第二千七百八十三話 心配と提案
「休んでいなくて本当にだいじょうぶなの? 急ぐ旅でもないんだし、しばらくは養生していてもいいのよ?」
ファリアがセツナに向けて告げた言葉は、本心以外のなにものでもなかった。戦宮の執務室。ファリアとセツナのふたりだけの空間。ほかの皆は、この部屋の窓から見える場所にいた。つまり戦宮の敷地内だ。セツナたちを運んできた寝台の回りで、レオナと一緒になって遊んでいる。
それは、セツナが提案したことであり、レオナに少しでも楽しんでもらいたいからだという。レオナの立場、境遇を考えれば、現状、心の底から笑っていられるような状況ではないのは間違いない。実の父親を名乗るものの討伐を命じたのだ。レオナは、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアに違和感を覚え、父と認められないからこそレオンガンドの元へは行かず、セツナの元へ来たのだが、だからといって、彼女が無神経に獅子神皇の討伐、ネア・ガンディアの打倒を言い放てるはずもない。
幼児なのだ。
グレイシアやリノンクレアの教育の賜物なのか、ときに大人以上に大人びてみえるが、実際にはそんなことはない。心の形も定まっていない幼子に過ぎない。そんな彼女の心を少しでも救いたいと願うのは、セツナだけではなかった。ミリュウやエリナ、シーラにレムに至るまで、皆がレオナの心を案じ、彼女のためにできる限りのことをしようとしている。
そんな光景を遠目に見遣りながら、自分もまた、気遣われているのだと理解する。セツナとふたりきりになれる時間を設けてくれたのだ。ミリュウが茶目っ気たっぷりに片目を閉じてきたのは、ふたりきりの時間を楽しめといわんばかりだった。ミリュウとしても、セツナを独占したいだろうに。
自分は幸せ者だ。
ファリアはそう思う一方、その幸福の中心にいる人物のことが心配でならなかった。執務室までは寝台を降りてひとりで歩いてこられたものの、その足取りは不安定といわざるを得ず、彼の体調が万全ではないことが明らかだったのだ。
「そうはいうが、ファリア。俺にゆっくり休んでいる暇なんてないぞ」
「え……?」
「そりゃそうだろ」
セツナが、鋭い目をした。ファリアに向けるまなざしとしては、めずらしい部類の表情だ。戦場の表情。平時に見せるものではない。それだけ彼も追い詰められている、ということのようだ。
「危機は、差し迫ってる」
「……それは、そうかもしれないけど……」
でも、と、ファリアはいいたかった。セツナがなにをいいたいのかは痛いほどわかる。自分が休んでいる間にネア・ガンディアが世界全土にその魔手を伸ばし、勢力を拡大するのを黙って見ていられるわけがない、というのだろう。一刻も早くネア・ガンディアの世界侵攻を終わらせるために手を打たなければならない。その手というのは、即ち、獅子神皇を討ち滅ぼすことだ。
ネア・ガンディアが国である以上、王を討てば、それで活動は停止するものだ。崩壊し、分裂し、いくつもの大きな勢力になるかもしれないが、だとしても神々の王たる獅子神皇を失ったものたちがネア・ガンディアに比肩するほどの脅威となるかといえば、首を傾げるところだ。ネア・ガンディアが恐ろしいのは、その圧倒的な戦力と、その戦力を掌握する求心力、支配力であり、それは、獅子神皇あってのものに違いないのだ。
獅子神皇さえ討ち滅ぼすことができれば、あとはどうにかなる。
なぜならば、聖皇が召喚した神々の中で最大の力を持った大神の一柱、女神ナリアを討滅寸前まで追い詰めることに成功したという実績があるからだ。残る神々のほとんどは、ナリアに並び立つことも不可能であり、たとえそれら神々がヴァシュタラのように合一したところで、ナリアに遠く及ばないことは明らかだ。ヴァシュタラを構成した神々のいくつかは既に滅び去っている。
その神殺しを果たしたのがセツナであり、故にこそセツナの負担や消耗は、ファリアたちが想像するよりも遙かに強大なのだ。
だからこそ、と、ファリアは想う。
「休めるときに休んでおかないと……」
「休めるときがあれば休むさ。実際、六日間寝込んでたんだ。十分、休めた」
「どこが十分よ」
「どこもかしこもさ」
