第二百八十話 謀略の影
第四龍鱗軍ナグラシア奪還部隊。
たった五百人からなるこの部隊は、第四龍鱗軍の精鋭揃いでもあった。
ゲイリー=ドークン自身、武芸で名を上げてきたということもあり、麾下の兵士は第四龍鱗軍の精鋭中の精鋭を集めていた。二倍程度の兵力ならば対等以上に戦えると信じていたし、それくらいの訓練は積んできたはずだった。数のザルワーンなどといわれるが、とんでもない話だと彼は思っているし、そのくだらない迷信染みた評判を覆すのが第四龍鱗軍の使命だと考えるようになった。
とはいえ、ナグラシアの防衛戦力が少ないことに越したことはないのも事実だ。無駄に戦力を失う必要はないし、損害を被ることもない。情報通り防衛戦力が少ないというのなら、さっさと攻め込み、制圧してしまえばいい。
ゲイリーは、馬上、先鋒の部隊が南門へと殺到する様を見ていた。敵軍も黙って見ているわけではない。幾重にも盾を構え、弓射し、こちらの接近を阻もうとしている。それに、城壁の上からも矢が降り注いできていた。しかし、どちらにせよ散発的なもので、戦意も高い奪還部隊の勢いを阻むことはできなかった。
盾兵を前面に展開し、強引に突破を図っている部隊を見やりながら、ゲイリーは左右の部隊長に弓射を命じた。ふたりの部隊長は即座に部下を引き連れて前線へと走り、弓兵を展開、先鋒部隊の突入を援護するための射撃を始めた。散発的に降ってくる敵軍の矢に比べて、奪還部隊の矢は圧倒的だった。曲線を描いて南門前へと飛翔する数多の矢は、敵部隊を城門の内側へと撤退させることに成功する。
ゲイリーは、敵軍の意気地の無さを笑いはしなかった。あれだけの矢を一斉に浴びせられれば、だれだって逃げ出したくなるものだ。しかも、負傷した兵も多数いたようだ。一時撤退の判断は悪くもなかっただろう。ただそれは城門が正常に機能しているのなら、の話だ。一時城壁の内側に避難するにしても、城門に大きな穴が開いているという現状は変わらない。
しかし、それは敵軍もわかっていたようだ。逃げ帰ったかと思われた敵軍だったが、城門のすぐ後方に堅陣を構築していたのだ。城門の巨大な穴の向こう側に盾兵が並び、こちらの突入を阻もうとしている。
城門の穴は確かに巨大であり、門としての機能が損なわれているという話も本当だった。
「簡単には通さんか……!」
ゲイリーは低くうなったが、こちらの先鋒隊は敵軍の密度を意にも介さなかったようだ。彼が見ている間にも、声を上げながら南門へと突っ込んでいく。弓兵による牽制射撃の後、盾兵同士の激突があり、それを後方の兵士たちが後押しした。
こちらが押しているのは、遠目にも明らかだった。門の内側の敵をさらに奥へと押し込み、突入口を開いていく。門の穴は、部隊が突撃するには十分過ぎる大きさがあった。門の向こう側の敵兵さえ黙らせることができれば、突入に問題はない。
「突撃せよ!」
ゲイリーが叫んだのは、先鋒隊の一部がナグラシア市街への突入に成功していたからだ。門の向こう側で隊列を組んでいた敵兵は、こちらの勢いに恐れをなしたのか、悲鳴を上げながら逃げ散っている。
ゲイリーは眉を潜めた。やはり意気地がないのだ。ガンディア兵が弱兵といわれる理由の一端を垣間見た気がして、彼は、むしろ憤慨する思いだった。そんな弱兵だらけの国に、このザルワーンが蹂躙されているという現実があまりにも惨めに思えたからだ。
これでは、数のザルワーンという世間の評価を覆すことなど夢のまた夢だ。
(いかんな)
彼は頭を振ると、目の前の戦場に意識を集中させた。いまはくだらぬ世評など気にしている場合ではない。
先鋒隊が門内に突入すると、残りの部隊も続々とナグラシアの内部への侵入を果たしていった。ゲイリーの部隊も門前に到達しており、彼は、門に開けられた穴の大きさに唖然とした。同時に、黒き矛のセツナという武装召喚師が恐ろしくなる。
分厚い鉄の門を打ち破るほどの力を有する個人というのは、ただそれだけで恐ろしいものだ。そして、ガンディアが躍進してきたのも納得できる気がした。
とはいえ、ガンディアの勢いは、ここで止めなくてはならない。ナグラシアを奪還し、補給線を断つ。
