第二千七百七十七話 翼(三)
「……なってくれたじゃないか」
セツナは、ルウファの青い瞳を見つめながら、いった。
翼。
その言葉に込められた想いの強さたるや、強烈ものがあるに違いない。武装召喚師は、己の愛用する召喚武装に強い思い入れを持つものだ。ルウファの場合は、シルフィードフェザーに思い入れを持ち、自分を重ねてさえいるようだった。翼とはまさにそれだ。シルフィードフェザーは翼型の召喚武装だ。翼を広げ、空を舞う。それが彼自身であり、彼にとっての自分の存在意義となっている。そして彼は、その翼でもってセツナを羽撃かせたいというのだ。
これほど嬉しく、胸が熱くなる言葉もあるまい。
彼がどれほどまでに自分のことを信頼し、心を許し、預けてくれているのか。その一言でわかろうというものだろう。だからこそ、セツナはルウファの気持ちをくみ取り、いったのだ。
「え?」
ルウファがきょとんとする。
「あのとき、おまえがいてくれたから、ファリアたちはここに辿り着いたんだ。彼女たちが“大破壊”を免れ、生き残ることができたのは、ルウファ、おまえがいてくれてこそだ。俺におまえという翼があったからだよ」
「隊長……それは」
「ルウファひとりの力じゃあない。が、ルウファの力でもある。ルウファがいてくれたから、実行できたことだ。ルウファがいなかったら、ファリアたちは地下に隠れて戦いが終わるのを待たせる羽目になっていたんだぜ?」
それがなにを意味するかわかるか、と、目だけで問えば、さすがの彼もはっとしたようだった。
もしあのとき、船とルウファたち飛行能力者による戦場離脱計画を実行に移さなければ、ファリアたちがどのような目に遭っていたのか、想像に難くない。ファリアたちだけではない。ルウファ、グロリア、アスラの飛行能力者三名も、同じく“大破壊”に巻き込まれていたに違いないのだ。
ワーグラーン大陸をでたらめに破壊し尽くした“大破壊”、その爆心地が“約束の地”であり、その直上に存在したのが王都ガンディオンだ。王都の地下に隠れていても、“大破壊”を逃れることなどできなかったのはいうまでもない。“大破壊”の直撃を受けて生き残れるはずもなく、全員が命を落としていたことだろう。
戦場に出ていたものたちもほとんどが死んだに違いなく、生き残ったのは、わずかばかりだ。エスクは死にかけたところを精霊たちに助けられ、ウルクはその躯体の頑強さ故に助かった。レムは死神故だ。
そして、王都地下で“大破壊”によって命を落とした場合、ヴィシュタルやレミリオンのように獅徒として転生させられていた可能性もあるのだ。それも決して低くはない可能性で、だ。獅徒の選別を行うのが獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアならば、《獅子の尾》の隊士たちを放っておく理屈はない。
レオンガンドにとって王立親衛隊《獅子の尾》は特別な部隊だった。
仮に獅徒に選ばれなくとも、別の存在として転生させられていたことは疑うまでもない。ラクサス=バルガザールやミシェル=クロウ、アルガザード=バルガザールのように、なんらかの形で、獅子神皇の重臣として転生させられていたに違いない。
いまやあり得ないことではあるが、もしそうなっていたのであれば、セツナにはどうすることもできなかっただろう。
レミリオンを前にしたルウファと同じだ。
ファリアたちの転生体を前にすれば、戦うには戦えたとしても、止めを刺すどころか、まっとうに痛撃を加えることもできず、途方に暮れることとなっただろう。
「感謝しているんだ。本当に」
「……参ったな」
「ん?」
「ここは、俺が感謝を示したいところだったのにな。まさか隊長のほうから感謝されるだなんて」
照れくさそうに苦笑する彼の反応を見て、セツナは安堵した。同時にもっと伝えたいことが浮かんでくる。
「……わかっていた。知っていたさ。俺は、皆に支えられていた。支えてくれるひとがいたからこそ、戦えたんだ。ひとりだったなら、戦い続けることなんてできなかったさ。どこかで心折れ、倒れ伏しているだろうよ」
