第二千七百八十五話 魂の在処(二)
「ヴィシュタル」
ミズトリスがそれまで閉ざしていた口を開いたのは、ディナシア率いる黒い集団と離れ、目的地に辿り着いてからのことだった。神皇宮内、英霊殿と呼ばれるその一角は、獅徒の居住区となっている。
神皇宮内にはほかにも、神将の居住区画である将星殿、一級神の居住区画である神霊殿などがあり、ネア・ガンディアの中でも特に重要な人材のみが神皇宮に住むことを許され、奨励されている。神皇宮に住婿とが許されない人材は、神都ネア・ガンディオン市内の限定された区画に居住しているはずだ。
ネア・ガンディオンには、一般臣民の住む万民街、聖兵の住む聖兵街、神兵の住む神兵街、神々の住む神霊街という四つの区画があり、それらは同心状となり、その中心に神皇宮があるのだ。そして、神皇宮の一角に英霊殿がある。
英霊殿にさえ足を踏み入れることができれば、人目を気にすることもなく、吐き捨てることも出来ようというものだ。事実、ミズトリスは、彼が考えているようなことをいってのけた。
「わたしはあいつが嫌いだ」
見れば、兜を脱ぐ彼女の仕草そのものに怒りが満ち溢れていた。あいつとは無論、ついさきほどすれ違い様に嫌味をぶつけてきた神のことだ。ディナシアは、こちらの連敗ぶりを嘲笑うだけでは飽き足らず、仲間意識にまで土足で踏み込んできたのだ。そうなれば、ミズトリスが怒りを覚えないわけがなかった。
そしてその感情は、彼女ひとりのものではない。
「ぼくだって嫌いだよ、ミズトリス」
ヴィシュタルが肯定すると、ウェゼルニルにファルネリアが同意する。
「めずらしく気が合うな、俺もだ」
「わたしもです」
ふたりして語気も荒く同意したのには、わけがある。
「陛下の命令を裏切っているのはどこの誰だ。ったく……」
「だが、陛下の期待を裏切り続けているのもまた、事実だ」
「ヴィシュタル」
「……わかっている。レミリオンは、きっとやれるだけのことはやったはずだ」
レミリオンのことを思い出すと、なんともいえない気持ちになるのは、当然のことといっても良かった。
獅徒の中でもっとも付き合いの浅いのが、レミリオンだった。なぜならば彼は、《白き盾》の人間ではないからだ。レミリオンの正体は、ガンディアの名家バルガザール家の三男坊ロナン=バルガザールであり、彼とヴィシュタルたちが出逢ったのは、神々が引き起こした最終戦争、その最終幕ともいうべき状況のことだった。
まだ人間であり、《白き盾》の団長クオン=カミヤとして生きていた彼は、部下や同盟者とともに、ガンディオンへ向かった。その道中、セツナを止めることが出来たのは、僥倖以外のなにものでもないだろう。あのまま彼を暴走させていれば、この世界に希望はなかったはずだ。そのために二年以上もの間、この世界をネア・ガンディアに蹂躙させる羽目になったのだが、そればかりは致し方のないことだ。対抗手段が存在しない以上、どうすることもできない。
ともかくも、セツナを下し、ガンディオンに至った彼は、そこでひとりの人物と出逢う。それが、ほかの王都市民とともに地下に隠れていたはずのロナン=バルガザールだった。ロナンは、クオンたちの前に、バルガザール家の人間として立ちはだかったのだ。バルガザール家は、ガンディアの武門の頂点に君臨する名家であり、その家に生まれたものには、それだけの役割がある。
クオンは、ロナンの覚悟に感じ入ったものの、世界を救うためには、彼の意向に従うわけにはいかず、彼を組み伏せた。ロナンは最後まで諦めなかったものの、クオンにすら勝てない彼の実力では、《白き盾》全員を斃すなど到底不可能であり、ましてや十三騎士団や聖皇六将が協力しているとなれば、端から彼に勝ち目はない。
