第二千七百九十一話 それぞれの望み(五)
おめかししたレムは、端的にいって可憐だった。少し血色の良くないところも、寒色で揃えた衣服に合っているとさえいえる。元々目鼻立ちが整っている美少女なのだから、それなりの格好をすればさらに際立つのはわかりきっていたことだし、驚くようなことではない。当然の結果だ。しかし、そんな当然の結果も、普段とはまったく趣の異なる格好でもって出されるとなると、多少なりとも思うところもあるものだ。
自分は、彼女を幸せにしてあげることができていたのだろうか。
考えれば考えるほど疑問が生まれる。
彼女は、セツナたちとともにある日常を楽しんでいるように見える。少なくとも、表面上、彼女が不満そうな様子を見せることは少ないし、不満を抱くときというのは、得てして彼女の言動に対してセツナの反応が悪いときだ。それ以外では、彼女がつまらなそうにしている様子はなかった。だからといって、安直に彼女が満たされているだろうと考えるのは危険だ。
考えるべきは、彼女に生き方を強制してきたのではないか、ということだ。
「じゃ、行こっか」
レムは、いうが早いかセツナの左手を引くと、指を絡めてきた。そして、足取りも軽く歩き出す。どこへ、などとは聞かない。今日ばかりはすべて彼女の思うがまま、望むがままなのだ。セツナは、レムの指示に従っていればいい。彼女が手を繋ぎたいというのであれば、握り返すほかないし、たとえば彼女が別のことを望んできたのであれば断る道理もない。
先の戦いで、もっとも負担を強いたのが彼女だった。ミリュウ、シーラ、エスク、ウルクも戦闘面で多大な貢献をしてくれたが、一番負担がかかったのはレムなのだ。
彼女は、セツナの思いつきで完全武装の再現たる完全武装・影式で戦うこととなり、その結果、とてつもなく消耗し、数日あまり寝込まなければならなかったという。レムが寝込むなど、いまのいままでなかったことだ。少なくとも、セツナが同じ世界にいる間、そんなことは一度だってなかったはずだ。それくらい、影式の負担が大きく、反動が強烈だったということだろう。
そして、彼女のおかげで時間を稼ぐことが出来た上、獅徒と神々を殲滅することができたのだ。彼女がいなければ、獅徒によってリョハンは壊滅していただろう。
もっとも、彼女がいなかったり、影式が使えないとなれば、別の戦術を考えたのはいうまでもないことだが。
ともかく、セツナは、先の戦いにおけるレムの貢献はなによりも忘れてはならないことだと思っていたし、そのために彼女の望みを叶えることに否やはなかった。
彼女がなにを願い、なにを望むのか、想像はまったくつかない。
手を繋いだまま、空中都に存在する遺構を巡る。
ただそれだけのことで、時間が過ぎていく。
空中都は、全体が古代遺跡そのものであり、どこもかしこも過去の遺物にまみれている。ほとんどすべての建物がそういった遺跡、遺構を改修や補修をして使われているのであり、新たに建造された建物というのは皆無に等しい。
なぜかといえば、空中都の神秘性を損ないたくないとリョハンのひとびとが望んでいるからだ。それは、リョハンが現行の体制になる以前、ヴァシュタリア共同体およびヴァシュタラ教会の支配下にあった時代からの意向であり、山間市、山門街は別として、空中都だけはできるだけ保存しておきたいという想いは、空中都を訪れたものならばだれもが想うことのようだ。
実際、セツナも、空中都を初めて訪れたときは、この太古の遺産を現代的な建物で埋め尽くすなど考えられないと想ったものだった。せっかくの古代都市が台無しになってしまう。
そういう意味では、リョハンは極めて上手くやっているだろう。遺跡、遺構の外観にはほとんど手を加えず、手を加えたとしても補修程度に済ませており、大きく手を加えるのは内装のほうだった。ひとが住めるように、そして住みやすいように改良を施し、北の大地の冬の寒さにも耐えられるだけの構造になっているのだ。
