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第二百七十六話 彼女の理由(後)

 ミリュウは、左隣を一瞥した。ファリア=ベルファリアが書物を開いているのだが、目が悪いのか、本を極端に顔に近づけていた。髪が全体的に多少短くなっているのは、出発前に切ったからだ。彼女は、クルードとの戦いの中で全身に火傷を負ったらしく、そのとき、髪も焦げたそうだ。そのままでは醜いと判断したのだろうし、その判断に間違いはないとミリュウも思ったものだ。幸い、奇抜な髪型になるような事態は避けられて、彼女はほっとしていた。そしてファリアはセツナの反応を気にしていたようなのだが、彼は彼女の変化に気づいていない様子だった。

(鈍感なのかしら)

 ミリュウがセツナの無反応ぶりにやきもきしたのは、彼とファリアの関係を認めてもいるからだ。彼には彼女が必要なのだということがわかりきってしまっている。

 彼の記憶を垣間見てしまった。

 そのことが、ミリュウにとってもファリアという女性を特別なものにしてしまっていた。

 ファリア=ベルファリア。ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊長補佐であり、武装召喚師。クルード=ファブルネイアと戦い、彼に致命傷を与えたという。その話を聞くだけで、彼女の武装召喚師としての実力の一端が知れる。クルードも、魔龍窟を生き延びた武装召喚師なのだ。強力で、凶悪な戦士なのだ。その上、彼は光竜僧こうりゅうそうを用いることが多く、あの戦いでも使っていたはずだ。

 光竜僧は、その性能故なのか制御が難しく、ミリュウの技量をもってしても思い通りにならないことが多かった。魔龍窟でも数えるほどしか使い手が生まれなかったことを思えば、彼の技量の高さがわかるというものだろう。

 彼は、魔龍窟でも一番の光竜僧の使い手だったのだ。

 そんな彼を激戦の末に制したのが、左隣で書物に集中する女性だった。どんな方法で彼を出し抜いたのかは気になるものの、なかなか聞き出せないでいた。聞けば、ある程度は教えてくれるだろう。もちろん、召喚武装の性能の核心に触れる部分は秘されるとしても、だ。だが、詳細を聞けば、ミリュウはクルードの死を実感してしまうかもしれない。

 クルードの死は、まだ完全に受け入れてはいないのだ。もちろん、わかっている。ガンディア軍が勝利したということは、ふたりは戦死したか、戦線を離脱したかのどちらかだ。そして、ファリアたちがミリュウを騙すためだけに嘘をつくはずもない。そんなことをする意味がない。クルードはファリアによって致命傷を受け、セツナの見ている前で死んだ。ザインは、ルウファ・ゼノン=バルガザールとの戦いの末に死んだ。

(それが事実……)

 だからといって、ミリュウはセツナたちを恨んだりはしなかった。すべて、納得済みのことだ。戦いとはそういうものなのだということをよく知っている。だれもが、殺したくて殺しているわけではない。殺さなくてはならないから、殺すのだ。ミリュウもクルードもザインも、そうだった。セツナたちもそうだろう。

 ただ、ミリュウの存在を許せないと思うものがこの軍の中にいるのもまた、事実だ。彼らの仲間を手にかけた以上、恨まれても仕方のないことだ。ただ、ミリュウが彼らを恨むことはないというだけのはなしだ。

 ミリュウが憎悪するのは、いつだってザルワーンであり、オリアンなのだ。

 だから、というのもある。

 オリアンを殺すには、龍府に乗り込むしかない。機を逃せば、彼は戦闘のどさくさに紛れて逃げ出すに決まっている。

 彼は、そういう男だ。

 故に、ミリュウが直接手を下さなければならないのだ。彼を逃せば、またミリュウたちのようなものが生み出されるに違いない。第二第三の魔龍窟が作られ、長い時をかけて憎しみが醸成されていくのだ。これ以上、自分と同じような目に遭うものを増やしてはならない。あんな地獄は、ひとつだけで十分だ。

