第二千七百九十八話 竜の庭へ(一)
“竜の庭”。
銀衣の霊帝ラングウィン=シルフェ・ドラースとその眷属たる竜属の住処であるところのそれは、東ヴァシュタリア大陸北部にある。
方舟ウルクナクト号が“竜の庭”を目指し、リョハンを旅立ったのは、十一月十四日のことだ。
セツナは、十二日をウルクのために費やし、十三日は、リョハンの今後の方針に関わる重要な会議が行われたため、それに参加している。
リョハン大会議と称された会議に参加したのは、御山会議のみならず、戦女神ファリア=アスラリア、戦女神補佐ミリア=アスラリア、六大天侍、護峰侍団長および各隊長、神々、ラムレシア=ユーファ・ドラース、そしてセツナだ。
リョハン大会議において主な議題となったのは、当然のことながら、ネア・ガンディアの動向に対するリョハンの対応策であり、リョハンの今後の身の振り方についてだった。もっとも、それは既に決まっていて、食料物資の確保次第、ネア・ガンディアの飛翔船も届かない高度に浮上、その高度を維持しながら戦いが終わるのを待つという結論に反論の余地はなかった。
なぜならば、地上にあればネア・ガンディアとの戦いは避けられず、徹底抗戦するには戦力が圧倒的に足りないからだ。かといって、降伏したところでどうなるものでもないのもまた、明らかだ。ネア・ガンディアの軍門に降れば、それで市民の幸福が約束されるというのであれば、考慮の余地もあろうというものだが、それはない、とセツナは断じた。
『ネア・ガンディアは、人類の敵だ』
ネア・ガンディアの支配者、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアは、一度死んだ人間であり、聖皇の力によって神々の王として復活を遂げた存在である、と、いうことを大会議の場で明らかにした。当然、大会議の参加者はだれもが驚き、信じられないという反応を見せた。神々の王を名乗る以上、それなりの力を持った存在であることは想像していただろうが、まさか、聖皇の力を受け継いだ存在だとは想定の範囲外だったのだろう。
神々やラムレシアさえ、セツナの発言に大いに驚いていた。
セツナが、レオンガンドの正体について発言するのは、これが初めてだった。ヴィシュタルから真実を聞いて以来、だれにも話してこなかったことだ。それは、セツナ自身、飲み下し、認めるのも困難なことだったからにほかならない。心の底より尊敬し、信頼していた偉大な王が、いまや聖皇の力の器に成り果てているという事実は、受け入れがたいものがあった。だが、現実にその強大な、いや絶対的な力を目の当たりにした以上、認めざるを得ない。
あれは、レオンガンドだったが、レオンガンドではなかった。
レオンガンドの姿をした別のなにかだった。
レオンガンドであり、レオンガンドならざるもの。
故にセツナは、それを獅子神皇と呼称した。レオンガンドではなく、獅子神皇と呼ぶことで、別の存在であると心と頭を誤魔化そうとしたのだ。無論、そんなことで誤魔化せるものではないが、だとしても、多少は冷静でいられた。その冷静さこそ肝要であり、重要だった。
『獅子神皇を討ち滅ぼさない限り、この世界に未来はない』
とも、いった。
そのために自分がいて、黒き矛があるのだ、とも。
黒き矛カオスブリンガーは、魔王の杖と呼ばれる。
百万世界において唯一無二の敵と呼ばれる魔王、その力の片鱗たる魔王の杖は、神を滅ぼす力を持つ。実際に神を滅ぼしている以上、その力を疑う道理はない。魔王の杖ならば、神々を討ち滅ぼすように神々の王たる獅子神皇を討ち滅ぼすこともできるはずだ。
ただし、そのためには数多の神々に護られたネア・ガンディアの国土へ乗り込み、それら神々を退けた上で獅子神皇と対峙しなければならない。神々だけではない。神人や獅徒を始めとする膨大な戦力がネア・ガンディアには存在する。それら戦力を相手取り、戦い抜くには、現有戦力ではどうしようもないのだ。
戦力の充実が必要不可欠だった。
