第二千七百九十話 それぞれの望み(四)
セツナは、普段通りの格好に着替えていた。
十一月とは思えないほどの寒さを誇る北の大地の真っ只中ということもあり、分厚い防寒着を着込まなければならず、そのせいで鏡に映した自分の姿が着ぶくれして見えたが、致し方のないことだし、気にするようなことでもない。見た目を気にしたことは、こちらの世界に来てからというもの、ほとんどなかったといっていい。もちろん、式典にでなければならないときや、公務などではその限りではないが、そういう場合、自分以外のだれかが取り揃えてくれたものだった。そして、その一式を身につければ間違いはなく、失敗もなかった。
だからといって自分で選んだ衣服で失敗したことがあるかというと、そういうこともなかったため、特段、気にすることもなく今日まで生きてきている。外見など、特別汚くなければ問題はないのだ。少なくともセツナの周囲のひとびとは、セツナの美的感覚についてなにがしかの意見を持っている風には見えない。注意されたことも、不満を持たれたこともない。
だから、というわけではないが、普段通りの格好でレムに文句を言われることもないだろうと勝手に思い、彼女が指定した場所に佇んでいた。
時刻は、午前十時。
空中都東区の一角。高く聳える歪な石柱が目印だった。その石柱の歪さは、この遺跡都市ともいえる空中都の中でも特別不思議な形といってよく、故にセツナもよく知っていた。リョハンのひとびとにもよく知られたその石柱は、居住区より少し離れた場所にあるため、人気はなく、待ち合わせにはもってこいなのかもしれない。
(なんの意味があるというんだ?)
待ち合わせることについて、だ。
今朝からずっと同じ御陵屋敷にいたのだから、外出するのであれば、連れ立ってでかければいいのではないか。とは思うのだが、今回は、彼女たちの望みをすべて聞き入れなければならない。そして、それもただの疑問であって、不満があるわけでもない。彼女が指定地点で待っていることを願うのであれば、聞き入れるだけのことだ。
風は、冷ややかながらも穏やかに流れている。頭上には空が見えているが、それは、山頂と山の側面に穿たれた大穴から覗き見えるものであり、頭上すべてが晴れ渡っているわけではない。
リョハンは、未だリョフ山に穿たれた大空洞の中にある。その大空洞は、大型飛翔船の神威砲によって大穴を開けられ、リョハンの様子はリョフ山の外からも丸見えになっているはずだ。戦いが終わり、全市民を回収したいまとなってはリョフ山内部に留まっている必要はない。神威砲に容易く穿たれるようなリョフ山が堅牢な防壁になるはずもないのだ。視界を遮る障害物に過ぎない。
リョハンが飛び立たないのは、マリク神主導の元、旅立つための食料物資の確保が入念に行われており、いまだ完了していないからだ。どれくらい長い間飛び続けなければならないのかわからない以上、食料はできるだけ多く確保した方がよかった。そのために数多くの人間と飛竜が駆り出され、大陸中を飛び回っている。
空中都でも自給自足の生活を始めようという動きがあるが、元々自給自足の暮らしをしていた山間市や山門街のようには行かないだろうという意見が強い。実際問題、空中都には田畑に適した土地が少なく、リョハン全住民の食料を賄うなど夢のまた夢だろう。そうなってくると、リオ・フ・イエンのひとびとがどうやって生活していたのかが気になってくるところだが、マリク神によると、リョハンを空に飛ばすのが精一杯で過去の記録を洗い出すのにも時間がかかっているという話だった。つまり、リョハンの全容を解明するには、もう少し状況が落ち着くまで待たなければならないということだ。
そんなことを考えていると、駆け寄ってくる靴音がした。そちらに視線を向ければ、やはり女給服からまったく別の格好に着替えたレムの姿があった。
