第二百七十八話 アレグリアの戦い
ナグラシアは、この時代の都市の例に漏れず、四方を堅固な城壁に囲まれた都市だ。中でも特徴的なのが、城壁の内外を結ぶ城門が街の北側と南側にひとつずつしかないという点だろう。西と東は完全な防壁であり、強引に突破するには、城壁を破壊するしかないということであり、現実的ではない。ということは、北門か南門を打ち破り、市街に乗り込むのが、ナグラシア攻略における基本的な攻撃方法となるだろう。
つまり、ナグラシアを防衛するのなら、北と南に戦力を集中すればいいということだ。西と東の守りは不要となり、その分だけ門付近の戦力は高まることになり、敵軍の迎撃も容易くなる。
それらを踏まえた上で、アレグリアらが考えだした迎撃策とは、南門に戦力を集中させるということだった。北門の守備を疎かにするというつもりもないが、ナグラシアの現状を考慮すると、敵軍は南門から市街への突入を図るだろうというのが大方の予測だった。
敵軍は、東のスマアダからこちらに向かってきている。そのまま東の城壁に突撃する、などということはあるまい。北か南の門を打ち破ろうとするに決まっている。城壁よりも城門のほうが破壊しやすい。そして現在、ナグラシアの南門は、破壊されたままなのだ。ガンディア軍の先発隊がナグラシアを強襲したとき、黒き矛のセツナが門に空けた大穴のせいだが、それは仕方のないことだろう。彼が門を破壊したおかげで、先発隊はほとんど無傷でナグラシアを制圧することができている。
それにナグラシアの南側といえば、ガンディアとの国境があり、そのさらに南にはマイラムがある。まさか、ガンディア領土から敵が攻めてくるはずもない。そう考えれば、南門が機能しないことは大きな問題にはならなかった。
そんなとき、スマアダの軍勢が攻め寄せてきた。破壊された南門のことで不安がる部隊長もいないではなかったが、アレグリアは、むしろその機能不全の門こそ、敵軍を完膚なきまでに打ちのめすための要素足りうると思った。
南門に穴が空いているというのは、敵軍も承知しているはずだ。それくらいの情報さえ収集せず、攻撃してくるような愚か者ではあるまい。いや、スマアダの貴重な防衛戦力を、無意味な攻撃に割いてしまうくらいだ。愚か者なのかもしれない。が、さすがの愚者でも、ナグラシアの現状程度は把握しているはずだ。
ナグラシアの南門は、敵にとっては付け入る隙だ。それを逆手に取る。
「状況は?」
アレグリアが作戦室と銘打った一室に入った瞬間、兵士たちの間に緊張が走ったのを彼女は認めた。軍団長の到着である。緊迫するのは当然だ。
「全部隊、配置完了しました。敵の到来を待つのみです」
第四軍団副長ミルヴィ=エクリッドの報告に、アレグリアは、安堵の息を吐いた。全軍が彼女の指示通り、事前の作戦通りに動いてくれている。このまま順調に推移していけば、まず、負けることはないだろう。作戦室に満ちた戦場の空気に胃がきりきりと痛むが、耐えられないものでもない。この程度で音を上げていては、軍団長としてやっていくことなどできないのだ。
作戦室には、長い机と幾つもの椅子が並んでおり、彼女はそのひとつに腰を下ろした。机の上は、雑多な書類が埋め尽くしており、その一番上にはナグラシア市街の地図があった。地図には各部隊の配置が書き入れられており、第四軍団の各部隊はそれを元に配置しているはずだ。
南門の外側には最低限の兵力しか割いておらず、一見すると、見捨てられたかのような配置にも思える。が、彼らは敵軍を市街に引き入れるという重大な役目を担っている。敵軍に攻撃を加えながら、それとなくナグラシア内部に誘導させるのだ。敵軍が粗方突入してきたところへ、南門周囲に潜ませていた各部隊が一斉に攻撃を叩き込む。それだけで敵軍は半壊するだろう。殲滅する必要はない。撃退することこそ肝要であり、それには敵部隊の三分の一でも打ち取れれば十分だ。
「敵は?」
「敵軍はナグラシア南方へと回り込み始めた模様。じきに南門付近まで接近してくると思われます」
ミルヴィのよく通る声が、作戦室に響き渡る。室内には、副長のミルヴィ以外にはアレグリアの供回りの兵士と、各部隊との連絡役である伝令兵が待機しており、彼らは自分たちの出番を待ちながら、ナグラシアの地図を見ている。
「やはり、南門だったわね」
「北門の予備兵力も回しますか?」
「その必要はないわ。敵も、スマアダの全戦力を投入してきたわけではないでしょう?」
「物見によれば、五百人ほどの軍勢だということです」
「たった五百人でナグラシアを奪還できると思ったのかしら」
