第二千八百十一話 接近禁止領域(一)
「そもそも、接近禁止領域ってなんなの?」
ミリュウが問いかけたのは、船外にいるラムレシアに、だろう。
ラムレシアは、ウルクナクト号に乗ろうとしないのだ。理由はわからないが、少なくとも体の大きさが問題ではない。ラムレシアの外見は、ユフィーリア=サーラインのころに比べると大きく変化しており、翼や尾などによって質量も増えているものの、身の丈そのものに大差はなかった。それに船内の通路は広く、たとえ彼女が翼を最大限に広げたとしても自由に移動できるだけの空間的余裕がある。セツナたちとの意思疎通に関する問題もない。つまり、彼女が乗船することそのもにはなんの障碍もないのだ。
しかし、彼女は、ファリアが乗船を勧めるのも断り、船外に在り続けた。もしかすると、竜王として、眷属たちに示しをつけなければならないからなのかもしれない。ラムレス=サイファ・ドラースが威厳に満ちた竜王として、その存在感を示していたようにだ。
いまやラムレシアの眷属として傅いている竜たちはそのすべてがラムレスの眷属であり、いわばラムレスの子供たちだった。ラムレスがユフィーリアにそのすべてを捧げ、与え、授けたことは眷属たちは百も承知だろうし、だからこそ彼女を竜王として推戴し、従属しているのだろうが、だとしても、ラムレスの後継者に相応しい在り様を求めるのは、ある意味当然のことかもしれず、ラムレシアがそういった眷属たちの想いを汲んでいるのだとしても、なんら不思議ではない。
ラムレシアもまた、ラムレスを父の如く慕い、大いなる竜王として忠誠を誓っていたひとりなのだ。
であれば、話しやすいからという理由だけで船に乗せようとするのは、あまりにも身勝手だ。
『わたしが竜王への転生を果たしたのち、ラングウィンの元で世話になっていたことは話しただろう。その際、ラングウィンと交わした約束のひとつだ。“竜の庭”で羽を休めている間は、接近禁止領域には近づかないこと、とな』
船外にいるラムレシアの声は、分厚い方舟の装甲を飛び越え、セツナたちの耳元に届く。それが竜語魔法の力だというのであれば、なんら不思議なことではなかったし、ここに至る道中、そうやって彼女とやり取りをしていた。特にファリアは、寝る直前まで、ラムレシアと話し込んだりしていたという。そのことを考えれば、ふたりの仲の良さにミリュウが嫉妬するのもわかるというものだろう。
ミリュウが耳元で爆ぜた声に向かって再度疑問をぶつける。
「だから、その接近禁止領域がなんなのかって聞いてるんだけど」
『わたしもよくは知らないのだ。なにせ、近づいていないのだからな』
「なるほど……わかったわ」
ミリュウがすべてに合点がいったといわんばかりに手を打った。セツナたちは、そんな彼女をきょとんと見ている。
『ん?』
「あんた、馬鹿でしょ」
『ば……馬鹿?』
「ミリュウ、ユフィになんてこというのよ!?」
ラムレシアが声だけで唖然とする中、ファリアがミリュウに詰め寄る。ファリアにしてみれば親友を馬鹿にされたようなものなのだから、怒るのも当然だろう。もちろん、ミリュウは本気でそう言っているわけではないし、彼女がラムレシアを嫌っているからでたような言葉ではない。ただの冗談、軽口に過ぎない。だとしても話の腰を折るには十分すぎる力を持っているのが厄介だが。
「前々から想っていたのよね-。ユフィーリアって、ちょっと考えが足りないんじゃないかってさ。それがいままさに白日の下に曝されたってわけよ」
『い、いまは真夜中だがな』
「それが馬鹿だっていうことの証よ。ふふん」
「なにを勝ち誇ってんだか」
「良い勝負のような気が致します」
呆れかえるシーラに続き、レムが小さくつぶやく。するとそれを聞きとがめたのは、ミリュウの地獄耳だ。
「あら、レムちゃん、なにかいったかしら?」
「いいええ、ミリュウ様は相変わらずお美しく、御主人様に相応しいお方だと申し上げていたところでございます」
「さすがはレムちゃん、良い子良い子」
ミリュウはあっさりと表情を和らげると、レムを引き寄せ、その頭を優しくなで回した。レムはそんなミリュウの態度にまんざらでもない表情を浮かべるものだから、状況は混沌を極めていく。
「なんなんだこの茶番は」
セツナが肩を落とすと、ルウファが同情するように肩を叩いてくれた。
「ラグナが生きているとわかって、みんな感動と興奮の中にいるんじゃないんですか?」
「そういうことなら仕方がない……のかな」
「仕方がないですって。だってあのラグナですよ。《獅子の尾》一の人気者だった」
「……ああ、そうだな」
