第二千七百七十一話 愛の虜囚(十三)
「まあ、だからといって、わたしたちの真の名をあなたに教えるつもりもなければ、いわれもないのだけれど」
メイルオブドーターは、男好きのする目をして、いった。美しい女だが、決してだれよりも美しい顔立ちをしているというわけではない。メイルオブドーター以上の美人ならば何人かはいそうだ。少なくとも、絶世の美女たるアズマリアのほうが美人といって差し支えない。ただし、どちらがより男を魅了できるかといえば、メイルオブドーターに軍配が上がるのではないか。それは、メイルオブドーターがなにも身につけていない、真っ裸の状態だから、という話では、ない。その挑発的なまなざしや濡れたような唇、現在の表情を作り出す部位のひとつひとつが男の本能を刺激する、そんな感じがあった。
故にセツナは気を引き締め直さなければならなかったし、メイルオブドーターに魅入られないように全力で抵抗しなければならないと思った。黄金の神殿の中のような一室の祭壇ともいうべき寝台の上、メイルオブドーターはセツナを誘うようにして、座っているのだ。わずかでも油断すれば、その瞬間、魔女の魔力に魅了され、寝台の上に飛び込んでいそうだった。
「だったら、メイルオブドーターのままでいいってわけだな」
「仕方ないじゃない。ほかに呼び名があるってわけじゃないし」
「……そうだな」
うなずき、どうでもいいことだと断じる。メイルオブドーターやランスオブデザイア、果てはカオスブリンガーの本当の名については、いまこの瞬間に考えることなどではなかった。少なくとも、試練とは関係がないはずだ。関係があるのであれば、最初の試練から出題された問題だろう。しかし、ランスオブデザイアのときも、ロッドオブエンヴィーのときも、アックスオブアンビションのときも、そんな話はおくびにも出なかった。つまり、試練とは無関係ということだ。
そして、それならばそんなことに構っている暇はない。
「俺はあんたとそんな話をしにきたんじゃあない」
「ええ、そうよね」
メイルオブドーターは妖艶な笑みを浮かべると、右手を布団で隠れた股の間に差し込むようにした。肉感的な肢体は、やはり特に男性にとって刺激的かつ官能的に見えるだろうし、事実、セツナもその魅惑的な肢体の魔力から自分の意識を護るのに必死にならなければならなかった。でなければ一瞬で意識を奪われ、自分を見失ってしまうだろう。
魔女は股間をまさぐるようにして、右手を掲げた。細くしなやかな手のひらの上に桃色の鍵が浮かんでいる。鍵が光沢を帯びているように見えるのは、なぜか濡れていて、室内に満ちた黄金色の光を反射しているからのようだった。
「あなたはこの鍵を奪い取りに来た。それが試練であり、あの方に謁見するために必要な儀式だから」
メイルオブドーターが艶然と告げてくる。その表情、仕草のひとつひとつが男の劣情を刺激する。故に、セツナはそれを振り払わなければならなかった。
「どこから取り出してんだ」
「さて、どこでしょう?」
「……どうせ布団の中だろ」
「どうかしら」
彼女は、鍵をこちらに向かって差し出すようにして掲げながら、いった。試すような表情は、セツナの想像などお見通しだといわんばかりであり、そしてその想像こそが正解だといいたげだった。
「この鍵はとても大切なものよ。わたしたちの主、あのお方の御座す場所に至るために必要な鍵だもの。わたしたちの命なんかよりも余程大切で、貴重なものなの。それを隠すのに最適な場所が、布団の中だと思う?」
「……それも、どうだっていい」
断ち切るように告げると、メイルオブドーターは表情をわずかに歪ませる。
「つまらない男ねえ。こういうときは顔を真っ赤にして答えたほうが、好感度上昇よ?」
「そんなもののためにここにいるんじゃあないっていってんだろ」
「いってないわ」
「同じようなもんだ」
「同じようでも、違うでしょ。これは大事なことよ」
メイルオブドーターが優しく諭すようにいってくる。
「同じ言葉をいっていない限り、異なる意味に受け取られても致し方がないの。好きという言葉と愛しているという言葉が、究極的には同じなのに、違う風に受け止められるように、ね」
「なにがいいたい?」
「同じことを伝えたいのなら、同じ言葉を使わなきゃ駄目ってことよ。忠告。警告といってもいいわね。言葉の選択間違いが致命的な失敗に繋がることだってあるのよ」
「……忠告、痛み入る」
セツナがメイルオブドーターの言葉を聞き入れたのは、その忠告そのものにはなんの間違いもなさそうだったからだ。実際問題、言葉というのは難しい。ちょっとした言葉の選択間違いが心のすれ違いを生むことだってざらにある。男女の間では特にそうだ。赤の他人なのだ。言葉のひとつからすべてを理解し合えるなんてことは、おそらくない。
「あら、素直ね。そうよ、それでいいのよ」
「なにがだ」
「素直に受け止めなさいな。自分自身の本能、色欲、劣情のすべて」
メイルオブドーターの両目が妖しく輝いたと思ったときには遅すぎたのだろう。
「なにもかも吐き出してしまえばいい」
「なにをいって――」
いるんだ。
そういおうとして、セツナが言葉を失ったのは、まさにメイルオブドーターの術中に嵌まっていることに気づいたからだ。
セツナは、いつの間にか寝台の上にいた。黄金の神殿、その祭壇ともいうべき寝台の上で半裸になっていたのだ。そして、彼を取り巻くようにして、女たちがいた。ファリア、ミリュウ、レム、シーラ――これまで試練となって立ちはだかった女たちが、肌の大半を露出した際どい黄金色の装束を身に纏い、セツナを取り囲んでいた。いや、装束と呼べるようなものではない。肌着というべきか、それよりももっと際どいものといったほうが正しいのではないか。少なくとも、肌を覆う面積は並の肌着よりも遙かに少なく、ほとんど全裸に近かった。だがしかし、彼女たちはそんな格好をしていながらも羞恥心のかけらも見せず、むしろこの状況に酔っているかのようだった。
「なんだか夢みたい」
ファリアがいった。彼女はセツナの右腕に絡みつくようにしていて、うっとりとした様子でこちらを見ている。そのみだらとしかいえない表情は、彼女が一度たりとも見せたこともなければ、セツナが想像したこともないものだ。押しつけられる胸の感触は、実感を伴っている。
「ううん、夢じゃないわよ」
とは、ミリュウ。彼女はセツナの左腕に全体重を乗せるように全身を絡みつかせ、やはり悦に入った表情でこちらを見つめている。ファリアと同じだ。完全に理性を失っている。本能だけが彼女を突き動かしていた。肉感的な柔肌の感触が左腕から全身を刺激した。
「そうでございます。これは現実」
甘い声で、レムが囁く。一番華奢な彼女は、その小さな体の特権を利用するかのようにして、セツナの膝の上に跨がり、胸に顔を埋めている。彼女もまた、黄金色の装束を身につけているが、その華奢な体でもやはり際どく、極めて刺激的な姿といっていい。
「なんだっていいさ。俺はいま幸せなんだからな」
心の底から幸福そうな声を上げたのは、シーラだ。彼女は、セツナの左太ももに顔を乗せ、伸ばした脚に全身を絡みつかせるようにしていた。肌着同然の装束からは豊かな胸が零れそうだったし、脚の付け根まで見えそうだったが、彼女は意に介していないようだ。
セツナは、全身を四人の女たちに支配されているような格好だったが、まんざらでもなかったのは、四人が四人、極めて幸福に満ちた様子を見せていたからだったし、セツナ自身、至上の幸福がここにあると実感したからだ。
夢のようだ。




