第二千七百九十九話 竜の庭へ(二)
“竜の庭”への旅に赴くウルクナクト号に乗っているのは、セツナを始めとするいつもの面々だ。
リョハンの戦女神ファリア=アスラリアは、ミリアに再び戦女神の代理をしてもらうことで、旅に同行することが可能となった。リョハンにいる間は戦女神に相応しい働きをし、代理では処理できなかった問題をいくつも片付けたという。そしてなにより、ファリアの健在ぶりをリョハン市民に明らかにしたことは、リョハンの人心を大いに落ち着かせたようだ。
これならば、またしばらく戦女神がリョハンを不在にしても問題はないだろう、とは、ファリアの弁だが。
そのファリアの護衛として、ルウファ=バルガザールが同行している。
加えて、ミリュウ=リヴァイア、レム、シーラ、エリナ=カローヌ、ウルク、エスク=ソーマ、エリルアルム=エトセアとエリルアルム率いる銀蒼天馬騎士団がウルクナクト号の戦闘要員だ。
ネミア=ウィーズ、ミレーヌ=カローヌ、ゲイン=リジュールの非戦闘員にエミル=バルガザールが加わっている。
レオナとレイオーンは、リョハンにて保護してもらうことになった。レオナは当初こそセツナの旅に同行することを強く望んだが、セツナの根強い説得によってリョハンに留まることを了承してくれた。ウルクナクト号は、戦場から戦場へと飛び回る可能性がある。そうである以上、いくら船の中が安全とはいえ、レオナを乗せておくことには不安があった。
リョハンは、極めて安全だ。
マリク神の守護結界は強力であり、三十隻の飛翔船による一斉砲撃でもない限り、破壊されることはない。そして、リョハンが飛翔船も届かない高空に浮かび続けることができるのであれば、そういった脅威に曝される心配もないのだ。そうなれば、この世で一番安全な場所になるだろう。少なくとも、ウルクナクト号よりは遙かに安全だ。
『セツナよ。無事に帰ってくることを約束するのだ』
別れ際、レオナは、セツナにそう強く望んだ。セツナは約束に応じ、必ず無事な姿を見せると断言した。ラングウィンに逢い、話し合うだけのことだ。ラングウィンが敵に回らない限りは、なんの問題もないだろうし、そして、敵に回る可能性は限りなく低い。
なにせ、ラングウィンは、三界の竜王なのだ。
三界の竜王は、イルス・ヴァレの古代の神のような存在であり、世界を正常化することを望んでいるはずだった。そうである以上、世界を蝕む敵と戦うセツナたちを攻撃してくるようなことは、あるまい。
「とは、想うが」
「心配することはないわよ。ユフィがいっていたもの」
ファリアが信じ切った表情で告げてきたのは、船首展望室でのことだ。
船首展望室は、その名の通り、ウルクナクト号の進行方向を展望することができるため、飛行中、乗船員の溜まり場となることが少なくなかった。広い室内。船外の風景を映し出す窓がそこかしこに存在するが、その窓から覗くのは辺り一面の海だった。
ウルクナクト号は、既に中央ヴァシュタリア大陸を離れ、大陸間に横たわる大海原、その上空を渡っていた。
「ラングウィン様がセツナを呼んだのは、セツナを害するためじゃないわよ」
「そりゃあユフィーリアのことは信じられるけど」
セツナの左隣で訝しげな顔をしたのは、ミリュウだ。その隣では、エリナが窓を覗き込んでいる。見渡す限りの大海原には、これといった変化は見受けられない。しかし、エリナはどこか楽しそうだ。海を見るのが好きなのかもしれない。と、セツナの視界にミリュウの顔が入り込んでくる。彼女は、ファリアを見ていた。ファリアは、セツナの右隣という定位置に座っている。
「ラングウィンの本心は不明のままじゃない」
「それは……そうだけど」
「本心では、俺を殺そうとしているかもしれないって?」
