第二千八百六話 白銀纏う霊帝(二)
『わたくしはラングウィン=シルフェ・ドラース。この“竜の庭”の主催者にして、三界の竜王が一翼。あなたが来るのを待ちわびていました』
白銀の巨大竜は、明らかな大陸共通語で告げてきた。ラグナシア=エルム・ドラースがそうであったように、ラムレス=サイファ・ドラースがそうであったように、竜王にしてみれば、人語を解するなど造作もないことに違いない。眷属の竜の中にすら人語を操るものがいるのだ。その長たる竜王が理解できないはずもない。そのことそのものには驚く要素はひとつもなかったが。
「あなたが……」
「ラングウィン様……」
「なんていうか……規模が違いすぎるわね……」
映写光幕を食い入るように見つめながら、セツナたちは驚嘆を隠せなかった。映写光幕には、銀衣の霊帝ラングウィン=シルフェ・ドラースの巨躯が映り込んでいる。月光に照らされた“竜の庭”の樹海と比較するとその巨大さは凄まじいとしか言い様がない。なにせ、セツナたちを先導し、いまはラングウィンのすぐ側にいる飛竜イネイルカーラギアが豆粒のように小さく見えるくらいなのだ。イネイルカーラギアが特別小さいわけではない。ラングウィンの眷属筆頭というだけはあるのだ。なのに、イネイルカーラギアの体は、ラングウィンの頭部よりも遙かに小さく、感覚が狂った。
「ううん、もちろん知っていたんだけどさ」
「なにを?」
「三界の竜王が元々これくらい巨大だったってこと」
「なんでそれを教えてくれねえんだよ」
「大きさなんて別にどうでもいいことじゃない。重要なことじゃあないわ」
「そりゃあそうだけどよお……知ってりゃあここまで驚かなかったぜ」
「だったらなおさら教えなくてよかったわ。シーラの驚く顔は面白いもの」
「どこがだよ!」
「可愛げがあるってことは、いいことよ」
「うるせえ!」
ミリュウとシーラのやり取りが口喧嘩へと発展するのを見かねたのだろう、まずルウファが口を挟んだ。
「まあまあ、おふたりとも。竜王様の御前ですよ」
「そうよ、少しは静かにして頂戴」
そしてファリアがふたりを窘めれば、シーラがミリュウに愚痴をこぼす。
「おまえのせいだぞ、ミリュウ」
「なんであたしのせいなのよ」
「全部そうだろが」
「どこがよ」
「だからだな」
仕方なくセツナがふたりの間に割り込み、その視線を遮ったことでようやく剣呑な空気が鳴りを潜める。というのもミリュウが反射的にセツナの腕に抱きつき、シーラが唖然としたからだ。毒気を抜かれ、なにもいえなくなったシーラの様子に安堵する。
すると、外から穏やかな笑い声が聞こえてきた。
『随分と陽気な方々ばかりのようですね。この時代、あなたがたのように生きていられるものがどれほどいるでしょうか』
「そこそこいるわよ。ねえ?」
「うんうん。人間って案外しぶといからな」
「そうそう」
「そういうときだけ呼吸が合うんだな」
「なにがよ?」
「なにがだ?」
「そういうとこだよ」
セツナは、ふたりの相手をするのもなんだか疲れてきて、映写光幕に視線を戻した。広大な大地を映し出す光の幕の中、巨大竜がその威容を明らかなものにしている。銀嶺の尾根と認識していたものは、銀衣の霊帝の背や尾であり、頭部だったのだ。つまり、銀衣の霊帝は、リョフ山に並ぶほどの高山の山脈そのものといっていいほどの質量を誇り、その巨大さたるやウルクナクト号と比べるべくもない。これまで見てきたどのような生き物とも比較できるものではなく、圧倒的だった。
だが、不思議と威圧感はない。
むしろ、その柔らかなまなざしや穏やかな声音には、身も心も包み込むような優しさや慈しみを感じ取れるのであり、セツナは、不思議な感覚を抱いていた。それから、船を操縦している女神を振り返る。動力機関の上、女神はいつものように鎮座している。
「マユリ様、船を地上に降ろしてくれないか」
「いいだろう」
「どうして?」