「お待たせ!」
猛然たる勢いで駆け寄ってきたレムは、セツナの目の前まで来ると、元気よく声をかけてきた。
女給服以外の服装に身を包んだレムを目の当たりにすることそれ自体は、特別めずらしいことではない。時と場合に応じて格好を変えるのは、彼女としても当然のことであり、女給服でなければならないというような激しい拘りはないのだ。ただ、セツナが気に入っているという勘違いからなのか、彼女自身が気に入っているからなのか、女給服を身につけていることが極めて多いだけなのだ。とはいえ、いまセツナの目の前にいるレムは、そんな服装を変えることになんの抵抗もない彼女にしても、段違いに雰囲気の異なる格好をしていた。
いわゆる、おめかしだ。
上下ともに基調となっているのは寒色であり、中でも明るめの色合いの服装だった。黒を基調とすることの多いレムらしからぬ色を選んだのは、彼女なりの意思表明なのかどうか。服装はというと、セツナに合わせてだろう、必要のない寒さ対策のために厚着となっていた。それでいて可憐に見えるのは、彼女の容姿のせいに違いない。
レムは、元々美少女だ。
(なんか犯罪的だな)
と想わざるを得ないのは、どうしたところで、レムが年端もいかない少女にしか見えないからだ。実年齢は二十代の後半も後半であるはずだが、肉体年齢は十三歳のまま止まっている。それ故、外見は十三歳の美少女であり、そんな彼女を連れ歩いていると、見知らぬものが見れば、異様に感じるのではないか。外見が似ているならば年の離れた兄妹と言い切れなくもないが、似ているのは、黒髪と紅い瞳だけだ。顔立ちは似ても似つかない。
もっとも、リョハンにおいて有名人となったセツナとレムのことだ。問題にも騒ぎにもなるまい。別の意味での騒ぎにならなるかもしれないが、だからこそ、こうして居住区から離れた場所で待ち合わせをしたのだ。
しばらくなにもいわず見つめていると、レムが不安そうな顔になった。
「なに……? や、やっぱり、変かな? 似合ってない?」
「いや……そんなことはないが」
「じゃ、じゃあ、なによ?」
訝しんでくる彼女の姿は、どうみても十代前半の少女にしか見えない。
「可愛い……と思う」
「え!?」
レムが声を裏返らせたのは驚いたからなのだろう。彼女は、全身で驚愕しながらセツナに問いかけてくる。
「いま、なんていったの!?」
「可愛いっていったんだよ」
「嘘!?」
「なんで嘘をつく必要がある」
「いや、その、そういうことじゃなくて……」
レムが顔を真っ赤にしたまま慌てて訂正してきたが、それだけでは要領を得ない。彼女が顔を真っ赤にするほどのことをいったつもりはないし、正直な感想だった。レムは普段の格好でも可憐なのだが、いま現在の服装をすると、より引き立つのだろう。
「そんな風にセツナに褒められたの、初めてかも……」
「そうか……?」
彼女の実感の籠もった一言に疑問を持ち、振り返ってみたものの、そういえば彼女の外見を褒めたことはなかったかもしれない。
「そう……か」
「うん、でも、そんなことで別に怒ってないし、これまでなんの不満もなかったよ。勘違いしないでね」
「あ、ああ……」
少しばかり呆気に取られるのは、やはり、普段の彼女と異なるレムの言動が新鮮であり、衝撃的でもあるからかもしれない。
本来の彼女は、文法のおかしな丁寧語、敬語ばかりを多用する人物ではなかったのだが、そんな彼女との交流は、ほんのわずかな時間しかなかった。出逢った直後、彼女はセツナ専属の従者という役割を演じるようになり、そのために普段の奇妙な言動や振る舞いをするようになった。
それから随分と時が流れた。
下僕壱号を名乗るようになった彼女に慣れ親しみ、その結果、彼女本来の立ち居振る舞いがどうだったのか、ほとんど忘れかけていた。
それをいま、漠然と思いだし始めている。




