第二千八百二話 竜の庭へ(五)
龍神ハサカラウについて、ルウファが知っていることといえば、リョハンを旅立ったセツナたちが帝国領土への道中立ち寄ったザルワーン島で相対した神であり、激闘の末、どういうわけか味方になったということだ。そして、セツナたちが帝国領土に向かっている間、ザルワーン島を護ってくれており、ネア・ガンディアの侵攻によってあえなく制圧された際、ネア・ガンディアに捕らえられていたところをセツナが救出し、それ以降、行動をともにしているという。
そして、第三次リョハン防衛戦において、ネア・ガンディアの神々を受け持った重要戦力の一角を担ったということ。
そういう意味では、ハサカラウ神は、必要不可欠な存在だったということだ。
「ひとつ言い訳をするとだな」
翼と手足の生えた蛇のような龍神は、威厳に満ちた態度でそんなことを口走ってきた。そして、想わぬことを告げてくる。
「シーラが悪いのだ」
「シーラが?」
「うむ。話せば長くなるが……聞いてくれるか。くれるな。よかろう」
「えーと……」
「我とシーラの出逢いは強烈であった……」
一方的に話し始めた龍神の勢いに押し切られ、ルウファは、やや茫然としながらその話に耳を傾けた。傾けざるを得なかった、というべきだろう。無視することも黙殺することも不可能ではなかったが、ハサカラウ神は、どうやらセツナたちと行動を共にする味方のようなのだ。これから長い付き合いになるかもしれない。そうである以上、あまり邪険にして、険悪な関係になるのは避けたかった。
それに、龍神とシーラの関係について、知っておくべきこともあるかもしれない。
そう想ったのも束の間、ハサカラウ神の話は、特筆するべき内容もなかった。
ザルワーン島におけるシーラとの邂逅および激闘がハサカラウ神の心の琴線に触れ、ハサカラウ神をしてシーラを自分の神子にしたいという欲求に駆られただという。それ以来、ハサカラウ神は、シーラを神子にするべく悪戦苦闘の日々を送っているというが、シーラからしてみれば迷惑以外のなにものでもないのではないか、と、ルウファは想った。
彼女は、神の使いになどなりたくもあるまい。セツナの側にいて、セツナとともに戦い、セツナとともに過ごすことが彼女のすべてだ。おそらくは、だが、そこに間違いはないだろう。シーラだけではない。セツナの周囲にいる女性陣はだれもがそうだ。だれもがセツナとともに在ることに命を懸けている。それを邪魔されて、気分の良いはずもないのだ。
「この姿も、シーラに気に入られようと色々模索しての結果なのだ」
「神様も大変ですね」
「うむ……ひとの心というのは、まったく理解ができぬ」
「神様ってひとの心を読めるんじゃないんですか?」
「読める。読めるが、これでシーラの心を読み、正解を知ってしまっては、なんというか、つまらぬだろう」
「……そうですか」
むしろ、一刻も早くシーラの本心を知り、シーラから手を引いて上げて欲しいと想うのだが、知ったところで神は手を引かないかもしれない。ハサカラウ神にしてみれば、ようやく見つけた神子に相応しい人材だというのだ。シーラがどれほど嫌がろうと、自分の神子にしてみせると息巻いている。もっとも、強制的に神子にしないだけ、良心的ともいえるのだが、神と神子という立場を考えれば、当然のことなのかもしれない。
ハサカラウ神のいう神子とは、神と信徒たる人間の間を執り成す存在であり、神の言葉、神の意向を信徒に伝え、信徒の要望、願望を神に伝える役割を担うものだという。それだけ重要な人物である以上、選定は慎重でなければならず、自身と波長のあう人間でなければならないのだそうだ。つまり龍神は、シーラとは波長が合うと想っているということだが、それが本当かどうかは、ハサカラウ神のみぞ知るといったところだろう。
シーラには可哀想なことだと想うが、かといって、ルウファになにができるかというと、なにもできないのが現状だった。なにをいったところで、龍神は聞き入れまい。
