第二千七百八十六話 魂の在処(三)
「でも……彼にとっては、これで良かったんだと想う」
ヴィシュタルは、通路を英霊殿の奥に向かって進みながら、静かに告げた。
「彼は、苦しんでいた」
レミリオンのことだ。
ロナン=バルガザールは、バルガザール家という名門に生まれたことが取り柄なだけの凡人だった、と、レミリオンは卑下していた。彼の周囲には、才能と実力に恵まれたものが多かった。すぐ上の兄が武装召喚師としての才能に恵まれていたこともそうだが、一番上の兄がバルガザール家の跡取りに相応しい人物であり、三男坊である彼には、そういった期待が一切されなかったということも大きな影を落としていたのだろう。バルガザール家だけに限った話ではない。彼は、人間時代、積極的に《獅子の尾》の隊士たちと関わりを持ったそうだが、そんな触れ合いの日々が彼に抱かせたのは拭いがたい劣等感であり、彼らへの憧憬だったという。
故に、人間時代とは比べものにならない力を発揮できる獅徒に生まれ変わったことそのものは、彼の劣等感を払拭するためには、多いに役立ったのかもしれない。
が、それですべてが解決したわけではなかった。
むしろ、彼は苦しみの海の中にいた。
かつての彼は、家族を愛し、家族のために生きていた。バルガザール家のためにだ。だからこそ、バルガザール家の名を穢しかねない自分の力不足を呪い、力有るものたちに強い憧れを持っていたのだ。そして、だからこそ、バルガザール家の三人が揃ったネア・ガンディアに所属することには不満はなかったはずだ。ただひとり、すぐ上の兄ルウファ=バルガザールを除いて。
ルウファ=バルガザールは、リョハンにいた。リョハンの戦女神、その守護天使のひとりとなっていた。つまりは、ネア・ガンディアの敵だったのだ。
ネア・ガンディアの方針が突如として覆るようなことでもない以上、リョハンが攻撃目標から外れることはなく、獅子神皇がなんの脈絡もなくその方針を変えるわけもないことから、リョハンに属するルウファ=バルガザールは、獅徒にとっても斃すべき敵以外のなにものでもなかった。
そのことが彼を苦しめていたのは、ヴィシュタルの知るところだった。そして、その苦しみから解き放つことなど、ヴィシュタルたちの手では到底不可能なことも知っていた。
「レミリオンは、解放されたかな……」
「きっと」
確信があるわけではない。が、そう信じたいという気持ちが強かった。レミリオンは、獅徒としての務めを果たそうと全力を尽くした。それでも敵わなかった。だから彼は敗れ、滅びた。転生を果たし、人外の存在へと成り果てた彼は、ようやく魂の牢獄ともいえる場所から解き放たれたはずだ。
魂は、自由となった。
獅子神皇でさえ、そうなった魂を支配し、掌握することはできまい。でなければ、この世界中、ありとあらゆる存在が彼の手のひらの上で踊り続けているということになる。だれもかれもが、だ。ヴィシュタルたちネア・ガンディアに属するものならばともかく、それ以外のすべての存在が獅子神皇の支配下にあるなどとは考えたくもなかった。
通路を何度か曲がり、進めば、目的の部屋の前に辿り着いた。固く閉ざされた白塗りの扉は、この神皇宮に似つかわしくない物騒な空気を帯びている。扉を開き、中に足を踏み入れれば、物々しく重々しい空気が全身を包み込み、意識が侵蝕されていくような気配がした。思わず身構えかけるのも、いつものことだ。異界の空気が室内に充満している。
そこは、獅徒の居住区画であるところの英霊殿の中でも、特に部外者の立ち入りを禁じられた場所だった。
霊樹の間という。
多世界観測機構“霊樹”の端末が存在するため、そう名付けられた。“霊樹”は、多世界観測機構の名の通り、イルス・ヴァレの外の異世界、つまり百万世界を観測し、それら数多の異世界から情報を引き出す機構であり、この神皇宮に元々存在していたものだ。要するに遙か過去の遺物であり、かつてこの世界に異世界と繋がり、異世界を研究していたものが存在したという証明でもあった。
