第二千七百九十五話 それぞれの望み(八)
「しかし……」
セツナは、虚光剣の柄を見つめ直した。確かに虚光剣はこれまでの幻影投射機構による鍛錬に新しい風を呼び込むものだが、問題がある。それは、虚光剣はその名の通り剣だということだ。だれもが剣の使い手ではないのだ。セツナは主に矛を使うし、シーラだって斧槍の使い手だった。ファリアに至っては弓を使う。これでは、身体能力を鍛えることはできても、武器の技術を磨くことはできない。
そんなセツナの考えなど見透かしていたとでもいわんばかりに、女神は笑う。
「剣だけと想うたか? 槍も斧も弓も、なんでもあるぞ」
いうなり、女神は柄と同じ材質で出来た長い柄や弓などをずらりと床に並べて見せた。柄の大きさや形状などから判別するに、剣のほか、短剣、両手大剣、槍、手斧、大斧、棍棒、弓、鞭など、彼女のいうとおり様々な種類の武器に対応してくれているようだった。
「至れり尽くせりだな……」
「頭が下がるよ、マユリ様」
「だが、虚光剣の価値は、これだけではないぞ」
マユリ神は、どこか誇るようにいう。
「え?」
「なにがあるんだ?」
「まずは、わたしのいうとおりにしてもらおう」
「お、おう」
「なんだ?」
セツナとシーラは、互いに顔を見合わせたのち、マユリ神にいわれるがまま、幻影投射機構の前で向かい合って立った。すると、女神は幻影投射機構を起動し、設定を入力、訓練を開始した。幻影投射機構から光が拡散し、虚光剣の柄から光の刀身が発生する。しかし、敵となる幻影の姿はなかった。
「これは?」
「なにをしたんだ?」
「なにをぼけっとしている。おまえたちはいま、敵同士だぞ」
「は?」
一瞬、女神がなにをいったのか理解できなかったが、幻影投射機構が虚空に投影している設定画面に視線を向け、見直したことで把握する。形式・対戦、人数・一対一、といういままでになかった設定項目が表示されていた。当然、幻影の種類などの設定はない。あるのは、制限時間、対戦形式、持ち点といった設定だ。今回、制限時間は無限に設定され、対戦形式は無差別、持ち点は無に設定されている。疲れ果てるまで遠慮なくやりあえ、ということだろうか。
「……なるほど。つまり、幻影ではなく、実体を持った相手と訓練することができるってことか」
「……それなら、機材を使う必要なくねえか?」
シーラの疑問ももっともだ。人間同士の鍛錬ならば、わざわざ幻影投射機構を用いるまでもない。
「なんのために虚光剣があると想っている。まずはそれで斬りつけてみよ」
「ん……?」
「こう……か?」
シーラが、おそるおそるといった様子で虚光剣の切っ先でセツナを斬りつけた。当然だが、幻影の光がセツナを傷つけることはなく、右肩から体を擦り抜け、脇腹の辺りを通過する。通過する間、セツナの体に違和感が生まれるようなこともなかった。なんの問題もなく、擦り抜けたのだ。シーラは、虚光剣を翳し、うなずく。
「……うん」
「そうなるよな……これが?」
「察しが悪いな」
マユリ神は、少しばかり呆れたようにいった。
「木剣ならば相手に当てるのを躊躇しかねないだろう? いくら訓練用に防具を身につけたところで、どこかに遠慮が生まれる。全身全霊で打ち込めない。違うか?」
「……そういわれりゃ、そうだな」
「うむ」
「だが、虚光剣は相手を傷つける恐れがない。全力で切り裂いたとしても、残るのは記録だけだ」
ふと思い至り、セツナは、手にした虚光剣の刀身でもってシーラの虚光剣に触れてみた。青白い光の刃は、接触すると、確かな感触があり、まるで実際にそこに存在しているようだった。幻影の人間を切り裂いたときと同じだ。幻影同士では干渉し合うのだろう。つまり、虚光剣はなにもかもすべてを擦り抜けるわけではないということであり、防御手段があるということだ。
「虚光剣の種類も色々とある。おまえたちが望むならば、いくらでも増やせるぞ」