アレグリアは、スマアダの敵軍団長の考えがよくわからなかった。スマアダを防衛するには戦力が必要であり、それを割くという事自体、悪手のように思える。しかも、たった五百人ではナグラシアに陣取るアレグリアたちを追い払うことなどできるはずもない。せめて、同数の千人を投入するべきだったが、それはザルワーンの事情が許さないに違いない。各都市に駐屯する龍鱗軍は基本的に千人規模の軍隊だといい、その点ではガンディア軍の各軍団と同程度なのだ。スマアダから千人もだせば、スマアダの防衛線力がなくなってしまう。その結果、ナグラシアを奪還できたとしても、スマアダをジベルかベレルに奪われでもすれば本末転倒この上ないのだ。ガンディアの補給線を潰せても、国土を失うというのは、悪手以外のなにものでもない。
だからこその五百人なのだろうが、だとしても納得できるものではない。せっかくナグラシア奪還のために割いた五百人も、ここで三分の一でも削られ、撃退されれば、なんのために派遣したのかわからなくなる。ただ戦力を減らしただけ、ということになりかねない。それに、ジベルやベレルがこの隙を見逃すだろうか。
スマアダには現在、五百人しか残っていないということになる。
スマアダの龍鱗軍の軍団長(翼将といったか)は、なにを考えているのか。
アレグリアは、敵兵のために哀れんであげようかと思わないでもなかったが、自分にはそんな余裕がないことも知っていた。鼓動は未だに高鳴っている。
と、作戦室に兵士が駆け込んできた。作戦室は高層建築物の一階にあり、建物の外から直接入ることができた。いくつもの窓のおかげで見通しもよく、往来の様子もよくわかった。当然のことながら、一般市民はだれひとり歩いていないし、軍人の姿もない。兵士たちは所定の位置についており、戦いのときを待っている。
「敵軍、ナグラシア南門前方に展開しました!」
アレグリアは、拳を作ると、緊張を抑えるように深呼吸をした。
第四龍鱗軍副将ゲイリー=ドークン率いるナグラシア奪還部隊がスマアダを出発したのは、十九日午後のことだ。
たった五百人の部隊だったが、ナグラシアの奪還には十分すぎるほどの戦力を割いたつもりだ、というのが翼将サイ=キッシャーの言葉だった。ゲイリーはにわかには信じられなかったものの、彼の自信家ぶりには辟易していたということもあり、反論も試みなかった。いつも通り、胸中で罵倒しながら、表面上はにこやかに彼の命を受け入れた。
それで、いままで上手く回ってきたのだ。
サイ=キッシャーは過剰なほどの自信家だったが、そう思っても問題はない程度には実力を備えた人物ではあった。自信過剰ではあるが、嫌味もなく、皮肉屋というわけでもなく、人格的な問題点もほとんどないという点でも、彼ほど上司とするに相応しい人間も少ないのではないか。
ゲイリーが胸中で暴言を吐くのは、単純に彼とサイではウマが合わないというだけの話だ。もっとも、サイはゲイリーのことを気に入ってくれているらしく、仕事以外のことでもいろいろと世話を焼いてくれていた。ゲイリーはそれも気に入らないのだが、サイのおかげでいまの妻と巡り会えたことには感謝している。サイがいなければ、ゲイリーは独り身のままだったかもしれない。
ゲイリーが彼を極端に嫌うのは、サイという人物がなにもかも完璧だったからかもしれない。生まれもいい。キッシャー家は五竜氏族に連なる家系である。世が世ならば、中央に関わることもできただろう。が、時代はミレルバスの治世だ。五竜氏族の関係者というだけで栄達できるような世の中ではなくなってしまった。
つぎに、容姿端麗だということも、ゲイリーが気に入らない点だ。ゲイリーは、赤子も泣き出すほどの強面であり、サイのような優男が嫌いでたまらなかった。物腰も柔らかく、だれとも別け隔てなく接する涼やかな青年――そんな超人染みた人物の唯一の欠点が、自信家ということだろう。自分の才能や実力に必要以上の自信を持っており、それを根拠にすべてを判断している。しかし、その自信家ぶりを愛嬌と見る向きもあり、それがゲイリーには気に食わない。
とはいえ、サイ=キッシャーが有能だというのは、彼を嫌うゲイリーだからこそ理解できるというのもあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、ゲイリーはナグラシアを目指したものだ。
彼の部下の多くは、サイ=キッシャーの信奉者といっても過言ではない。サイ=キッシャーが翼将として第四龍鱗軍に配属されたのが、二年前のことだ。それ以来、彼に魅了されるものが続出した。彼に反感を抱いたのは、ゲイリーくらいのものだろう。
もっとも、だれもがサイに魅了されたおかげで、第四龍鱗軍はほかの龍鱗軍にないくらいの纏まりを見せ、スマアダは住み心地のいい都市へと変貌したのだが。