第二千八百三話 竜の庭へ(六)
中央ヴァシュタリア大陸から、東ヴァシュタリア大陸へ。
ワーグラーン大陸が“大破壊”によって引き裂かれたとき、大陸北部一帯を支配していたヴァシュタリア共同体の領土は、大きく三つに分断されている。それぞれ西ヴァシュタリア大陸、中央ヴァシュタリア大陸、東ヴァシュタリア大陸と呼ばれているが、そう呼んでいるのは、リョハンのひとびとのように世界の現状を知っているものだけだろう。
多くのひとびとは、“大破壊”が起こったことは知っていても、世界の状況など知る由もないのだ。
自分たちの住んでいる場所以外の世界が滅び去ったと想っているひとがいてもおかしくはないし、そのことに絶望したところでなんの不思議もない。大陸において航海技術が発展したのは、大陸周縁部の都市においてのみであり、内陸の国々においては川船こそあれ、海を渡るような船は存在しなかった。それでよかったからだ。世界はひとつの大陸であり、すべてが地続きだった。航海技術など不要だったし、そもそも陸地さえ長大な距離を移動することも稀だった。ひとの多くは、生まれ育った都市を離れることさえなかったのだ。それでも、外部の情報が入ってこないことはなかったはずだ。陸地で繋がっているのだから。
だが、“大破壊”はそういったひとびとの日常を粉砕し、当然を打ち砕いた。大海原がすべてを別ち、ひとびとは外の情報を得ることもできなくなってしまったのだ。
ヴァシュタリア領土が三つに分断された事自体、知っている人間がどれほどいるのか。
自分たちが置かれた状況すら、正確に把握できているものは少ないだろう。
セツナたちは、そういう意味ではかなり恵まれているといえる。情報源が数多にあり、空を飛び回る手段さえ持っているのだ。遙か上空からならば、世界の現状は一目でわかる。“大破壊”がどれほどに凄まじく、絶望的なものなのかも、改めて認識するというものだ。
「ここまで来れば、後少しだそうだ」
とは、マユリ神だ。
セツナはいま、機関室にいた。
虚空に投影された光の幕――映写光幕には、世界図が映し出されており、そのばらばらになった大陸や島々がかつてひとつの大陸だったことを連想することは難しい。まるで悪い夢を見ているような気分になる。つい少し前まで、そこに映し出されるべきはひとつの大陸だったのだ。それがいまやいくつかの大陸と無数の島々に成り果てている。
「後少しってどれくらいよー」
「一日くらいか」
「なんだ、本当に後少しじゃない」
「だからいっただろう」
マユリ神が肩を竦めたのは、ミリュウのどうでもよさげな反応に対してだろう。
船は、リョハンを飛び立って既に三日が経過している。たった三日で中央ヴァシュタリア大陸を飛び出し、大陸間の大海原をも越えてきたのだ。それだけの速度を出しているということだが、それはつまり、ウルクナクト号の調子がいいということでもある。
それもこれも、マユリ神がウルクナクト号を全体的に改良し、あらゆる機能を改善した結果だ。
セツナたちがリョハンで現を抜かしている間、マユリ神は、休む間もなくウルクナクト号とリョハンを往復していたのだが、それは、リョハンで情報を得、それを元にウルクナクト号の改良に勤しんでいたからだ。リョハンが空を飛ぶことに着目した女神は、マリク神からリョハンと飛翔船に共通点があることを聞き出し、その上でリョハンの記録情報を引き出していったらしい。それによってウルクナクト号を改良する方法を思いつき、実行に移したのだという。
『改良に失敗すれば、最悪、ウルクナクト号が使えなくなる可能性もないではなかったが……そもそもが不調だったのでな』
などと怖いことをいってきたマユリ神だったが、改良に成功したことで空の旅が快適化しただけでなく、船内の様々な機能がより良いものへと進化していたものだから、セツナたちもなにもいうことはなかった。
