第二千七百七十三話 愛の虜囚(十五)
セツナは、ミリュウたちが彼の衣服を脱がし始めるのを目の当たりにして、より一層違和感が増幅するのを認めた。
こんな状況になったことがないからわからないものの、だからこそ、そういった行動に移る彼女たちの姿を想像することができなかったし、違和感しかなかったのだ。特にミリュウは一見積極的に見えて奥手であり、初だ。ファリアは奥手だし、シーラもそういったことには疎かった。レムですら、そういう状況になったらどう出るかわかったものではない。彼女たちは仮面を被る。いや、彼女たちだけではない。人間だれしも仮面を被り、生きている。そして、状況に応じて仮面を付け替えることでやり過ごすのが人間という生き物なのだ。
つまり、こういう状況になれば、ミリュウも覚悟を決め、むしろ積極的になるのかもしれない、ということだが、だとしても、いまのセツナからしてみれば全員が全員、違和感の塊でしかなかった。だれもが、セツナと愛し合うことしか考えていない。それ以外のことに目もくれず、考えもしないのは、明らかにおかしかった。
ありえないことといっていい。
責任感の強すぎるファリアすら、セツナから衣服を脱がすのに必死になっている。
「この状況、まさか俺が心の何処かで望んでいるとでもいうんじゃねえだろうな?」
だれとはなしに問うと、四人の手が止まった。こちらを見て、きょとんとする。
「なにをいっているの?」
「そうよ、セツナ。どうしたの?」
「脱がされるのは嫌でございますか?」
「そりゃあ恥ずかしいだろうけどさ」
セツナの知る四人の美女たち。ファリア、ミリュウ、レム、シーラ。だれもがセツナの記憶の中の彼女たちとまったく同じ姿、まったく同じ表情でそこにいる。だが、それこそがおかしいのだ。不自然なのだ。セツナが知っているのは普段の彼女たちであり、極めて親しいとはいえ、こういう状況に置ける彼女たちの表情など見たことはなく、故に違和感を覚えざるを得ない。こういう状況で、いつも通りの反応を見せるだろうか。いつも以上に積極的に行動するだろうか。
「違う」
告げた瞬間、四人の姿が黄金色の粒子となって散った。まるで黄金色の吹雪が吹き荒れるように、視界がまばゆい光に包まれる。
「あら、あっさり」
少しばかり残念そうな声を振り返れば、玉座のように大きな椅子にメイルオブドーターが腰を下ろしていた。ファリアたちが身につけていたのと同じ金色の装束を身につけているのは、皮肉かなにかだろうか。ミリュウやシーラ以上に胸が大きく、腰がくびれており、その肢体は官能的な曲線を描いているものだから、下着めいた衣装はより引き立った。下着か肢体か、どちらが引き立っているかといえば、両方だろう。
「あんなもので俺を誘惑できると想うなよ」
セツナが睨み付けると、魔女はなにかを見つけたのか面白そうにほくそ笑んだ。
「そのわりにはしっかり反応しているじゃない。体って本当に正直ね」
メイルオブドーターの発言と視線の位置から、セツナははっとなった。いつの間にかしっかりと脱がされていた衣服を着直し、居住まいを正す。実際問題、セツナの体は偽者の美女たちに反応していたのだ。
「それとこれとは話は別だろ」
言い訳がましいとは想いながら言い返せば、魔女は笑うのみだ。
「そう? 同じでしょ」
「心と体は、別だ」
とはいえ、完全に別物というわけではない。心理状態、精神状態が肉体になんらかの作用、影響を及ぼすことは理解しているし、逆もまた然りだ。体力が消耗しているときは精神的にも弱くなる。心と体は必ずしも切り離せるものではない。が、だからといって完全に同一のものでもない。いまのセツナがそれだ。体は反応しても、心は、振り切った。
「そうね。その通りよ」
メイルオブドーターは艶然と微笑む。その余裕に満ちた態度は癪に障るが、現状、セツナにはなにもしようがなかった。
これは試練だ。
提示された試練の条件を突破しなければ、鍵を得ることはできない。ただ相手を斃すだけが試練ではないのだ。いまここで怒りに任せてメイルオブドーターを殴りかかっても、なんの意味もないだろう。むしろ、失格の判定を受け、もう二度と試練を受けられなくなる可能性だってあるのだ。ここは堪え、相手の話に耳を傾ける以外にはない。
「でも、だったら、こうは考えないかしら。この試練に一体なんの意味があるのか、って。疑問に想わない?」
「それは……」
確かに、そういう考え方もないではない。
しかし、心の鍛錬、魂の修練が無意味だという結論には至らないのだ。なぜならば、セツナの鍛錬の目的は、黒き矛カオスブリンガーと六眷属を真に使いこなすための自分を作ることであり、そのためには心魂を鍛え上げることが重要だからだ。
「心と体が別物である以上、この地獄であなたの心だけを鍛えてもなんの意味もないんじゃないかしら。たとえばそう、あなたの心がだれより強くても、肉体が弱いままなら、この修練の日々に意味があったと想えるかしら」
「……肉体には、限界がある」
「そうね。それも正解」
メイルオブドーターが満面の笑みを浮かべる。まるでお気に入りの生徒に合格点を与える女教師のような雰囲気だと感じたのは、間違いではなかった。メイルオブドーターは、金色の装束からスーツ姿に変わっていて、黄金の神殿めいた空間もだれもいない教室に様変わりしていたのだ。一瞬の出来事だった。いや、一瞬という言葉すら生温いほどの早業だ。
気がつくと、セツナ自身の姿も変わっている。黒装束から学生服になり、椅子に座らされ、教壇に立つメイルオブドーターを眺めていたのだ。
「種によって様々だけれども、肉体を鍛えるには限界がある。でも、心には、魂にはそれがない。だから、あなたは地獄に堕とされた。この無限に深く、無尽に昏い魂の牢獄に」
指示棒が示す黒板には、地獄の構造らしきものが描かれていた。地獄は多層構造になっており、魔王の宮殿は最下層にあるようだった。そして、その魔王の宮殿へ至る道順には、セツナが突破してきた三つの試練が記されている。焔道、嵐ヶ丘、剣野。
黒板に描かれた地図を見る限りでは、セツナはでたらめな道を進んできたはずだったのだが、どうやら魔王の宮殿へ辿り着くための道順を辿ってきたらしい。
「魂を鍛え上げ、わたしたちを付き従え、我が主を手に携えるために」
「……いまさら、なんのおさらいだ。それにこれはいったいなんの真似なんだ」
「美人教師と男子生徒の秘めたる恋路……なかなか素敵じゃない?」
そういって教卓に上半身を乗せたメイルオブドーターの様子からは、黒き矛の眷属としての威厳やら立場やらを感じさせなかった。ただ、胸元を大きく開き、その豊かすぎる双丘を強調してならない格好には、魅力を感じざるを得ないのも事実だ。メイルオブドーターは、女教師然とした格好をしていても、匂い立つような色香があるのだ。
「俺は、そんなことをしにきたんじゃあないんだよ」
「そんなこといわないの」
不意に耳元に息がかかると、視界が空転して、彼ははっとした。身構えてももう遅い。桃色がかった光が天井から降り注いでいて、ついで女教師姿のメイルオブドーターが自分に覆い被さるようにしていることに気づく。ふかふかの寝台の上、身動きひとつ取れない。いったいどういう理由なのか。
「わたしが司るのは色欲。精も根も尽き果てて、なにもかもがどろどろに溶けてしまうまで、愉しみましょう」
魔女の艶美なまなざしは、獲物を捉えた獰猛な獣のようだった。