「故に我は我のみの力でシーラを我が神子としてみせることに全力を注ぐのだ。それでこそ、神というものだろう」
「そうなんですか」
「……我のことなどどうでもいい、とでもいわんばかりよ」
「そうでもありませんが……」
とはいうものの、実際には図星そのものであり、龍神は、ルウファの心中を察したといわんばかりに目を細めた。そして、嘆息するように告げてくる。
「怒りか」
「……ええ、まあ」
肯定し、龍神の目を見つめる。宝石のような金色の瞳。神の力の片鱗を感じ取ることができるのは、リョハンにおいて神に仕えていたからなのか、どうか。
「汝がなにに対して怒り狂っているのかは察しがつく。まあ、わからんことではない。彼奴らは、蹂躙者よ。なにもかもを蹂躙し、嬲り、貪り、奪い尽くす。そして、すべてを己らのものへと作り替え、支配する。それが彼奴らのやり方、彼奴らの在り方といってもいい」
「蹂躙者……」
「だがな、ルウファよ」
龍神は、後ろ足だけで立つと、前足で器用にも腕組みしてみせた。もしかすると、前足ではなく、腕なのかもしれない。
「怒りに身を任せるべきではないと想うぞ」
ルウファは、なにもいえなかった。怒りは、いまもなお心の深奥に渦巻いていて、ちょっとした拍子に表層に現れ、暴れ回る。ネア・ガンディアへの、獅子神皇への、そして、無力な己自身への、限りない怒り。どす黒く、燃えたぎるような激情。そればかりは、どうしようもない。
「怒りは、確かに力を引き出すだろう。それこそ、命の限り、力を引き出すきっかけとなろう。怒りが力の制御を取り払い、すべてを解き放つ。さすれば、限界を超えた力を発揮することも容易い」
「良いことずくめじゃないですか」
「なにをいう」
龍神は、呆れ果ててものもいえない、といった態度だった。
「怒り狂った結果、状況を見誤り、命を落としかけたのがセツナだぞ」
「隊長が?」
ルウファは、想わぬ話に驚くほかなかった。
「初耳だな……そんな話」
「ならば、聞かせてやろう。あやつが怒りによって己が身を滅ぼしかけた、そのときのことを」
そして、龍神は、ザルワーン島での出来事を訥々と語り始めた。
ルウファは、初めて聞く話に驚きばかりを覚えた。
「怒りに身を任せ、感情の赴くままに力を引き出すというのは、結局は寿命を縮めるだけのこと。そのこと、努々忘れるでないぞ」
説教で以て話を締めくくった龍神は、空中に浮かび上がると、威厳に満ちた足取りで彼の前から去って行った。その後ろ姿に向かって、ルウファは頭を下げる。
「ご忠告、感謝致します」
龍神が船内に消えていくのを見送った後、彼は、その場に倒れ込むようにして寝転がった。視界には、透き通った天蓋の彼方に広がる青空が映る。
(じゃあ、どうすればいいっていうんです?)
彼は、胸中、つぶやいた。
怒りが力を引き出すというのであれば、ルウファにとってこれ以上好ましいものはない。ルウファは、ネア・ガンディアと戦うためにこの船に乗り込んだのだ。ネア・ガンディアを滅ぼし、獅子神皇を討ち斃すためにこそ、ルウファはここにいる。そのための戦力の一角を担う、ただそのためだけにだ。
だが、それにはいまのルウファでは力不足だった。
いくつもの死闘を潜り抜けてきたファリアたちとは、明らかに力の差があるのだ。
ただ日常的に鍛錬を繰り返すだけでは得られない経験が、ファリアたちを強くしている。
せめて、彼女たちに追いつかなければ、戦力にもなれないのだ。
そのためには、怒りに身を焦がすのが手っ取り早いのではないか。
とはいえ、ハサカラウ神の忠告も事実なのだろう。
怒りに身を任せた結果、身を滅ぼしかけたセツナの話は、教訓としてはあまりにも説得力があった。
セツナほどの力をもってしても、一時の激情に身を任せては、どうにもならないということだ。
ルウファは、途方に暮れた。