それも並の戦力では駄目だ。ただの武装召喚師では、戦力に数えられないのは、先の戦いでも明らかだった。獅徒ひとりにすら、武装召喚師二千五百人が手玉に取られ、五百人が命を落とした。圧倒的な力量の差がある。こればかりは簡単に埋められるものではない。
絶望的というほかない。
それでも、諦めるわけにはいかないのだ。
ここで諦め、獅子神皇の存在を許せば、世界は混沌の闇に沈むだろう。
獅子神皇が聖皇の力の器であるという事実がある限り、世界の滅亡は避けられない。
いや、たとえ獅子神皇が世界に安定をもたらしたところで、どうにもならない現実がある。
世界は、既に滅びに瀕しているのだ。
神々の力が世界を蝕み、変え始めている。
白化症や結晶化という形で、世界が神威によって侵され、変容しているのだ。
獅子神皇ならば神々に号令し、止められるはずだというのにだ。
神威による侵蝕、変容が止まっていないということは、獅子神皇にとって世界の変容など些細な問題であり、どうでもいいことなのかもしれない。
それはそうだろう。
彼は、もはや人間ではない。
神々よりも上位の存在なのだ。
世界の有り様など、見ていないのではないだろうか。
だから、世界が滅び行くのを放置しているのではないだろうか。
その後、リョハン大会議が紛糾したのは、いうまでもない。
ネア・ガンディアに対抗するための戦力をどう確保するのか、そもそも、それだけの戦力を掻き集めることができるのか。できたとして、ネア・ガンディアと正面切って戦うことなどできるのか。様々な疑問が湧き、議論が戦わされた。が、結局のところ、結論らしい結論が出ることはなかった。
当然のことだ。
リョハンのひとびとにしてみれば、結論の出しようもないことなのだ。
ネア・ガンディアに対抗するだけの戦力を集めるのは、だれが見ても困難を極めることだろう。それは、セツナたちにだってわかりきっている。現状の戦力では、どうにもならないこともだ。だから戦力が必要なのだが、その戦力のあてもない。
結局、大会議の出した結論というのは、リョハンは、ネア・ガンディアが滅びるまで逃げ続けるということと、できる限り、打倒獅子神皇に協力するということだった。
もちろん、セツナとしてはそれだけでありがたかったし、嬉しいことだった。
そのリョハンの協力の第一歩として、“竜の庭”への長旅に同行することになった人物がいる。
「これが噂のウルクナクト号ですか」
「訓練施設に食堂に厩舎まで、なんでもあるぞ」
「至れり尽くせりですねえ」
セツナは、ウルクナクト号の船内を案内しながら、なんともいえない懐かしさの中にいた。
ルウファ=バルガザールとエミル=バルガザールのふたりが、この旅に同行することになったのだ。
それというのも、大会議の後、ルウファがファリアに直訴したのだ。その際、ルウファは、六大天侍の立場を辞し、自由の身となってセツナたちに同行することを申し出ている。ミリュウという前例に倣ったのだろうが、ファリアはそれを許さなかった。
それもこれも、ルウファとエミルの将来を考えてのことだ。
すべてが終わった後もリョハンで暮らすことになるだろうふたりのためには、ルウファは六大天侍のままであるほうがなにかといいはずだからだ。そのため、ファリアは、戦女神の権限を駆使し、リョハンからの協力の第一歩として、ルウファに旅の同行を命じた。戦女神の命令ならば、大手を振ってセツナたちに協力することができる。
ルウファは、ファリアの配慮に心の底から感謝し、戦女神への忠誠を新たにした。
ちなみに、ミリュウのときになぜそうしなかったのか、といえば、たとえ戦いが終わったとしても、ミリュウならばセツナの側を離れないだろうからだ。セツナがリョハンに住み着くかどうかわからない以上、ミリュウを天侍の座に縛り付けておくべきではない。
そういう配慮が、ミリュウとルウファの現在の境遇を分けている。
が、その点について、ミリュウにはなんの不満もなさそうだった。
ミリュウにとっては、七大天侍という肩書きは、リョハンにいる間の仮初めのものに過ぎず、リョハンもまた、セツナと再会するまでの仮宿に過ぎなかったのだ。