マユリ神の示した武器の数々に視線を落とす。そのうちのひとつ、長柄の虚光剣を手に取ると、柄の先端から青白い光が迸り、穂先を形成した。槍型の虚光剣だ。虚光槍というべきか。シーラも別の虚光剣を手にしてみており、その柄の先から伸びたのは光の帯だった。鞭型の虚光剣は、シーラの腕の動きに合わせ、その鞭をしならせている。鞭の動きは、重力を感じさせるものであり、ありえない動きではなかった。
「これは……凄いな」
「さすがはマユリ様だな……」
セツナもシーラも感心するほかなかった。マユリ神がまさかこんなことをしているなどと、想像すらしていなかったのだ。
「ふふふ。そうだろうそうだろう。わたしとて、おまえたちのためになにも考えていないわけではないのだ」
「いや本当、言葉もないよ……」
「うんうん」
「そういってくれるだけで結構だ」
マユリ神は、あざやかな笑顔になった。その心から喜んでいる表情を見るだけでほっとする。
「わたしは機関室に戻る。あとは好きなだけ鍛錬するがいい。では、な」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「ありがとう、マユリ様」
満面の笑みを浮かべたまま、女神は姿を消した。
女神が消えたあと、しばらくして、セツナとシーラは向き合った。そして、互いに自分に合う虚光剣を手に取ると、それぞれに武器を構えた。セツナもシーラも槍型の虚光剣を手にしている。細く長い柄の先端から、剣型よりは短い光の刃が発生していた。当然だが、柄の部分は幻影ではないため、注意が必要だろう。
「さあ、始めようぜ、セツナ」
「ああ、好きなだけ付き合うさ」
セツナが告げると、シーラが獰猛な笑みを浮かべた。
かつて獣姫と呼ばれたことを思い出させるような、そんな笑み。
セツナも、吼えるように床を蹴った。
「は……はは……もう駄目だ-」
シーラが訓練室の床に仰向けになって寝転がったのは、数時間に及ぶ鍛錬の果てのことだった。虚光剣を用いた鍛錬は、最初から全力全開であり、数時間も持ったのが奇跡といえるくらいに体力を使い果たしていた。セツナも同じだ。幻影の槍を手放し、床の上に転がって天井を見つめている。
半端ではない疲労感が全身を包み込んでいて、大量の汗が全身を濡らしていた。呼吸が荒く、動悸も激しい。が、心地よさもあった。長い眠りは、それだけ体を動かせていなかったということでもあったし、目覚めてから今日に至るまで、日課の鍛錬すら怠けていたのだ。それをいきなり実戦以上といっても過言ではないくらいに激しい運動をしたものだから、全身が悲鳴を上げるのも無理のない話だった。
「こんなにやり合ったの……いつ以来だ?」
シーラの質問に、セツナは頭を捻った。幸い、疲れているのは肉体だけであり、精神的には充実していたし、思考も鈍ってはいない。
「……初めてじゃないか?」
「そうか……そうかもな」
「きっと、そうだ」
シーラとの鍛錬は、数え切れないくらいに行ってきた。それこそ、ガンディア時代を含めると、とんでもない数の鍛錬をともにしているはずだ。木槍を用いての鍛錬において、セツナがシーラにどれだけこてんぱんに伸されてきたのか、思い出すだけでもうんざりする。
昔の自分は、黒き矛がなければか弱い存在だった。黒き矛だけが頼りであり、黒き矛がなければなにもできない存在といっても過言ではなかった。
いまは、違う。
たとえ黒き矛がなくとも、歴戦の猛者たるシーラと激戦を繰り広げることができるくらいには、成長したのだ。いままさにそれを実感して、セツナは、拳を握った。
ふと、気配と圧を感じて視線を向けると、シーラの顔が間近にあった。いつの間に近づいてきたというのか。その表情には、強い決意があった。
「どうしたんだ?」
「セツナ……」
そして彼女は、セツナの上に覆い被さるようにして、倒れ込んできた。




