第二千七百九十六話 それぞれの望み、そして(一)
十一月十二日を迎えた。
昨日、ウルクナクト号でのシーラとの鍛錬を終えたあと、マユリ神に挨拶し、リョハンに戻ってきている。その日一日、セツナはシーラのものということもあって、ミリュウもレムもどこにいっていたのかと問い質してきたりはしなかったものの、セツナたちが不在の間、いろいろな可能性を考えていたらしいことはわかった。だからどうだ、ということはないが。
そしてそのままなにごともなく夜を迎え、朝になった。
十二日は、ウルクの番だった。
ミリュウ、レム、シーラに続く四人目であり、約束を交わした最後の相手となる。
セツナは、前の晩から、ウルクがどのようなことを自分に願い、望むのか、様々な想像を巡らせたものだった。
ウルクは、人間ではない。ひとの手によって作られし、戦闘兵器・魔晶人形。奇跡的に自我が発現した彼女には、確かに感情があり、セツナに対し並々ならぬ好意、愛情を抱いてくれていることは確かだ。その愛情の深さたるや、セツナのためならば自分を破壊することを厭わないくらいのものであり、その想いの強さに関しては他の追随を許さないものがある。
そんな彼女だが、ミリュウやレムのようにセツナとのひとときを望むのかどうかについては、疑問があった。彼女は、確かに感情を獲得し、精神的な成長を続けてはいる。しかし、人間的な感性を持ち合わせているかというと疑問の残るところだったし、彼女が人間と同じようなことを望み願うかどうかについても、よくわからないところがあった。
そんな朝のことだ。
セツナの寝室を訪れたのは、レムではなく、ウルクだった。
「おはようございます、セツナ。御機嫌はいかがですか?」
ウルクは、レムが用意した彼女用の女給服を身につけている。
「おはよう、ウルク。なんの問題もないよ。ちょっと筋肉痛だが……」
全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げているのは、もちろん、昨日の鍛錬のせいだ。シーラとの数時間に及ぶ鍛錬は、激闘に次ぐ激闘であり、全身のありとあらゆる筋肉を駆使したものだった。筋肉痛になるのも当然だったし、覚悟していたことではある。どうせなら、マユリ神に治癒してもらえばよかったのではないか、といまさらのように想う。
「筋肉痛ですか」
ウルクが不可解とでもいうような態度で、発言する。筋肉がなんであるかについてこそ知っているだろうウルクも、筋肉痛がどのようなものなのかはまったく理解できないのだ。当たり前だ。彼女の体は、機械仕掛けの金属製であり、人間を始めとする動物とはまったく異なるものなのだ。
「ウルクにはわからないだろうな」
「はい」
「……まあ、だいじょうぶだ」
そういって、セツナは上体を起こした。全身の至る所で悲鳴が聞こえてくるようだったが、呼吸を整え、黙殺する。シーラとの鍛錬時にまったく使わなかった戦竜呼法だが、こういうときにこそ役に立つ。竜属特有の呼吸法である戦竜呼法は、人間が使えば、身体能力を最大限に引き出すことが可能となるのだ。そしてそれはただ戦闘能力を高めるだけではない。肉体が持つ自然治癒力を向上させることもできるという。
いまさらでは、あるが。
そんなときだった。
「セツナ」
ウルクが、話を切り出してきた。
「ん?」
「今日は、わたしの願望を聞き届けてくれるとのことですが」
「ああ。なんでもいいぞ。俺にできる範囲なら、だが」
「……それについて、相談があります」
「相談?」
セツナは、ウルクの予期せぬ発言に怪訝な顔をした。
「現状を鑑みると、いますぐリョハンを離れることは不可能だと想うのですが、いかがですか?」
ウルクがそう問いかけてきたのは、セツナが寝間着から着替えてからのことだ。分厚い防寒服に袖を通せば、少しは寒さをしのげるが、それでは物足りず、暖炉に火を入れている。早朝。室内は冷え切った空気で満たされている。
「……無理だな。ウルクナクト号に行くくらいなら……今日行って帰ってこられる範囲ならなんの問題もないが、それ以上はいまは、無理だ」
「そうですか。では、致し方ありません」
ウルクが残念そうにいった。
「おまえ、どこか行きたいところがあるのか?」
「はい」
静かにうなずいたウルクの顔つきは、相も変わらぬ無表情なのだが、決然たるものを感じさせるなにかがあった。魔晶石の目は淡く輝き、まっすぐにこちらを見ている。弐號躯体。壱號躯体よりもさらに洗練され、美しさを増したそれは、もはや人の手によって作られたものとは思えなかった。それくらいに完成度が高く、息を呑むほどに美しい。だからだろう。どんな格好をしても似合ってしまうのだ。たとえ女給服を身につけていても、着こなしてしまう。完璧に等しい美しさがそこにある。
彼女を連れて歩いていると、道行くだれもが彼女に目を留め、息を止めてしまうほどなのだ。
「ミドガルドに逢いに行きたいのです」
「ミドガルドさん……?」
セツナは、思わずウルクの目を見つめ直した。ミドガルド=ウェハラムは、いわずもがな、ウルクの生みの親だ。神聖ディール王国の魔晶技術研究者であり、ウルクの研究開発を完成させることに執念を燃やしていた彼は、そのためだけにセツナに近づき、ウルクをセツナに預けるといったことすら平気で行った人物だ。自身の研究こそが最優先であり、それ以外はどうでもいいとでもいわんばかりの人物だが、ウルクを実の娘のように愛していたのは確かだ。そして、その愛情は、ウルクに届いていたはずだ。
「ミドガルドさんの居場所、わかっているのか?」
「はい。ミドガルドは、いまもディールの研究施設にいて、わたしが来るのを待っています」
「どうして、それがわかったんだ?」
「イルとエルが教えてくれました」
「イルとエルが……?」
予想だにしない返答に驚かざるを得ないが、同時に疑問も生まれる。どうやって、イルとエルがウルクに情報を伝えるというのか。イルとエルは、ウルクのように喋ることができないのだ。といって、筆談ができるというわけでもない。しかし、セツナがその疑問を口にするより早く、ウルクが話を進めてしまった。
「イルとエルは、ミドガルドが世界中に派遣した魔晶人形のうちの二体です。ミドガルドは、自分の居場所をわたしに伝えるための手段として、魔晶人形たちを使ったようなのです」
「それで……そのうちの三体がリョハンを目指していたのか。リョハンは、俺たちと関わりがあるから……」
ミドガルドは、ファリアがリョハン出身であり、戦女神ファリア=バルディッシュの孫娘であることを知っていた。故に、“大破壊”後、セツナたち一行のうちのだれかが、その伝手でもってリョハンにいる可能性を考慮して、ウルクへの伝言を託した魔晶人形をリョハンに向かわせた可能性は高い。
「リョハンだけではありません。わたしを探し出すため、世界中に派遣されたのです」
「ふむ……」
つまり、ミドガルドは、“大破壊”後の混沌とした世界からウルクを見つけ出すためにあらゆる手段を講じた、ということだろう。
「しかし、イルとエルは、リョハンを目前にして副心核の機能不全により、全機能が停止してしまったようです。つまり、ほかの魔晶人形も目的地に到達することなく機能停止状態に陥っている可能性が高いでしょう」
「うん? 副心核?」
「わたしの心核は黒魔晶石がひとつだけですが、イルとエルを始めとする量産された魔晶人形には、主心核と副心核というふたつの心核が搭載されているようなのです」
「へえ……なんでまた」
「セツナがいなくても動けるように、です」
「……なるほど」
その一言で、予てより抱いていた疑問が氷解した。