クオンは、彼を諭し、彼に理解を求めた。
ロナンは、聡明だったのだろう。
クオンの説明を理解すると、せめてクオンたちの戦いを見届けたいといってきた。クオンは迷ったものの、彼の申し出を受け入れ、同行させることにした。
それは、間違いだったのか、どうか。
彼はどのみち、死ぬ運命だった。
その直後、聖皇復活の儀式を阻止し、“大破壊”が起きた。その膨大な力の暴走は、王都ガンディオンのみならず、大陸をばらばらに引き裂くほどのものであり、爆心地たる王都ガンディオンは、完全に消滅するほどだった。
つまり、ガンディオンを離れることができなかった以上、ロナンは、どう足掻いても死ぬ以外の未来がなかったのだ。同行させようがさせまいが、死の運命を逃れることはできなかった。ただ、同行を許したことで、彼の運命は大きく変化したといえるだろう。
ロナンもまた、獅徒に選ばれた。
理由は、わからない。彼が儀式の場にいたからなのか、それとも、別の理由があったのか。いずれにせよ、彼は獅子神皇によって獅徒に選ばれ、彼自身もまた、獅徒として生まれ変わることを受け入れた。
獅徒レミリオンとして転生を果たした彼は、立場上、ヴィシュタルたちとともに行動することになった。それが彼自身にとって喜ばしいことだったのかは、わからない。
ただ、素直で聡明で理解力の高い彼をウェゼルニルやファルネリアが気に入るのも当然だった。ウェゼルニルは戦い方の基礎から教え込み、ファルネリアも彼に様々なことを教えた。ミズトリスもまた、ときに彼の鍛錬に付き合い、親交を深めた。
ヴィシュタルも同じだ。
弟が出来たような気分だった。
それを失った。
心に穴が空いた。
「それでも、勝てなかった」
(勝てるわけがなかった)
内心、まったく別のことを、いう。
レミリオンの力そのものは、以前ザルワーン島、ログナー島でセツナと交戦したふたりよりも高まっていた。
獅徒は、先頃の敗戦を受け、その力をさらに増強されていた。獅子神皇の一存によって、だ。獅子神皇にとってしてみれば、獅徒や神将たちの力を増減させることなど、児戯に等しいのだ。しかし、だからといって獅徒や神将の力を限界まで引き上げようとしないのは、その反動を気にしているからだ。
獅徒の力の増強は、魂の力の強化だ。獅徒も神将も神ではない。神に並び立つことができるのは、神に等しい力を与えられているからにほかならず、主たる獅子神皇が神々よりも遙かに強大な力を持った存在だからだ。だからこそ、その使いに過ぎない獅徒たちが神々をも上回る力を振るうことができる。
神ならば、どれほど力を引き上げようとも、どれほど魂の力を鍛え上げようとも問題はあるまい。神は、高次の存在であり、限界はない。力を高めることができるのであれば、無限に強くなることだって出来るだろう。しかし、獅徒は、神ではないのだ。神ではない以上、限界があり、終わりがある。限界以上に強くすることは不可能であり、そんなことをすれば存在を維持できなくなるのだ。
そしてその限界は、獅子神皇にも見定められないものなのだろう。故に獅子神皇は、獅徒や神将の強化については、慎重なのだ。
獅徒には、神々を強制的に取り込み、みずからの力とする権限を与えられていることもあり、獅徒自身を強化するのはほどほどでいい、という考え方もある。
(それでも、勝てなかった)
レミリオンには、六柱の神々が同行しており、彼はその六神と合一を果たした上でセツナに戦いを挑んでいる。だが、ほぼ一方的に圧倒され、敗れ去ったことが記録からわかっていた。
レミリオンとの戦闘におけるセツナは、先の戦いよりも遙かに強くなっていた。
それ自体は、喜ぶべきことなのだが。