もっとも、それらは居住区の話であり、住宅街から遠く離れると、補修さえされていない遺構が散見されるようになる。もはや建物としての形を留めていないものばかりであり、補修しようにも手の施しようがないため放置されているのかもしれない。
そんな遺構群の中を楽しげに歩くレムの横顔を見ていると、彼女がなぜこの場所を選んだのかがわかろうというものだ。そしてそれは新鮮な驚きと発見でもある。
「レムにこういった趣味があるとは知らなかったな」
「趣味? いったいなんの話?」
「へ? 遺跡巡りをしてるんじゃないのか?」
「あ-、そういうこと」
レムは、こちらを見て屈託なく笑った。
「違う違う、そんなんじゃないよ」
「じゃあなんでまたこんな場所に?」
「いくらなんでも聞いてくれるっていったって、リョハンから離れるわけにはいかないでしょ?」
「そりゃそうだが……」
ふと、気づく。
「どこか別の場所に行きたかったのか?」
「……特に目当ての場所があるわけじゃないの」
彼女は、巨大な建物の一部らしき遺構を見遣りながら、いった。
「どこでもよかったわ。セツナと一緒なら、どこだって……」
「そうか」
「たとえば地獄でも」
「うん」
うなずくと、レムがこちらを振り返って苦笑した。
「うん、って」
「なんだよ」
「あたしと地獄に堕ちても平気なの?」
「まあ、悪くない」
「嘘」
「なにが」
「セツナがファリアやミリュウを残して行けるわけないじゃん」
そういわれると、返す言葉も失うのがセツナだ。確かに彼女にいわれた通りだ。ファリアやミリュウ、シーラたちを残して死ねるわけがない。地獄に堕ちるとは本来の定義ならば死ぬことだ。死んだ後のことであり、気軽に行って帰ってこられるような場所ではない。とはいえ、彼は考え込んだ。
「……うーん」
「なによ」
「困った」
「なにが困ることあるのよ。図星でしょ」
レムは怒っている風でもなく、当然のようにいってくる。彼女にしてみればわかりきったことであり、怒る気にもなれないのだろう。彼女の立場になって考えてみれば、多少なりとも理解できるというものだ。セツナは自分という男がいかにも最低な人間であるような気がして、憮然とした。だが、一方でこうも想うのだ。
「それもある」
「ほら」
「でも、地獄に堕ちていいのも、本音なんだよ」
いつからか自分と同じ色彩になった彼女の紅い瞳をまっすぐに見つめながら告げると、彼女は、一瞬、虚を突かれたような顔をした。しかし、すぐさまさっきまでの顔に戻り、セツナの前に回り込んでくる。
「……ふーん」
そして、なにやら納得したような表情で顔を覗き込むようにしてきた。華奢で小柄な彼女の身長は、セツナよりずっと低い。
「なるほどねえ」
「なにがだよ」
「さすがは女誑しだな、って感心してたところ」
「だれが女誑しだ」
「セツナがだよ」
はっきりと告げられて、絶句する。いわれ慣れた言葉ではあるが、だとしても、こうして普段と異なるレムに真正面から突きつけられると、来るものがあるのだ。
「俺はだな」
「素直に生きてるだけだよね」
「お、おう」
「自分に素直に生きた結果、女誑しになっちゃっただけだもんね。悪くないよ」
「それ、褒めてんのか貶してんのか、どっちなんだ」
「褒めてる褒めてる」
レムが軽やかに笑っているところを見ると、決して悪い意味でいっているわけではないのだろうが。
「本当かよ」
「本当だよ」
レムは、思いっきり背を伸ばすと、セツナの唇を塞いだ。
「あたしは、そういうセツナが好きだよ」
唇を離した後、照れくさそうに微笑んだ彼女は、年端もいかない少女にしか見えなかった。




