第二千七百九十四話 それぞれの望み(八)
そもそもこの訓練室は、ウルクナクト号に最初から備わっていたものだ。
ウルクナクト号は、ネア・ガンディアが研究し、設計、開発、建造した飛翔船の一隻であり、ネア・ガンディアの所有物だった。それを鹵獲してみせたのは、ラムレス=サイファ・ドラースの眷属筆頭ケナンユースナルであり、ケナンユースナルよりリョハンに提供されたものを使わせてもらっているだけに過ぎない。そして、その内部を調査に向かったところ、中にいたのがマユリ神だったのだが、彼女がなぜウルクナクト号にいたのかといえば、セツナたちと接触するためだったという。
そして、ウルクナクト号がセツナたちの手に渡ると、マユリ神の手によって船内の構造が大きく作り替えられたが、それによって新たに付け加えられた機能というものはなかった。地図や外部の光景を映し出す映写光幕も、照明器具や昇降機も、訓練室の幻影投写機構すら、元々備え付けられていたものであり、マユリ神がしたことといえば、船内全体の改装に合わせ、せいぜい位置を移したくらいだった。
ウルクナクト号を始めとする飛翔船は、未知の技術によって作られたものであり、神の智慧と力をもってすら容易に手を加えることができなかったのだ。ちょっとした改良のつもりで手を加えた結果、船が動かなくなったり、飛ばなくなったりすればそれこそ本末転倒だ。ほかの移動手段を確保しなければならなくなる。長い旅になる可能性が極めて高かった以上、無謀な試みをして、せっかくの飛行手段を失うなど馬鹿馬鹿しい。
故に、マユリ神は、使えるものはそのままに、なにかしら新機能を思いついたとしても、船に手を加えようとはしてこなかったのだ。
そのため、セツナもシーラも、新機能が追加したと満面の笑みで語る女神に対し、驚きを禁じ得なかったし、信じられない気持ちでいっぱいだった。
「事の発端やらなにやらは後にするとしてだ。まずは新機能の説明をしようではないか」
「あ、ああ」
「それを使えば、鍛錬も効率的になるのか……?」
シーラが懐疑的なのも無理のない話だったが、マユリ神は、むしろその反応こそ待ってましたといわんばかりにほくそ笑み、訓練室の一角に向かった。セツナとシーラがついていくと、一台の幻影投写機構が女神によって示される。
「それか?」
「以前と変わった様子はないな」
「機能の追加といっただろう」
「確かに」
「とはいえ、機能の追加そのものは別段、たいしたことではないのだ」
マユリ神は、前言を撤回するようなことを平然といってきたが、表情に変化はない。
「はあ?」
「新機能追加が目玉じゃねえのかよ」
「うむ。新機能も悪くはないがな。おまえたちが望んでいた細かい調整ができるようになっているぞ。なんと、幻影の種類に多種多様な皇魔、低強度から高強度の神人などを追加した。これでおまえたちの鍛錬はより苛烈なものとなろう」
「お、おう……」
「へえ……そんなことができるんだ……」
セツナもシーラも、マユリ神のごくごく当たり前のような発言には、驚きを通り越して茫然とするほかない。おそらく、マユリ神がリョハンとウルクナクト号を行き来していた理由がこれなのだろうが、だとすれば、彼女には頭が下がる想いだった。それもこれも、セツナたちのためにやってくれていることだ。それが結局は希望をもたらす女神の本願に繋がるとはいえ、だ。それにしたって、休む間もなく動き続けていることは事実なのだ。
セツナは、心の底から感謝した。そして、力をつけ、彼女の悲願を叶えることを誓った。
「そのうち、竜も追加するつもりだが……まあ、本題はこちらだ」
マユリ神は、幻影投写機構に備え付けてあった籠の中からなにかを取り出し、セツナとシーラに投げて寄越してきた。放物線を描くそれを手に取ってみれば、柄であることがわかる。金属製の柄だ。
