場は重々承知しているのだ。彼女がマユリ神に限りない信頼を寄せ、敬意と尊崇を持っていることは日頃の言動からも明らかだ。だからこそ、余計にそう思うのかもしれない。
神に頼りっぱなしでは、神々にこそ申し訳がない、と。
『我らはひとに頼られてこそ存在意義がある。我らに頼ること、縋ることを否定する必要はないよ』
「それはわかっているけど」
「ミリュウ。気持ちはわかるが、いまは、目の前の戦いに集中しよう」
「……そうね。早く片付けて、ラグナの目を覚まして上げなきゃ――って、あれ?」
不意に、ミリュウが訝しげな顔で周囲を見回した。
「ん?」
「ファリアは?」
『ファリアならば既に戦場だぞ』
マユリ神の冷静な声が、冷や水のように頭の中に飛び込んでくる。
「なんでそれを早く教えてくれないのよ!? っていうか、ファリアもなんで一言もいわないでいっちゃうわけ!?」
ミリュウがファリアを非難するのもわからくなくはないが、セツナには、ファリアの気持ちもまた、理解できた。
ファリアはおそらく、ラムレシアの負担を少しでも軽くしたいのだ。
だから、戦うとなった瞬間、飛び立った。
頭上を仰ぎ見れば、空高く飛翔するファリアの姿があった。
緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラース。
三界の竜王の一翼にして平衡と維持を司る彼女は、その性質とは裏腹にだれよりも自由であり、奔放な存在だった。
いつだって一所に留まらず、まるでなにかを探し求めてさまようように世界中を飛び回った。ラングウィンがどれだけ窘めても、ラムレスがどれほど怒り狂っても、彼女は自由であることを止めようとしなかった。ただし、彼女もまた三界の竜王の一翼であることはわかっていて、世界に干渉することはなく、故にこそ、その自由は不自由そのものでもあったのだが。
そんな彼女が多数の眷属を持つに至った理由は知らない。
自由を愛し、放浪癖のあったラグナシアが眷属を持つ必要性も意味もなかったはずだ。
なのに、彼女を慕う数多の竜が、彼女の眷属となり、彼女のためならばと平然と命を投げ捨てた。
ラグナシア=エルム・ドラース。
だれよりも自由で、だれよりも奔放な彼女は、だれよりも愛された竜なのかもしれない。
ラムレシア=ユーファ・ドラースは、そんな竜王の眷属の成れの果てを認め、目を細める。
神威に毒され、変わり果てたものたちは、滅ぼすしかない。
それは、かつての自分の運命そのものといえた。