 そのためには、彼を殺すしかない。あの男が反省し、改心するなどということはありえない。父親ではあったが、十年前に棄てられただけでなく、魔龍窟の総帥として身内同士の殺し合いを推奨してきた人物を敵として認識することに躊躇いはなかった。問題は、彼を前にして冷静にいられるかどうか、だけだ。激情に駆られれば、殺せる相手も殺せなくなる。

「なに?」

 ファリアが問いかけてきたのは、ミリュウが度々視線を送っていたからかもしれない。彼女は丁寧に本の間に付箋を挟んでいる。

「別にー。用がなかったらあなたを見てはいけないのかしら?」

「ええ」

「即答ですか」

「冗談よ」

「わかってるわよ」

 ミリュウが口を尖らせたことに意味はない。ただ、彼女に意味もなく話しかけられたことが、妙に嬉しかった。ファリアとの他愛ない会話自体がめずらしいことだからというのもあるのだろうが、やはり、セツナの記憶に触れてしまったことの影響が大きいのだ。セツナのファリアへの感情がミリュウの意識に残留しているような、そんな感覚さえある。あのままセツナの記憶に触れ続けていれば、自分とセツナの境界を見失い、ミリュウ=リバイエンという人間に戻れなくなっていたかもしれない。

 あのとき、ミリュウの名を呼ぶ声が聞こえなければそうなっていたのだろう。そう思うとぞっとしないでもないのだが、あのまま彼の記憶を覗き続けていたいと思ったのも事実だった。もっと、セツナに触れていたい。

 彼の記憶は、ミリュウには心地よかったのだ。辛い記憶もある。苦しい想いもする。それでも、ミリュウにはない光が数多に存在していた。闇だけではなかったのだ。無数の輝きの中で、彼は生きている。そういった記憶に触れることができたのは、彼女にとっては幸福だったのかもしれない。

「ひとつ、聞いていい?」

 尋ねられて、彼女は、ファリアの目を見つめた。切れ長な目に浮かぶ、宝石のような緑色の虹彩。セツナが見惚れてしまうのも無理はないと思ったが、同時に負けていられないとも考えてしまう。

 無意味なことだ。

 戦争が終われば、露と消える関係なのだ。ミリュウはガンディア軍に利用されているだけであり、ミリュウもまた彼らを利用している。それだけの間柄。彼に物理的に近づくことはできても、心の距離を縮めることはできない。

「いいわよ」

 あっさりとうなずくと、彼女はどう問うべきかを迷ったようだ。

「あなたは、どうしてセツナに拘るの?」

 ファリアにまっすぐ見つめられる。冗談で逃げるのは許さないといった表情だ。セツナに対して並々ならぬ関心を抱いているらしい彼女にとっては、気になるところだったのだろう。ミリュウの監視役になってからというもの、ずっと聞き出したかったに違いない。

 ミリュウは、彼女の要望を叶えてやりたいと思いながらも、自分が明確な答えを持ち合わせていないということに気づいていた。

「よくわからないのよ、自分でも。ただ、セツナのことが気になるの。彼のことを考えるだけで胸の奥が熱くなってくるのよ」

 昨夜のことを思い出す。

 夜中、彼女の牢と化した馬車を訪れた人物がセツナだったときの衝撃は、いまでも彼女の心の奥底で疼いている。魔晶灯の冷ややかな光を浴びた少年の顔を見た瞬間、彼がセツナなのだと理解できた。黒い髪に赤い瞳。彼の記憶に見た男によく似ている。あれはきっとセツナの父親で、つまるところ、ミリュウは彼が生まれ落ちた瞬間の記憶をも見てしまったということだろう。

 セツナに対して特別な感情を抱いてしまったことの最大の原因は、やはり、それだ。黒き矛を通して彼の記憶に触れ、そこに心地よさを覚え、共感したからだ。

 セツナとなにを話しあったのか、実はあまり覚えていない。浮かれていたというのもある。妙にはしゃいでしまっていた。彼をからかったり、突っかかったりしたのは、きっと、自分の本心を隠すためのものだったに違いない。その恥ずかしさが記憶の曖昧さにも繋がっているのだろう。

