第二千八百九話 白銀纏う霊帝(五)
「夢……」
ラングウィンの言葉を反芻し、セツナは、巨竜の視線を追うようにして彼方を見遣った。ラングウィンの視線の先、星空の彼方にラグナがいるということだろうか。ラングウィンの仕草だけでは、わからない。
「いったいどういうことなのでしょう?」
「夢を見てるんだったら、叩き起こせばいいんじゃないの?」
ファリアが小首を傾げ、ミリュウが当たり前のことのようにいうと、ラングウィンがこちらに視線を戻した。そして、苦笑を交えながら、いってくる。
「できるものならそうしたでしょう。わたくしとて、ラグナシアを一日でも早く目覚めさせたかった。ラグナシアも三界の竜王が一翼。世界の現状を知れば、力を貸してくれるはずですから……ラグナシアの気配を感知したときは、喜び勇んで駆けつけたものです」
「でも、目覚めさせられなかった?」
「はい。何度も何度も呼びかけ、あらゆる手段を講じたのですが……“竜の庭”から離れるという危険を冒しても、彼女を目覚めさせることはかなわず……」
「なるほどね。それでセツナを待ち望んだってわけね」
「なにがなるほどなんだ?」
セツナは、ミリュウの反応に怪訝な顔にならざるを得なかった。
「だってラグナよ? ラグナってば、セツナのことが好きすぎるくらいだったじゃない」
「そうか?」
「そうでございます。御主人様にはわからないかもしれませんが、ラグナの他者への応対は、御主人様とそれ以外では明確な違いがございました」
「ふむ……」
「それに下僕弐号なら、御主人様の命令に応じるんじゃないかしらね」
「覚えてるかな」
「忘れるわけがございませぬ」
レムが力強く断言すると、ウルクもまた強くうなずいた。レム、ラグナ、ウルクというセツナの下僕を名乗るものたちの間には、セツナには理解できないなにか絆のようなものがあるらしい。
すると、ラングウィンが嬉しそうな笑い声を上げた。柔らかな声音だった。
「やはり、あなたを呼ぶため、ラムレシアに協力を仰いだのは正解だったようですね」
「ラムレシアは、ラグナのことは知らなかったようですが?」
「ああ、聞いていないな、そんな話は」
「伝えていませんから」
ラングウィンがにべもなく告げると、さすがのラムレシアも気色ばんだ。心底怒っているという風ではないにせよ、だ。
「どういうつもりだ? ラングウィン。なぜ、わたしに話さなかった?」
「ラグナシアに関する情報は、できる限り隠しておく必要があると判断しました。ラムレシア、あなたには身に覚えのあることと想いますが……ネア・ガンディアは、わたくしたち三界の竜王を大きな障碍のひとつと認識しています」
「……ああ」
ラムレシアが小さく認める。
ネア・ガンディアが三界の竜王の一柱、蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースを打倒するための策を弄し、ユフィーリアを使ったという話は、彼女自身から聞いた。ネア・ガンディアにとってなにが厄介だったのかは、想像に難くない。三界の竜王の権限であるところの創世回帰だろう。創世回帰を起こされれば、さすがの獅子神皇でも防ぐ手立てはなく、故にラムレスを滅ぼそうとした。そして、それには成功した。ただし、ラムレスは、自分の後継者としてユフィーリアを竜王に転生させたため、三界の竜王が再び勢揃いする可能性は失われなかった。それは、ネア・ガンディアにとって大いなる誤算だろうが、とはいえ、それでどうにかなるわけではない。なって欲しいわけではない。
創世回帰は、ネア・ガンディアにとってだけではなく、セツナたちにとっても望ましくないことであり、たとえ三界の竜王が勢揃いしたところでやって欲しくないことの筆頭だ。
すべてを洗い流すということは、いまを生きるものたちの命もすべて、その瞬間に消えてなくなるということなのだ。
「故に三界の竜王が全員生存している事実は知られたくはなかったのです」
「わたしがネア・ガンディアに漏らすと?」
「いえ、そうではありません。あなたも、あなたがたもネア・ガンディアにラグナシアの生存情報を漏らすようなことはしないでしょう。それはわかっています。が、万が一ということもあります。ネア・ガンディアの目や耳がどこにあるかわかったものではないのです」
「ふむ……」
「しかし、ここならば……わたくしの庭ならば、どれだけの大声で伝えたところで、外に響くことはない。安心して、すべてを明かすことができます。故に、セツナにはここに呼びつけなければならなかった」
ラングウィンの巨躯が“竜の庭”を見渡すようにゆるりと動く。この広大な大地すべてがラングウィンの支配下にあり、ネア・ガンディアの神々の干渉も難しいというのであれば、彼女のいうように大声で話してもなんの問題もないのだろう。
セツナは、これまでの話から、ラングウィンは信用に値する相手だと考えるようになっていた。
「だったら、わたしだけにでも伝えて欲しかったが」
「それも考えましたが、ラムレシア。あなたはファリアには嘘をつけないでしょう」
「う……」
ラングウィンに見つめられた瞬間絶句したところを見ると、図星だったのだろう。ラムレシアがファリアのことを大切に想い、親友として対応していることは知っているが、それにしても、そこまで深い間柄だというのは想像を遙かに超えている。
「ひとりの人間に依存するなど、竜王にあるまじきことですが」
「うう……」
「わたくしとて、竜王の立場を忘れ、この庭に籠もりきっていた身。あなたの在り様を非難することなどできるはずもありません。そしてそれはラグナシアも同じ」
「……全員、竜王失格だな」
「まったくもってその通りですね」
ラムレシアの嘆息をラングウィンが肯定する。
三界の竜王が役割を放棄していたのは、聖皇によって記憶を改変され、本来の在り様を忘れていたからだ。そこに彼女たちの落ち度を見出すことは出来まい。聖皇は、神々をも従える絶対的な力の持ち主であり、聖皇六将が斃せたことそのものが奇跡といっていいはずなのだ。
世界を作り替え、歴史を改竄し、言語を統一するほどの力を持ったもの――それが聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンであり、斃すべき敵の本質。
「その通りですが、だからといって竜王の役割を果たさず、放棄するのは間違いでしょう。わたくしたちには、この世界を管理し、滅びより護るという役割があります」
「ああ。わかっている。そのためにラグナシアを目覚めさせるんだな」
「そして、そのためにも、あなたはセツナをラグナシアの元へ導いてください」
「わたしは、ラグナシアの居場所など知らんぞ」
「接近禁止領域のことは話したはずですが」
「ああ……って、まさか」
「そのまさかです、ラムレシア。接近禁止領域の中心に彼女はいます」
ラングウィンが告げると、ラムレシアは愕然とした反応を見せた。セツナたちにはまったく理解できない話が空中で交わされていて、置いてけぼりを食らっているが、致し方のないことだ。
「そうか……そうだったのか」
「あなたがわたくしのいうことを素直に受け止めてくれて助かりました。おかげで、ラグナシアの居場所を今日まで隠し通すことができたのですから」
「……はあ」
満面の笑みを浮かべるラングウィンに対し、ラムレシアは返す言葉もないというような表情だった。それはそうだろう。彼女は、完全にラングウィンに手玉に取られていて、なにもかも見透かされているのだ。ここまでラングウィンの思い通りに事が進んでは、ため息のひとつもつきたくなるものだろう。
そんなラムレシアを見つめるラングウィンのまなざしは、まるで聖母のように優しく、慈しみに溢れたものだった。




