第二千七百八十九話 それぞれの望み(三)
ミリュウとふたりきりの時間は、ゆっくりと流れていく。
セツナたちは御陵屋敷に寝泊まりしているのだが、彼女の部屋はその二階にある。
リョハンの空中都は、古代遺跡を再利用した居住区だ。そもそもリョハンは天人属が作り上げた太古の空中都市群リオ・フ・イェンの一部ということだが、つまり、その遺跡は、天人属の遺したものということになる。石造りの建物群は、五百年以上の長きに渡り存在し続け、ほとんど風化することなく現存していることから鑑みても、ただの石造りの建物ではないらしいということが窺い知れる。天人属は、都市そのものを空を飛ばすという超技術を誇っていたようなのだ。都市も相応の技術を用いられて作られたとしても不思議ではないが、そういった技術を全面的に利用しているように見えないのは、やはりただの石造りの建物しか見当たらないからだろう。都市内部には、自動的に開閉する扉や、昇降機が存在するというのにだ。なぜか、都市部にはそういった超技術の片鱗すら見受けられなかった。理由は、よくわからない。
ともかく、天人属が誇る超技術が建物の保存法以外に見受けられないリョハンの建物のひとつが、セツナたちのいる御陵屋敷であり、ミリュウの部屋は、彼女の色で染め上げられていた。つまり赤だ。床には紅い敷物が敷き詰められ、窓には紅い帳が垂らされている。とはいえ、なにもかもが紅く塗り潰されているわけではなく、その点では、セツナの夢想ともいうべき地獄の試練とは大いに異なるものだ。妄想と現実は違うということだが、そんな当たり前のことは、夢想の世界にいるときからわかっていたことでもある。
ミリュウの象徴色が赤だから、紅い部屋が誕生したに過ぎないのだ。おそらく、だが。
それはそれとして。
セツナは、ミリュウとのふたりきりの時間を漫然と過ごしたわけではなかった。彼女が満足してくれるように、できる限りのことをしようと考え、実行に移したのだ。たとえば、彼女が甘えてくるのであればそれに相応しい対応をし、彼女の話には必ず付き合った。ただそれだけのことで満ち足りるのかと不安になったりもしたが、彼女は終始御機嫌であり、そんなミリュウの様子を見れば不安も一掃された。
特になにかをしたわけではない。
ただ濃密な時間をふたりきりで過ごした、それだけのことだ。
しかし、それは、ミリュウと出逢ってから初めてといっていいくらい静かな時間だったのではないか。そしてそれこそ、ミリュウが待ち望んだ時間だったのかもしれない。と、セツナは想うのだが、確証はない。なにせ、彼女の本心など、結局のところ、他人であるセツナには覗きようがないのだ。ミリュウが満足しているように見えても、それは表面的にそう取り繕っているだけかもしれない。本当は、もっと別のことを望んでいたのかもしれない。我慢しているのではないか。
そんな不安や疑問は、セツナの太ももを枕にして眠る彼女の寝顔の安らかさを見れば、吹き飛んでしまった。
「いつもありがとう、ミリュウ」
セツナは、彼女に何度目かの感謝の言葉をつぶやくと、彼女が起きるまで待ち続けた。
彼女はしばらく眠り続け、目を覚ますなり、なにかを思い出したかのように起き上がり、セツナの膝の上に跨がった。そして、セツナを寝台の上に押し倒すと、不敵な笑みを浮かべた。それはきっと、自分の弱い部分を隠すための仮面だったのだ。そして彼女は、決然と言った。
「愛してる」
その日、夜が更けるまで、セツナはミリュウとのふたりきりの時間を過ごした。
翌朝、セツナが自室で目を覚ますと、当然のようにレムが寝台の側に控えていた。格好も普段通りだ。黒と白の女給服の丈の短さは、この寒いリョハンには相応しくない格好としか言い様がないが、彼女はその格好こそ自分であるといって聞かなかった。彼女にとって寒さは問題ないらしい。
十一月十日。
今日は、レムに独占される日だ。
「おはよう、レム」
「おはようございます、御主人様。昨日の疲れは取れましたか?」
レムの恭しい態度はいつも通りだが、声音には、いつも以上の張りがあった。おそらくは、今日という日を心待ちにしていたからだろう。
「疲れてはいないぞ」
「そうでございますか。ミリュウ様のことですから、なにかと無茶な要求をなされたのではないかと心配しておりました」
「俺もそれを危惧していたがな。そんなことは一切なかったよ」
「それはそれは、ミリュウ様らしからぬことですね」
レムがにこやかに微笑む。その笑顔が仮面などではないことは、彼女と長い付き合いからわかろうというものだ。心の奥底までは見えなくとも、彼女の笑顔が本物か偽物かの区別くらいはつくようになったのだ。彼女が見せる偽りの笑顔も、なにも知らないものが見れば心から笑っているように見えるのだろうが、セツナには、そうは見えなかった。それが付き合いの長さというものだ。
「ま、らしくないといえばらしくないが、らしいといえばらしい、かな」
「はい?」
レムはよくわからないとでもいうように首を傾げた。実際、彼女には理解できないことだろう。ふたりきりの静かな時間には、ミリュウらしさがふんだんに詰まっていた。そしてそれは、彼女とふたりきりの時間を過ごしたセツナにしかわからないことだ。
「それで、おまえの望みはなんだ? レム」
「そうでございますね……」
彼女は考える素振りをした。いまにいたるまで考える時間は山ほどあったのだ。考えていないわけはないし、結論が出ていないはずもない。が、彼女はどこか考える素振りをしている時間すら楽しんでいるかのようであり、そういった反応も、彼女らしいといえば彼女らしいものだろう。
「……今日一日は、下僕壱号ではなく、レムとして、ひとりの女として扱って頂けますでしょうか?」
「ああ、わかった」
うなずくと、彼女は、普段とは異なる趣のある笑顔を浮かべた。
「では、着替えて参りますので、御主人様も着替えておいてくださいまし」
「おう」
応じ、彼女が部屋を出て行く後ろ姿を見送れば、その足取りの軽さに目が行った。願望が受け入れられたことを心底喜んでいる、そんな様子だった。彼女にしてみれば、まさに念願だったのだろうか。
(レムとして、ひとりの女として、か……)
レムの言葉を反芻するようにつぶやく。
彼女のいいたいことは、わかる。
レムは、セツナの従者、下僕で在り続けていた。初めて逢ったときこそ違ったが、そのすぐ後、彼女はセツナの下僕を演じることとなった。それがそのまま、現在の関係に繋がっている。もしあのとき、レムがまったく別の方法でセツナとともに在ったならば、その後の関係性もいまと大いに異なるものだったのではないか、そんなことを考えなくもない。
レムがセツナの下僕で在り続けることに強い拘りを持っているのは、おそらくだが、それ以前からの繋がりを大切にしたいからなのではないか。
だが一方で、レムというひとりの女として自分を見て欲しいという欲求もあるのだろう。
レムもまた、セツナに好意を寄せ、愛情を注いでくれている女性のひとりだ。常日頃、従者下僕として扱われることに喜びを見出す一方で、女として扱われたいという想いが心の奥底で蓄積していたのかもしれない。それが爆発する前にこういう機会が設けられたことは、素直に喜ぶべきなのか、どうか。
(まあ、あいつが喜んでくれるなら、それでいいさ)
結局は、その一点だ。
彼女たちの幸せこそ、セツナの幸せなのだ。
彼女たちだけではない。
周囲のひとたちの幸福。
それこそが、セツナの原動力。