「これは……」
「剣の柄、か?」
シーラが重量を確かめるように振り回す。柄だけにしては重みがあり、これにもし刀身があれば相当な重量になっていたことだろう。
「名を虚光剣という」
唐突に、マユリ神。
セツナはシーラと顔を見合わせ、それから女神に問うた。
「それ、マユリ様が考えたのか?」
「うむ」
「へえ」
「なんだ? なにか文句でもあるのか?」
「いいや、かっこいいよ」
「だろう」
なにやら誇らしげにうなずくマユリ神の反応を見る限りでは、彼女は本気でその名が気に入っているようだ。虚光剣。意味はよくわからないが、どことなく幻想的な響きのある名前だとセツナは想った。
「それで、この柄だけの剣がなんなんだ?」
「まあ、見ていろ」
いうが早いか、女神は幻影投射機構を起動すると、虚空に投影された映写光幕に触れ、つぎつぎと数値を設定していった。参加人数・二、幻影数・百、幻影種・人間、武器種・無作為、装備・無作為、召喚武装・無作為、思考水準・強、能力水準・強、持ち点・十、制限時間・無限――。
それら、勝手に決められていく設定を見る限りでもわかる変更点があった。まず参加人数だが、以前の設定には存在せず、幻影投射機構は個人が鍛錬するための機材として認識されていた。幻影を相手に戦闘するのだから、当然といえば当然だろう。もし、多人数で使うことができれば、連携や戦術の確認、強化に繋がるということを考えたことがあったが、不可能だと諦めていたのだ。
それがいま、変わった。参加人数の設定項目が増えていたことが明らかになったことで、この訓練室が日々賑わうことになるかもしれないという予感がしたのだ。味方同士で刃を交え、鍛錬するのも悪くはないが、戦うのは味方ではなく、敵なのだ。互いの戦い方を理解し、戦術や連携を確認することができれば、今後の戦いに大いに活かせるだろうし、きっと、戦力そのものを向上させるに違いない。
幻影の最大数も、以前は十体だったのが十倍の百に増えているし、幻影の種類という項目もあり、そこに皇魔や神人といった設定があるのだろう。
そして、幻影投射機構が光を撒き散らすと、設定通り百体に及ぶ人型の幻影が多様な武器を手にセツナたちを包囲した。
「うお」
「えっ」
セツナとシーラが同時に驚いたのは、金属製の柄の先端から幻影と同じ光が迸ったかと想うと、一振りの刀身を形成したからだ。青白い光の刀身は、神秘的であり、幻想的でもあった。が、見取れている暇などはない。マユリ神によって勝手に戦闘開始の指示が下されると、幻影たちが一斉に動き始めたからだ。
重装の戦士たちが雪崩のように押し寄せてくれば、後方の弓使いがありえない軌道の矢を放ってくるのがわかる。召喚武装の設定により、召喚武装使いが紛れ込んでいるのだ。セツナはシーラと目配せすると、背中合わせになって、同時に床を蹴った。
幻影との激闘は、数分に渡って続いた。もっとも、幻影の思考、能力水準がそれほど高くもないこともあり、百体が相手でもセツナとシーラの敵ではなかった。マユリ神がそのような設定をしたのは、虚光剣の試遊のためだろうし、それで負けている場合では、当然ない。
すべての幻影が消えると、柄から生じていた光の刃も消えて失せた。
「これが……虚光剣」
「斬ったとき、十分な手応えがあったが……どういう原理なんだ?」
「幻影同士の干渉が手応えを感じさせるのだろう。いままでよりもより実戦的な鍛錬ができるというわけだ」
「すげえな……」
シーラは感嘆のあまり、なんといっていいのかわからないといった様子だった。確かにシーラやマユリ神のいうとおりだった。幻影は所詮幻影に過ぎず、斬ったときの感触、手応えなどあるはずもなかった。そのため、実際に戦っている感覚からは程遠いものだったのだ。
それが、虚光剣の発明によって解消されるだろう。