門の穴を通過すると、ナグラシア南門前広場が広がっている。ゲイリーが広場に到達すると、事前の作戦通り、先鋒隊を最前列とした陣形が構築され始めていた。いくら敵の数が少ないとはいえ、各部隊が統制もなく暴れ回っては、各個撃破されるという最悪の事態になりかねない。
(大胆かつ慎重に……)
ゲイリーは、陣形の後方に位置しながら、サイ=キッシャーの口癖を思い出していた。南門前広場の周囲に敵はおらず、やはり、情報通りナグラシアの防衛は疎かになっていたようだ。
「ガンディアも、存外詰めが甘い」
「我々としては、ありがたいことです」
「ふむ。確かにな。だが、感謝は勝利の後にしよう」
「はっ」
陣形が整い、否応なしに士気が高まっていくのを肌で感じる。兵卒ひとりひとりが勝機を見ている。城門を突破し、市内への侵入を果たしたのだ。敵は丸裸も同然であり、奪還部隊の勝利は目と鼻の先といってもよかった。五百人からなる部隊は、ほぼ無傷だったのだ。
負ける要素は皆無だった。
だがそのとき、地鳴りのような喚声がナグラシアの市街を震わせたかと思うと、滝のような矢の雨が奪還部隊の陣に降り注いだ。
「なにごとだっ!」
叫びながら、ゲイリーは手綱を操り、突如暴れだした愛馬の暴走を制した。矢は、頭上から降ってくるだけではない。四方八方から、凄まじい数の矢が飛来してきていた。最前列の兵士たちは盾に身を隠したものの、左右や後方から飛来する矢に対しては無防備にならざるをえない。さらに頭上から落ちてくる矢の数も多い。負傷を訴える無数の悲鳴が、奪還部隊の戦意を著しく低下させていく。
市街地の建物の上や、立ち並ぶ木々の影、城壁上から放たれる矢の数たるや、凄まじい物があった。間断なく放たれ、こちらが陣形を立て直す暇さえ与えてくれない。圧倒的な数の矢は、敵軍の兵数そのものだといっていいだろう。
ゲイリーは舌打ちした。敵軍は、兵数を謀っていたのだ。戦力の殆どを市街や城壁に潜ませ、南門の外に出していたのは、こちらを市街へと引き入れるための囮だったに違いなかった。そしてそれは、サイ=キッシャーも騙されていたということになる。彼の持つ情報網とやらに、だ。
「敵部隊が我が方を包囲しており――!」
「そんなことはわかっている……!」
ゲイリーはわかりきったことを告げてきた兵士を怒鳴ると、右肩に生じた激痛に歯噛みした。どこからともなく飛来した矢が肩当てを貫通したようだ。手綱を操り、馬首を巡らせる。その際、彼の視界に広がっていたのは、奪還部隊の兵士たちが為す術もなく死んでいく光景であり、絶望そのものともいえる状況だった。だれもかれもが死んでいく。応戦しようにも敵兵の姿は見えず、決死の覚悟で市街地へと突っ込んでいった兵士は、彼の背後から飛来した矢に貫かれて足を止め、その瞬間、数多の矢を浴びて死んだ。盾兵たちが隊列を組んで突進したが、それも無駄に終わる。矢は、前方から飛来するだけではない。前後左右、さらに頭上からも降ってくるのだ。前方の矢を防ぐだけでは、意味がなかったのだ。
ゲイリーは口惜しさに顔を歪ませながら、怒号を上げるようにして命令を下した。
「全軍撤退! 命の限り駆け抜けろ!」
矢の嵐に追い立てられるようにして、ゲイリーたちはナグラシアの南門を潜り、町の外へと逃げ出した。敵軍が追撃してくることはなかったが、安心することもできず、彼らは脇目もふらずに街道を東へと走った。来た道を戻るのだ。
このまま、スマアダへと逃げ帰るということだ。
一矢報いることさえできないのは、悔しいが仕方がない。ナグラシアにはこちらの想定以上の防衛戦力があり、奪還部隊の到来を待ち構えていた。戦術とは言い難いものではあったが、こちらに壊滅的な被害をもたらしたのも事実であり、ゲイリーは肝を冷やしていた。運良く死ななかったともいえる。肩に刺さった矢が、もし首を貫いていたらと思うと、生きている心地がしなかった。
(サイ=キッシャーめ……!)
翼将の自身に満ちた横面を殴り倒したい気持ちでいっぱいになりながら、彼は、馬を止めた。あまりの事態に我を忘れ、歩兵たちを置き去りにしてしまっていることに気づいたのだ。後方を振り返ると、騎馬兵、軽装兵、重装兵の順に街道を進んできている。曇天は、命からがら逃げ出してきた敗軍によく似合う天候だといえるのだろう。
ゲイリーは皮肉を浮かべながら、兵士たち揃うのを待った。