霊樹の間は、上層と下層の二層に分かれている。上層には、獅徒のひとりであるイデルヴェインと、彼女の直属の部下である研究員たちがいて、常日頃忙しなく動き回っている。下層に設置された“霊樹”の端末から引き出される情報の解析や分析を行っているのだが、それがあまりにも膨大であり、休んでいる暇もないほどだという。
「イデルヴェイン、彼の調子は?」
「ああ、ヴィシュタル様。それに皆様。ごきげんよう」
イデルヴェインは、こちらを振り返ると、微笑を浮かべた上で丁寧にお辞儀をして見せた。
「彼の調子は、相変わらず、といったところです」
そういって、下層を覗き込んだイデルヴェインに釣られるようにして、ヴィシュタルも霊樹の間、その下層を見下ろすべく、上層の縁へ歩み寄った。上層と下層に分かれているとはいえ、下層のほうが遙かに広く、上層は、この広大な空間のほんの一部に過ぎない。
霊樹の間の下層、その中心には光の柱が聳えている。床下から天井に突き刺さる巨大な光の柱。莫大な輝きを発し続けるそれを直視するだけで目が痛みを訴えてくるが、それは、膨大な情報量に目が眩んでいる証ともいえる。数え切れない異世界から流れ込んでくる情報が、垂れ流し状態になっているのだ。
その情報を解析し、記録するのがイデルヴェインたちの役割であり、彼らが四六時中この部屋に籠もっている理由だ。“霊樹”が垂れ流す情報の中には、飛翔船の核となった情報などもあり、ネア・ガンディアにとって今後役立つ情報もあるかもしれず、故に“霊樹”から情報を引き出すことは必要不可欠だった。ネア・ガンディアのためだけではない。
ヴィシュタルたちの目的のためにも、少しでも情報が欲しかった。
「新たに判明したことといえば、かつてこの世界にワレリアなる神が降臨したというくらいで、我々にとって役立ちそうな情報などは特に」
「そうか……」
ヴィシュタルは、イデルヴェインの報告を聞きながら、縁から身を乗り出した。飛び降りるが、だれも彼を止めようとはしない。獅徒だ。どれほどの高度から落下したところで耐えられるし、たとえ負傷したところでたちまち修復するものだ。もっとも、だれも彼を止めなかったのは、獅徒の強靱さを信じているからではない。もっと別な理由だ」
下層に降り立った彼は、まっすぐ前方に向かって歩いた。視線の先には、巨大な光の柱が聳え立っている。光は、異世界から流れ込んでくる情報そのものであり、その情報を解析するには、上層に設置された機器を用いなければならない。おそらく、この神皇宮の本来の持ち主が異世界からの情報を利用するために作り出したものであろう“霊樹”とその端末は、聖皇ミエンディアの力の源ともなったのだろう。ミエンディアは、異世界の神々を召喚し、みずからの力とした。そのために用いたのが召喚魔法であり、召喚魔法の完成には、異世界からの智慧も必要としたのではないか。
そんな想像をするのは、この神皇宮が“約束の地”であり、聖皇最期の地だったからだ。聖皇は、この神皇宮で聖皇六将に討たれ、命を落としている。そして、この神皇宮に返り咲くと世界に約束し、実際に降臨しかけたという事実がある。
神皇宮が聖皇にとって特別な場所だったのは、間違いないのだ。
もしかすると、“霊樹”から、聖皇の力を打ち砕くための手がかりが得られるかもしれない――。
たったそれだけのことで、彼は、みずから率先して犠牲となった。
地下より立ち上る膨大な量の情報の光の狭間、なにかがわずかに覗いて見える。それはひとの形を保てなくなりつつある獅徒の姿だった。
「アルシュラウナ……済まない」
かつてグラハムと名乗り、クオン=カミヤに救いを見出した人物の成れの果てが、“霊樹”の端末なのだ。
彼がみずからを犠牲にして、“霊樹”との繋がりを持ったことで、ヴィシュタルたちは様々な情報を得た。その情報を役立て、聖皇の力、そしてその器を討ち滅ぼさなければ、面目が立たない。
アルシュラウナは、その魂のすべてを賭して、ヴィシュタルたちの勝利を信じているのだから。