「隊長に限ってそんなことは……」
「あるな」
自嘲気味に、告げる。
「俺のことは、俺が一番よくわかっている。辛いとき、苦しいときにこそ、皆がいてくれたんだ。だから俺は前を向いていられた」
いまも、そうだ。
どんな艱難辛苦も耐え抜くことができるのは、自分を支えてくれるひとたちがいるおかげであり、もしそういうひとたちがいなければ、すぐにでも投げ出してしまいそうな気がしてならなかった。覚悟や決意の問題ではないのだ。
もしひとりだったなら、と、考えると、それだけで目の前が真っ暗になりそうだ。少なくとも、戦い続けることなど出来ないだろうし、どこかで心折れ、諦めているのではないだろうか。周囲に自分のことを想い、支えてくれるひとがいるからこそ、何度だって立ち上がり、戦いに赴くことが出来るのだ。
「隊長も……そうだったんですね」
「人間、だれだってそうなんじゃないか」
「ひとは、ひとりで生きていけるほど強くはないってこと」
「俺も、そう想います」
「まあ、中にはそういう人間もいるんだろうけどさ。大抵はそうじゃない。寄り添い、支え合って生きている。実感するよ、最近は特にさ」
「俺も――」
そこからルウファがなにをいおうとしたのかは、わからなかった。彼のどこか決意に満ちた表情は、つぎの瞬間、苦笑に変わってしまったからだ。どたどたと、物凄まじい音が壁の向こう側から聞こえてきたかと思うと、セツナたちのいる部屋の扉が思い切り開け放たれ、同時に何人もの気配が飛び込んでくる。そしてそれらは口々に叫びを上げた。
「セツナあああああああああ!」
ミリュウが涙ながらに寝台に飛びかかってくれば、
「御主人様あああああああああ!」
レムもまた、同じような表情、態度でもって飛び込んできて、
「セツナ!」
ウルクがだれより早く飛来し、
「どいつもこいつもうるせえ!」
シーラが憤慨すると、ミリュウが言い返す。
「あんただってうるさいわよ!」
「んだと!?」
「まったく、騒がしいな」
そういって最後に部屋に入ってきたのはエリルアルムであり、彼女より先に入り込んできたエリナがセツナの顔を覗き込むようにしてきた。
「お兄ちゃん、もう起きてだいじょうぶなの?」
「あ、ああ……」
セツナは、自分がだいじょうぶなのかどうかさえ自信が持てなかった。なぜならば背後からはウルクに羽交い締めにされ、右腕はミリュウに、左腕はレムに支配されているという状態に、一瞬にしてなってしまったからだ。まるで夢に見た光景のようだが、あのような甘美な空気も、官能的な感覚もない。ウルクの手加減を加えながらも、その力加減を大いに間違えた抱擁には激痛を禁じ得なかったし、ミリュウとレムの遠慮の知らなさにもなんともいえないものがあった。寝台の側で憮然と突っ立つシーラの姿がどこか口惜しげに見えるのは、気のせいだと思いたいが、どうだろうか。エリルアルムはといえば、この光景こそむしろ好ましいもののように見ているらしい。どういう趣味趣向かは知らないが。
ルウファが笑うのを噛み殺すようにいってくる。
「まあなんていうか、隊長も大変だ」
「この状況でいう感想がそれか」
「いやだって、前のときより格段に大変そうですし」
「……そりゃあまあな」
否定できない事実ではあった。
以前リョハンを訪れたときは、セツナのほかにはレムだけしかいなかった。
いまは、レムに加え、ミリュウ、エリナ、シーラ、ウルク、エリルアルムがいるという大所帯だ。
「そういや、ファリアは?」
「戦女神様だもの。多忙なのよ」
「そっか。そりゃそうだ」
リョハンを離れている間、戦女神の仕事は代行に任せきりだったのだ。一時的にとはいえ、リョハンに帰ってきたのであれば、多少なりとも戦女神の仕事を全うしなければならないと思うのが、責任感の強いファリアらしいといえば、ファリアらしいといえるだろう。
この場にいないのは、少しだけ、寂しいが。
いたらいたでさらに収拾が付かなくなりそうでもあり、なんともいえないところだった。




