第二千八百十六話 接近禁止領域(六)
『腹は決まったようだが、戦術は定まったのか?』
不意に飛び込んできたのは、マユリ神の通信だった。爆音と震動が船体を揺らす中、セツナはなんとか足を踏ん張っている。
「戦術?」
「確かに……ただ闇雲に戦っても、消耗するだけね。相手は竜で、神化しているんだもの」
その上、数が多い。
数千体に及ぶ神化した飛竜が、ウルクナクト号の進路上に布陣しているのだ。それらが間断なく咆哮し、竜語魔法を発動させている。光と音、衝撃と振動が方舟を包み込む防御障壁ごと、船体を揺らしている。
「神人、神獣、神鳥、神魔ときたなら、神竜ってところか」
「呼び方なんてどうでもいいけど!」
「よくねえよ。呼び方は統一しておいたほうが混乱せずに済む」
「それはそうかもしんないけど、いまはほかに敵もいないでしょ!」
「むう……」
引き下がるシーラを横目に、セツナは、腕輪型通信器に目を向けた。通信器から虚空に投影された女神の幻像は、なにやら考えがあるとでもいいたげな表情をしている。
「マユリ様にはあるようで?」
『うむ。良い考えがある』
「どんな?」
ミリュウが顔を突っ込んでくると、マユリ神は待ってましたとばかりににやりとした。その直後、割り込んでくる声があった。ラムレシアだ。
『戦術だかなんだか知らないが、戦うと決まったのだな?』
「ええ」
『では、我らは先に攻撃を仕掛けるぞ。あれらの魔法を受け続けるのもいい加減鬱陶しい』
「ユフィ、だいじょうぶなの?」
『わたしをだれと心得ている。わたしは三界の竜王が一翼だぞ』
ファリアに心配されたことが少しばかり不服だったのか、ラムレシアは、憤然と名乗りを上げた。おそらくそれが彼女の咆哮となり、魔法を発動させたのだろう。突如として爆音の連鎖が止むと、衝撃も震動も収まり、セツナたちの視界を埋め尽くしていた光や爆煙の数々も一点に収束していった。いまのセツナならば、その収束点がはっきりとわかる。
前方上空、ラムレシアの目の前の虚空に音も光もなにもかもが収束していき、ひとつの球体を形成した。そして、つぎの瞬間、球体が爆発したかと思うと、強大な力の奔流となって飛竜の群れへと殺到した。竜たちはつぎつぎと咆哮し、魔法の障壁を形成する。ラムレシアの放った破壊的な力の奔流も、幾重にも展開される魔法障壁を破壊し尽くすには至らない。だが、それこそマユリ神の待ち望んだ展開だったのだ。
突如としてウルクナクト号の十二枚の翼が羽撃くと、凄まじい振動がセツナを襲った。一瞬脳裏を過ぎった吹き飛ばされてしまうのではないかという不安は、マユリ神の配慮によって消え失せた。マユリ神の神威がセツナたちを包み込み、船体の振動から護ってくれたのだ。そして、マユリ神がなぜそんなことをしたのかという疑問に対する答えは、つぎの瞬間には、はっきりとわかってしまっている。
ウルクナクト号が急加速し、最大速度へと至ったのだ。ウルクナクト号の周囲に展開していたラムレシアの眷属たちをその場に置いてけぼりにして、つぎの攻撃を思案中のラムレシアの足下を潜り抜けるようにして、敵陣へ突っ込んでいく。
「ちょっ……!?」
「マユリ様!?」
「マユリん、ちょっとだいじょうぶなの!?」
「おいおい、このまま突っ込む気かよ?」
「ははっ、いいな、これ」
「なにがいいんだ、なにが!」
「いや、爽快だろ!」
甲板上ではエスクだけが喜ぶ中、ウルクナクト号は最大速度で神竜の群れに向かっていく。ウルクナクト号の船体は防御障壁に覆われ、その防御障壁が竜語魔法ですら簡単に打ち破れないものであることは、事前に証明済みだ。しかし、だからといって、そのまま敵陣に突っ込んでいくというのは、あまりにも無謀ではないか。セツナは、度肝を抜かれる気持ちで、女神の幻像を見、神竜たちを見た。もはや神竜の群れは眼前に迫っている。だが、神竜たちは、攻撃できないようだった。なぜならば、直前までラムレシアの攻撃を防ぐために魔法障壁を張り巡らせていたからであり、その魔法障壁のために全員が力を結集しなければならなかったからのようだ。
