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武装召喚師――黒き矛の異世界無双――(改題)  作者: 雷星
第三部 異世界無双

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第二千七百六十四話 愛の虜囚(六)


 半ば強引ながらも顔面を豊かな胸に包まれるというのは至福の瞬間といってもいいのだろう。瑞々しい果実にたとえられるほどに豊満な彼女の乳房を包み込んでいるのは、生地の薄い下着だけであり、その下着の面積というのは想像以上に狭く、小さかった。その事実を理解したのは、彼女の柔肌が両方の頬に触れていることに気づいたからだったし、そのことを察知した瞬間、彼は自分の置かれている状況に戦き、震え上がった。

 ミリュウの偽者に抱き竦められている。

 甘ったるい、それこそ蕩けるような嬌声を上げる様子などは、ミリュウ本人といって差し支えないくらいにそっくりの偽者は、本人そのもののような強引さでセツナを引っ張り、挙げ句に自分の胸の間でセツナの顔を挟み込んだまま抱き竦め、ご満悦といった有り様だった。

 ミリュウは、武装召喚師だ。しかも、セツナが知る限り、世界最高峰といっても過言ではない武装召喚師のひとりであり、歴戦の猛者でもあった。そして、武装召喚師は、肉体を徹底的に鍛え上げることを奨励され、ミリュウも鍛錬を怠けるということを知らない人物だ。故にその体は鋼の如く鍛え上げられており、自分よりも体格の優れた男を打ちのめすことくらい容易くやってのけてみせた。しかしながら実際に触れてみると、彼女の肢体は、信じられないほどに柔らかく、しなやかであり、どこに鋼の如き筋肉が隠れているのかがわからないほどなのだ。

 それは、ミリュウだけに限った話ではない。

 同じ世界最高峰の武装召喚師である――とセツナが想っている――ファリアもそうだったし、召喚武装使いとして、戦士として鍛錬を怠らないシーラもそうだった。

 どうやらこのイルス・ヴァレの人間というのは、セツナの生まれ育った世界の人間とは根本的に異なる存在なのかもしれない。どこまで見ても同じ種にしか見えないが、構造かなにかが違うのだ。故にどれだけ鍛え上げても、筋肉の鎧に覆われることがないのではないか。セツナがそんな風に結論づけたのは、随分と昔の話だった。

 そして、いまさらのようにそんなことを思い出したのは、思考停止の果てに現実逃避に至ったがためだ。

 いま、セツナを抱き竦めているミリュウは間違いなく偽者だ。なにもかもが偽りの存在であり、そのことは、ここが地獄であるということを考えるまでもなく認識できるものだ。いま目の前にいるミリュウが本物ならば、もっと恥じらいを見せるはずだった。

 ミリュウは積極的かつ直接的に触れ合いを求めてくるが、実際にそうなると、途端に恥じらいを見せる。そういった部分が可愛げであり、愛嬌であると、周囲のだれもが認識していた。

 セツナの顔面を胸の間に挟んだままご満悦の様子を見せるなど、ミリュウらしくもない。

 だのに、セツナは、しばらくの間、身動ぎひとつできなくなってしまっていた。まるで魅入られたように、ミリュウの胸の感触を堪能している自分がいたのだ。

(なにしてんだ、俺は……!)

 我に返ったからといって、即座に偽者を突き飛ばせないもどかしさに歯噛みする。偽者だとわかりきっていても、ミリュウそのものの姿で現れ、ミリュウのように振る舞われれば、手の出しようがない。

 仕方なく頭部を抑えつけている偽者の腕を引き剥がそうとするが、中々どうして上手く行かない。

「だーめ、セツナにはもっとあたしを感じてもらうんだから」

 ミリュウが、濡れたような声で囁いてくる。その声の甘ったるさには、意識が痺れていくようだった。彼女の腕を掴んだまま、動けない。まるで自分の体が自分のものではなくなってしまったような、そんな感覚がある。

(なんだ? なにがどうなって……)

 思考が定まらない。自分がなにをしようとしていたのか、なにを考えていたのかさえわからなくなっていく。ただ理解できるのは、自分がいま、至福の時間の中にいるということだけだ。