訓練室の幻影投射機構がその筆頭だが、それ以外にも様々な面で向上が計られている。特に厨房があらゆる面で向上したことは、ゲインが泣いて喜んでおり、これからはいままで以上に腕を振るうことができるといっていた。そしてそれは、セツナたちにとっても喜ぶべきことだった。食事は、力の源なのだ。美味いに越したことはない。
「ねえ、あれ……なにかしら?」
「あれ?」
「なんだ?」
ファリアが指し示したのは、映写光幕のひとつだ。
機関室内にはいくつもの映写光幕が展開されているのだが、そのほとんどは船外の様子を映し出したものだ。マユリ神には不要なものだろうが、セツナたちが機関室にいることから外部の光景を映し出してくれているらしい。そのほとんどには、ウルクナクト号とともに飛ぶ飛竜たちの勇姿が映り込んでいるのだが、そのひとつ、進行方向の風景が描き出された映写光幕に猛然と接近してくるものがあったのだ。
それは光だった。
一面の雪景色と灰色の空、その狭間を貫くようにして迫り来る光の塊。まばゆい光を撒き散らしながら、ウルクナクト号に向かって一直線に迫ってくる。
「敵じゃないの?」
「いや、あれは……」
『出迎えだ』
機関室に響いたのは、ラムレシアの声だった。
「出迎え? だれのよ」
「ラングウィン様じゃないかしら」
「なんでよ」
「なんでって、そりゃあラングウィン様が呼びつけたのよ?」
「ああ、そっか」
「それにユフィはラムレシア様と面識があるわけだし、出迎えくらい寄越したっておかしくないわ」
ファリアの推論は、そのまま正解だった。
ウルクナクト号に激突しそうなほど勢いと速度で突っ込んできた光は、船の目の前で急停止すると、全身を包み込んでいた光を消し去り、その正体を明らかにした。それは、どこからどう見ても飛竜だった。しかも銀色の鱗に覆われた飛竜であり、そのことからも銀衣の霊帝となんらかの関わりを持っていることが窺い知れる。
緑衣の女皇の眷属が緑の鱗だったように。
蒼衣の狂王の眷属が青の鱗だったように。
長い首に一対の飛膜、長い尾を持ち、二本の足は強靱そうだ。映写光幕で見る分にははっきりとはわからないが、おそらくは人間よりも遙かに巨大だということは想像に難くない。全体的に丸みを帯びていて、どこか柔和な顔つきがラムレシアの眷属とは大きく異なるように思えた。
『彼はイネイルカーラギア。ラングウィンの眷属筆頭だ』
「ケナンユースナル様みたいな?」
『そうだ』
かくいうケナンユースナルといえば、ラムレシアの眷属の一部を率い、リョハンの防衛に当たってくれている。眷属筆頭は、竜王に次ぐ地位なのだ。眷属たちを任せるには、彼以上の適任者はいないということだ。そして、ラングウィンの眷属筆頭がセツナたちの前に姿を現したということも、ラングウィンの代理人として、なのだろう。
『ラングウィンの居場所まで、彼が案内してくれるそうだ』
「それはありがたいな」
『確かにな。ラングウィンの眷属は温和だが、眷属以外はそうもいかないからな。彼の案内がなければ、攻撃される可能性もある』
「どういうことよ?」
予期せぬ発言にミリュウが映写光幕のひとつを睨んだ。それまで外の風景を映していた映写光幕が、ラムレシアの姿を捉えたのだ。
『ラングウィンの眷属以外も住んでいるということは話しただろう』
「人間や皇魔が攻撃してくるってこと? そんなこと、ありうるの?」
『可能性の話だ。ほとんどありえないことだが、ないとは言い切れまい』
「そういうことね。理解したわ」
ミリュウは納得したようにいった。
イネイルカーラギアは、ゆっくりと船に背を向けると、急接近したときとは異なる悠然とした速度で飛翔し始めた。それでも全身が淡い光を放っており、それが彼の体質なのだろうと理解した。
まるで流星のような飛竜に導かれ、セツナたちを乗せた船は空を行く。