ルウファですら興奮気味に語る様子を見ていると、あの時期、《獅子の尾》の暖かさの中心にいたのは、紛れもなくラグナだった。愛くるしい小飛竜は、ある種、愛玩動物のようでもあったのだ。もっとも、セツナたちは彼女を愛玩動物のように扱っていたわけではない。同列の仲間として、ときには敬意を込めて接したものだ。
「ラグナちゃんとまた逢えるなんて、夢みたいです! ね、ウルクさん!」
「はい。先輩とまた一緒にセツナに仕えることができるのは、従者冥利に尽きるというもの。そしてそのときには、イルとエルのことを紹介しなければなりません」
「そういやそうだったな」
イルとエルは、アルを含め、下僕肆号、伍号、陸号ということになっていた。アルはアズマリアの依り代に選ばれたため不在だが、イルとエルはウルクと接触して以降、まるで彼女に感化されたかのうに自発的に行動し、感情表現らしい仕草すら見せるようになっていた。言葉こそ話せないが、いまではウルクナクト号の立派な一員になのだ。ラグナが戻ってきたならば、後輩が増えたことを話さなければならないだろうし、それを聞けば、彼女はきっと喜び、ふんぞり返るだろう。その様子が目に浮かぶ。
『……話が逸れたな』
「そうね……それじゃあ接近禁止領域の話について、もう少し詳しく教えてくれるかしら」
『ああ、いいだろう』
ラムレシアがファリアにうなずく様が脳裏に浮かぶようだ。
『接近禁止領域は、東ヴァシュタリア大陸最北よりさらいに北へ向かった先、この世界の極北一帯のことだ。ラングウィンは、理由は教えてくれなかったが、その一帯には決して近づいてはならないと念押しされたのでな。わたしも彼女の意向に従い、近づこうともしなかった。調べようともだ。彼女がなにか重要なことを隠しているのはわかっていたが、彼女のすることだ。決して意味のないことではないと信じた。そして、その信頼は裏切られなかったのは、先の話でも明らかになったな』
つまり、ラングウィンが接近禁止領域と定めたのは、ラグナの存在をラムレシアからすらも隠すためであり、他者にラグナシアの存在を秘匿するための手段だったということだ。それはラムレシアを信頼していなかったということではなく、万が一の可能性を考えてのことだというのは、ラングウィンの話からも確定している。
ラムレシアにラグナの覚醒を促そうとしなかった理由もまた、ラングウィンの確信の中にある。ラングウィンは、セツナならば必ずやラグナを覚醒させることができると確信しているのだ。そうである以上、ラムレシアを関わらることで情報を与えるよりは、セツナに伝えるまで秘匿しておくほうが大切だと考えたのだろう。
「ラグナがそこにいる……と」
『なぜラグナの眠る地に接近することが禁じられていたのかは、行ってみればわかるということだが、それはつまり、接近するだけで危険性を伴うということでもあるはずだ。わたしも眷属ともども同行するが、おまえたちも不測の事態に備えておくといい』
「ええ、そうさせてもらうわ」
ファリアが力強くうなずくと、ラムレシアが嬉しそうに笑った声が聞こえた気がした。
「ラグナが眠っているだけなら、なんの問題もなさそうなんだけど」
「あいつ、寝相が悪いからな」
「そういう問題?」
「たとえばだ」
セツナは、脳裏にラグナの飛竜形態を思い描いた。最初に対峙したとき、ラグナは、飛竜と呼ぶに相応しい姿で現れ、激闘を繰り広げた。
「ラグナがラングウィン様ほどの巨大さに成長していたとして、そんな大きさの竜が寝返り打ちまくってたら近づくだけでも命懸けになりかねないだろう?」
「確かに……一理あるな」
「そうかしら」
「ま、いってみればわかることさ」
「そうね。まずは、逢いに行かなきゃね」
「迎えに、な」
セツナが告げると、皆、うなずいた。
(極北の地……つまり、北極か?)
イルス・ヴァレは、球形の世界、つまり宇宙に浮かぶ惑星であることはわかっている。太陽と月、それ以外の天体との位置関係からも、極めて地球に酷似した星であることも想像がつく。北極点と南極点があるのも当然なのかもしれない。
ラグナが北極点にいて、そこで長い眠りについているというのは、想像を遙かに超えたできごとではあるが。
ともかく、セツナたちは、ラングウィンから伝えられた想わぬ事実を前に興奮状態のまま、機関室に向かい、マユリ神に全速力で北へ向かうようお願いした。
すべてを聞いていた女神は、当然のようにうなずき、微笑んだ。
希望の女神には、ラグナとの合流に歓喜するセツナたちの様子が喜ばしいものとして映ったのかもしれない。