 自分を愛してくれる女性の熱烈な愛情表現を受けられるなど、至上の幸福といっていいはずだ。いつ果てるとも知れない戦いの中に身を置くよりは余程、いい。殺し合いはなにも生まない。意味もない。そんなことに命を燃やすくらいならば、愛に命を燃やすべきではないのか。

「あたしだけで、いいのよ」

 確信に満ちた声で、彼女がいった。

 疑問が消える。

 ほかになにもない。なにも考えなくていい。ただ、愛を享受するだけでいいのだ。自分から動く必要はない。すべて彼女に任せればいい。委ねてしまえばいい。身も心もすべて明け渡し、愛に生きるのだ。愛がすべて。すべては愛に始まり、愛に終わる。

 だから、彼女の愛に魂をも明け渡せばいい。

 それで、すべては終わる。

 なにもかも、そこで終わるのだ。

 苦しみからも解き放たれる。

(……だろうな)

 セツナは、彼女の腕を掴み、強引に引き剥がして見せると、速やかに顔面をその胸の間から離した。布面積の少ない下着は煽情的であり、肉感的な彼女の肢体を引き立たせるものだったが、もはやそこに注目することはなかった。堕ちかけた意識は、いまや完全に取り戻している。身も心も自分のものだ。思い通りに動いたし、偽者の声音に揺れることもない。

「そうすれば、ここで終わりだ。なにもかも、ここで終わってしまう」

「それで……いいじゃない」

「駄目だよ、それじゃあ駄目なんだ」

「なんでよ。あたしと永遠にここで愛し合っていようよ。セツナは頑張ったじゃない。なにもかも全部ひとりで背負い込んで、傷だらけになって、それでも諦めずに走り続けてさ……休んだって、ここで終わったって、だれも責めやしないわよ」

「そういう問題じゃあないし、そういうことをミリュウの顔を勝手に使っていわれるのは、癇に障るな」

 セツナが冷ややかに告げれば、ミリュウの偽者は、鋭い目つきに変わった。そのまなざしもまた、ミリュウそっくりなものだから、嫌になる。そして彼女は、真紅の下着を身につけたしなやかな肢体を見せつけてくるかのように拳を構えた。

「だったら、あたしとやり合う?」

「そういうのは、御免だね」

 セツナは背を向けると、透かさず玄関に走った。

「愛にすべてを、っていうのは、嫌いじゃあないからさ」

 捨て台詞とともに扉を開き、廊下に出れば、もはや偽者の声は聞こえなくなっていたし、目の前には昇降機の扉が開いていた。ミリュウの部屋を振り返る。閉じた扉の向こうから偽者が迫ってくる気配もない。この階層の試練は、これで終わったということだろう。

 セツナは、静かに息を吐くと、昇降機に向き直った。扉が開いたままの昇降機は、まるで早く乗れと急かしているかのようだった。仕方なく昇降機に乗り込んだセツナだったが、その瞬間、ふと視線に気づき、正面に向き直り、扉が閉まる寸前、ミリュウの偽者が口づけを飛ばすような仕草をしてきたのを認めて、心底うんざりした。

 そして、急速上昇を始める昇降機の箱の中で、大きく嘆息する。

 思い出すのは、あの部屋の中での出来事だ。

 ミリュウの偽者に抱き竦められている間、セツナは、自分の意識が蕩けるように形を失い、思考放棄していく感覚を思い出し、頭を振った。いま思い出しても寒気がする。ミリュウの声で囁かれる愛の言葉は、魔法の呪文そのものだった。言葉が聞こえる度に思考力が失われ、正常な判断ができなくなっていった。そして、ついには彼女の思い通りになるところだったのだ。

 からくも踏みとどまれたのは、終わるわけにはいかないという一念からだった。

 もし、自分が終わってもいい、などと、一瞬でも想っていれば、どうなっていたことか。考えるだに恐ろしい。

(なるほど……こういう試練か)

 百十一階をあっさり突破できたのは、連続する試練の最初だということもあったのかもしれない。あるいは、簡単な試練だと想わせて、油断を誘ったのか。

 いずれにせよ、一筋縄では行かない試練であることは、間違いなさそうだった。



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