そういって彼は上体を捻って見せたが、そんなもので納得できるものではない。もちろん、肉体は万全な上体のはずだ。彼は、物凄まじい戦闘を繰り広げたが、外傷はなかった。彼の肉体を蝕んだのは、体力の消耗であり、力の浪費による反動だったのだ。そのために意識を失い、六日ほど寝込んでいたのだが、よくそれで済んだものだと想う。
セツナは、先の戦いで、六柱の神を滅ぼし、獅徒レミリオンを討つという大偉業を成し遂げている。つまり、彼ひとりで勝利したようなものといって差し支えない。無論、彼にそんなことをいっても無意味だということはわかっている。彼はきっと、皆のおかげだというだろう。神を滅ぼせるのは、現状、黒き矛しかないのだから、自分が神を滅ぼす役割になるのは当然だ、と。それは確かにその通りなのだが、たとえほかに神を滅ぼす力や手段があったとしても、セツナの活躍には遠く及ばないのではないだろうか。
それだけ、完全武装状態のセツナは飛び抜けている。
次元が違うといってもいい。
それ故、反動だけで命を落としかねないのではないか、と、だれもが心配している。
黒き矛と完全武装が人間の手に余るものだということは、その戦いぶりを目の当たりにすればだれだって理解できるものだろう。
「休んで休んで休みまくった。で、目が覚めたら、もう、行動に移るしかないだろ」
「……皆との約束、忘れたの?」
「……まさか。忘れるわけないだろ」
セツナが苦笑交じりにいってきたところを見ると、本当に忘れてはいなかったようだ。しかし、まさかファリアに問い詰められるとは想わなかったようだ。しばし虚空を見遣り、そして視線をファリアに戻してくる。
「でも、それは――」
「先延ばしにするわけ? そんな勝手、皆が納得してくれると想う?」
「うーん……」
腕組みして考え込むセツナの顔を正面から見つめていると、彼が神々をも滅ぼすほどの力を持った存在とは思えなくなってくる。とても、神々を相手に大立ち回りを演じるような存在と同一人物には見えないくらい、苦悩に満ちた表情だった。
「駄目……かな?」
上目遣いで問われて、ファリアは、息を呑んだ。思わず胸が詰まる。
「全部片付いたら、さ。そうしたら皆の好きにしていいから。なんでもいうこと聞くからさ。戦いが終われば、決着がつけば……時間はたっぷりあるはずだろ?」
「……駄目よ、それじゃ」
「なんで……?」
「いまは、いましかないのよ」
ファリアは、セツナの想いを理解しながらも、まったく別の意見を述べた。
「皆、いまこの一瞬を精一杯生きているのよ」
「……それは、わかってる」
「わかっていないわ」
セツナの目を見つめ、彼女は続ける。
「つぎの戦いで命を落とすかもしれない――わたしだけじゃなくて、皆、そう想ってる。だって相手は神様よ? ううん、ただの人間が相手だって、場合によっては殺されることもありうるの。戦場に身を置くということは、死と隣り合わせということ。それは、君が一番よく知っていることでしょ」
「……ああ」
セツナが静かにうなずいたとき、彼がなにを思い出したのか、ファリアにもわかった。戦場に身を置いている以上、いつ何時、命を落とすのかわかったものではない。実際、ファリアたちは一度命を落としている。死んでいるのだ。ラミューリン=ヴィノセアがいなければ、ファリアたちはいまここにはいない。その事実が重くのし掛かってくる。
ナリアほどの力がある神はそういるものではないが、そういう問題ではない。
戦い続ける限り、命を失う可能性はついて回るのだ。
「そうだな。その通りだ。ファリアのいうとおりだ」
セツナの表情が晴れやかなものになったのは、納得できたからだろう。
「済まない。俺が悪かった。そうだな。いま、この時間をこそ、大切にしないとな」
「……わかってくれて、嬉しいわ」
「でもそのためにはだな」
「そうね。もう少し、体調が回復してからじゃないとね」
「しばらくは……静養かなあ」
「それがいいわ。うん」
ファリアは、セツナの途方に暮れたような表情を眺めながら、満面の笑みを浮かべた。
セツナがファリアの意見に真摯に耳を傾け、受け入れてくれたこともそうだが、納得できれば、それまでの考えを綺麗さっぱりなかったことにする潔さが心地よかった。