「胸の奥が……熱く……」

 ファリアが、深刻そうにつぶやくのを横目で見て、ミリュウは少しだけ微笑んだ。そういうことではないのだ。もっと、根の深い話だ。無論、彼女が邪推するような感情も多分に含まれているのだろうが、本質は違う。

「長い間、闇の底にいたわ。光も届かない地の底で、訓練という名の殺し合いをしていた。あたしは生き延びるのに必死だった。わけもわからないまま死にたくなんてなかったもの。必死で戦って、戦い抜いて、ようやく陽の光を浴びることができたのが、あなたたちと戦う少し前のことよ」

「魔龍窟……」

「十年、そこにいたのよ」

 本当のことを告げると、彼女もさすがに驚いたようだった。

「十年も……!」

「あたしは十六歳のころ、魔龍窟に投げ入れられた。それから十年間、闇の中で、陽の光だけを追い求めていたわ。でも、不思議よね、実際に日光を浴びると、最初のうちは嬉しくてたまらないんだけど、すぐに慣れちゃった」

 十年ぶりに目の当たりにした太陽はまぶしすぎて、灼かれるかと思うほどだったのを鮮明に覚えている。青白かった肌は、数日の間に日に焼かれ、血色の良い健康体とでもいうべきものに近づいたのは喜ぶべきことだろう。蒼白のままだったら、セツナに嫌われたかもしれない。

(いまでも好かれているとは思えないけどさ)

 実際のところ、彼にはどう思われているのだろう。

 殺し合ったばかりの相手が、急に馴れ馴れしく接してきたことに困惑しているのは間違いない。迷惑だとさえ感じているかもしれない。嫌われたくはない。だが、自分で自分の行動を抑えられないのだ。セツナを見ると、体が勝手に動いてしまう。触れていたいという衝動を止められない。いまは彼が眠っているうえ、子犬が腿の上で寝ているから、辛うじて接近せずに済んでいる。子犬がいなければ、セツナの隣に座り、抱きついたりしていたかもしれない。そう考えると、子犬がいてよかったと思うのだ。彼に触れていたいのだが、その結果嫌われてしまうのなら、こうして我慢している方がましだ。

「なにもかも、そうよ。十年ぶりに見る世界の色彩は、あまりに眩しくて、綺麗で、呆気にとられるほどで……でも、すぐに慣れたわ。慣れたら、どうでも良くなっちゃった。現金なものよね」

 自嘲気味に笑ったが、ファリアは笑いもしなかった。真摯に、こちらの言葉に耳を傾けてくれている。整った顔立ちだ。傷だらけだったが、それさえも彼女の顔を飾り立てているように見える。美人はなにをしていても美人だという。彼女がそれかもしれない。

(セツナが夢中になるわけね……)

 悔しいが、認めるしかない。彼女はそれに値する女性だ。容姿も、きっと、性格も。

 自分とは、まったく違う生き物だ。生まれや育ちでこうも変わるものかと思わないではないが、ミリュウは途中から化け物として育てられたのだから、比べるのも失礼な話だった。卑下ではなく、実感だった。自分は魔龍窟で育て上げられた化け物であり、ファリアのような光を浴びて育ったひとびととは違う存在なのだ。

 だから、光を求めている。

「そうよ。うん、きっと、そうなのよ」

 ミリュウがひとり納得すると、ファリアが間の抜けた声を上げた。

「え?」

「ひとつだけ、確かなことがわかったのよ。あたしがセツナに拘る理由」

 ミリュウは、セツナに視線を移した。積み荷に突っ伏して眠る少年の寝顔は、だらしなく緩みきっている。そこには、歳相応の表情がある。緊張や緊迫とは無縁の素顔だ。ずっと、眺めていたいと思う。できれば、この戦争が終わっても、ずっと。

「あたしは、セツナに光を見たのよ」

 黒き矛が見せた彼の記憶から現実に戻ることができたのは、ミリュウの名を呼ぶ声が聞こえたからだった。

 その声は、閃光のように彼女の意識を包み込み、闇の底から現実へと引き上げてくれた。

 それは、セツナの声だったのだ。

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