『何百、何千もの魔法障壁、その半数ほどがラムレシアによって破られたが、故に彼らは再び魔法障壁を展開せざるを得なかった』
「つぎの攻撃に備えて、か」
『それこそ、好機』
「なにがよ?」
『魔法障壁で船を止められるものか』
実に気分の良さそうな表情を浮かべる女神の幻像に対し、セツナたちは顔を見合わせ、それぞれに頭を振った。こうなると、マユリ神はセツナたちの意見など聞き入れないだろう。女神はいま、乗りに乗っている。自分の思惑通りに事が運び、それがまさに希望の光となって現れようとしているのだ。
ウルクナクト号は、ただただ全速力で空を飛ぶ。光の翼を羽撃かせ、神威の光を尾のように引きながら、神竜の群れの真っ只中へと突っ込んでいく。幾重にも展開された魔法障壁、その不気味な光がセツナの目にも映り込んできた。
「本当にだいじょうぶなのかよ」
「知らないけど、自信満々よ、マユリん」
「我もいるのだ。なにも心配することはないぞ」
「だからこそ心配なんだがな」
「はっ、皆して心配性だねえ。気楽に構えてりゃいいだろうに」
「だれもがエスク様のように頑丈には出来ていないのでございます」
「死神にいわれちゃ世話ないぜ」
「まったくでございます――」
そんなエスクとレムのわけのわからない会話が途切れたのは、神竜たちが一斉に咆哮したからだ。ウルクナクト号が魔法障壁に突っ込もうとした直前、幾重もの魔法障壁が消滅し、ほぼ同時に神竜の咆哮が響き渡ったのだ。瞬間、爆撃が船体を揺らした。いや、船体を包み込む防御障壁に突き刺さり、連続的な爆発を引き起こしたのだ。衝撃が防御障壁ごと船体を揺らすが、女神に護られたセツナたちはふらつくこともない。
「マユリ様、これ、本当に行けるんですか?」
『なにを心配することがある。おまえはわたしが信用できないのか?』
「信じていますよ!」
叫ぶようにいったのは、爆音に掻き消されまいとしたからだが。
『そこまでいわれると、さすがに照れくさいな』
女神の幻像は、実際に照れくさそうな仕草をして、ミリュウの反発を買ったが、ミリュウが女神に食らいつく暇はなかった。さらなる衝撃が船体を襲ったからだ。凄まじい爆圧が防御障壁を歪め、ウルクナクト号の進路をずらした。神竜たちの咆哮が連続的に響き渡り、竜語魔法がつぎつぎと船を襲う。甲板上のセツナたちは、ただ成り行きを見守ることしかできない。船は、既に敵陣の真っ只中を進んでいる。上下左右、四方八方、どこもかしこも敵だらけ、神竜だらけであり、それら神竜の殺意に満ちたまなざしがウルクナクト号に注がれていた。完全に敵と認識され、殺すべき、滅ぼすべき対象と定められている。
「マユリん!」
ミリュウが悲鳴を上げながらセツナの右腕に縋り付いたのは、腕輪型通信器が投影する女神の幻像に向かって叫びたかったからだろう。しかし、女神は涼しい顔だ。
『案ずるな』
「なんでそんな余裕なのよ!?」
『防御障壁は破られぬ。それに、彼女がいるだろう』
「彼女?」
セツナが訝しんだ瞬間だった。
威厳に満ちた、それでいて凜然とした咆哮が響き渡り、蒼白の閃光がウルクナクト号の頭上を駆け抜けていった。神々しいとさえいえる強烈な光は、数多の神竜の巨躯を貫き、破砕し、損壊していた。
ラムレシアの竜語魔法だろう。
神竜たちがそちらに視線を向け、つぎつぎに口を開く。が、それらの咆哮が轟く前に、竜たちの唱和の如き大音声が聞こえた。
ラムレシアの眷属たちが一斉に咆哮し、竜語魔法を発動したのだ。