「そりゃあ、話をしにきたんだ。だったら、互いに顔を見せたほうがいいだろう」
セツナが告げると、ミリュウのみならず、全員が納得したような反応を見せた。
ウルクナクト号を近場の開けた場所に下ろしたのち、セツナたちは、甲板に上がった。寒さを覚悟で開閉式の天蓋を開放するも、防寒着が意味をなさないほどの暖かさがセツナたちを包み込んだ。これが“竜の庭”なのだ。“竜の庭”は、常春の領域であり、この北の大地にあっても常に温暖な気候に包まれているのだという。ラムレシアにそのような話を聞いても半信半疑だったが故に寒さを覚悟したのだが、実際に体験してしまえば、多少なりとも彼女の言動を疑ってしまった自分を殴りたくなった。
そして、肉眼で見る白銀の巨竜は、迫力満点としかいいようがなかった。
セツナがこれまで目にしたことのあるどんな存在よりも巨大であり、龍府を覆ったネア・ガンディア最大の飛翔船よりも遙かに大きく、力強かった。質量が即ち力とは限らないのがこの世界の常とはいえ、これほどの巨大な肉体に莫大な力を秘めていることは想像に難くない。ラグナがそうだった。ラグナは普段小飛竜の姿を取っていたが、それは力を貯めるためであり、その力を解放したとき、小飛竜状態とは比較にならないほどの大きさになったものだ。だが、そのラグナですら、イネイルカーラギアにさえ質量で及ばないのだから、ラングウィンの巨大さとその巨躯に秘められた力たるや、想像できるようなものではあるまい。
もし、ラングウィンの協力を得られれば、対ネア・ガンディアの戦力は大きく増強されることになるだろう。とはいえ、そのためにはまず彼女が自分をここに呼んだ理由を知らねばならない。理由によっては、敵対することだってありうるのだ。
その可能性は限りなく低いと見ているが、どうか。
「はじめまして、ラングウィン=シルフェ・ドラース様。俺はセツナ=カミヤ。色々と知っておいでのようですので詳細な説明は省きますが、よろしいですね?」
セツナが問うと、こちらを見下ろすラングウィンの頭部が静かに揺れた。その挙措動作は、慈愛に満ちた声音そのもののように柔らかく、優しげだ。丸みを帯びた頭部そのものが威圧感を持たず、宝石のように輝く両目もただひたすらに美しい。
「丁寧にありがとう、セツナ。ええ、説明は不要です。こうして対面するのは初めてですが、あなたのことはよく知っていますから」
「どうして、でしょう?」
「あなたほどの有名人を知らないものはいないでしょう」
「はい?」
「あなたは、魔王の杖の護持者」
「……ああ。そういうことでしたか」
一瞬にして疑問が氷解する。
そういうことならば、納得も行くというものだ。
セツナが愛用する召喚武装は、彼によって黒き矛ともカオスブリンガーとも呼ばれているが、魔王の杖という異称で知られる存在でもあった。異世界の神々やこの世界の神たる三界の竜王にも知られ、同時に忌み嫌われるそれは、その異称の通り、百万世界の魔王の力を秘めていた。そしてその力は、邪悪にして破壊的であり、神々が嫌悪するのもわからなくはないものだった。三界の竜王の一柱たるラングウィンが危険視し、注視するのも無理からぬことだ。
「もっとも、そんなことはどうでもいいことです。あなたが魔王の杖の護持者であろうと、あなたの心根が変わらぬ限り、なんの心配もないと想っていますから」
「俺を……信用してくださる、と? なぜです?」
セツナは、疑問を抱かずにはいられなかった。
それはそうだろう。
セツナがラングウィンのことをほとんど知らないように、ラングウィンだって、セツナのことを知っているとは想えない。
だが、ラングウィンは穏やかなまなざしで告げてくるのだ。
「わたくしはあなたのことをよく知っていますよ。ラグナシアが教えてくれました」
予期せぬ一言に頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。