「別にそこまでは考えてないけどさ……でもでも、セツナに用事があるっていうのならさ、ユフィーリアに伝えておいてもよくない? って想ったのよね」
「ま、ラングウィンにはラングウィンの考えがあるんだろうし、俺は俺を助けてくれたラムレシアを信じるさ。ファリアの親友だしな」
「セツナ……」
「むー……あたしは心配してるだけなのに……」
「心配はありがたいがな」
セツナは、心からいった。ミリュウだけではない。だれもが自分のことを心配し、案じてくれている。それも自分が頼りないからではない。セツナが強いことは知っていて、それでも不安を覚えざるを得ないのが現状なのだ。
「案ずるより産むが易しっていうだろ。ろくな情報もないまま考え込んだって、いいことなんてないさ」
「そうかもしんないけどさ。なんだか不安なのよ」
「もし万が一、そんなことがあったとして、俺が負けると想うか?」
「むー……そういわれると、返す言葉もないじゃない」
「そうだな、セツナが負けることなんてねえよな」
シーラが力強くうなずいた。
すべての戦いに勝利してきたわけではないし、古の神とでもいうべき三界の竜王の一柱、銀衣の霊帝ラングウィン=シルフェ・ドラースがどれほどの力を持っているのかは未知数だが、完全武装が深化を始めたいま、竜王が相手といえど負ける気がしなかった。六柱の神と融合した獅徒を圧倒したという事実がある。そして、六柱の神を滅ぼし尽くすことができたのだ。
並の神ならば、戦える。
それどころか、圧倒し、滅ぼすことさえ不可能ではない。
竜王が並の神以上の力を持つ存在だということは明らかだが、だとしても、いまのセツナが負ける要素はなかった。
ラングウィンの力が想像を遙かに超えるものであるというのであれば話は別だが。
そういう話は、いまのところラムレシアからも聞いていない。
ちなみに、ラムレシアもこの旅に同行している。
というより、“竜の庭”への案内をしてくれているといったほうが正しい。
ラムレシアは、ウルクナクト号を先導するように空を飛んでいた。ラムレシアだけではない。ラムレシアの眷属たる飛竜たちがウルクナクト号を取り囲むように編隊を組み、ともに飛んでいるのだ。
天翔る飛竜たちの姿は、時折、船窓に映り込んだ。
竜属とともに“竜の庭”へ向かっているのだ。
万が一にも領空侵犯を咎められ、攻撃されるようなことはあるまい。
その点、セツナは極めて楽観的だった。
ルウファは、空を仰ぎ見ていた。
ウルクナクト号の甲板。半透明の天蓋の向こう側、無窮の彼方まで続く青空が広がっている。雲ひとつなく、太陽だけが輝いている。冬の空。しかし、凍てつくような冷気が身を包むことはない。ウルクナクト号の中は、寒さとは無縁だった。甲板上ですら、気温を調整する機能が働き、防寒着を煩わしいものとしていた。だが、この暖かさに慣れるのは危険だった。つぎの目的地もまた、極寒の地なのだ。もしかすると、リョハンよりもさらに気温の低い場所かもしれない。
大陸は、北へ行けば行くほど寒いものだ、という話を聞いたことがある。
ワーグラーン大陸が存在し、小国家群が歴史を紡いでいた時代小国家群の最北の国ですら、雪国と呼ばれた。ベノアガルド、マルディア辺りは、冬になると国境を雪と氷に閉ざされ、近隣諸国との交流すら不可能になったのは事実だ。そして、それよりさらに北となると、さらに酷いものだった。
ヴァシュタリア共同体の勢力圏の中でも北部は、年中、雪に包まれ、氷に覆われているといい、リョハンもそれに近いものがあった。年の大半が冬といっても過言ではなく、最初の一年は、その寒さに慣れるのに大変だったことを覚えている。
(なんで……そんなことを?)
ルウファは、甲板に仰向けに寝転がったまま、ぼんやりとつぶやいた。
自問が虚空に溶けていく。




