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第二百七十五話 彼女の理由(前)

 ガンディア軍の龍府攻略に協力する。

 提案したのは、ミリュウ=リバイエン自身だった。

 今朝、牢というにはいろいろと物足りなさの有り余る馬車の中にいると、ガンディア軍西進部隊の指揮官という女将軍アスタル=ラナディースと少年軍団長エイン=ラジャールが訪れたのだ。ふたりは、昨夜の尋問の続きをするために訪ねてきたとはいうものの、彼女からしてみれば、話すことなどほとんど残っておらず、どうすればいいのかと思ったものだ。

 ザルワーンに関することでミリュウが知っていることといえば、十年前の情報がほとんどだ。現状、ガンディア軍にとって益になるような情報はほとんど持ち合わせていなかった。ミレルバス=ライバーンのひととなりや、魔龍窟に関する個人的な恨みを述べたところで、ガンディア軍にはなんの足しにもならないのだ。

 魔龍窟の武装召喚師、武装召喚術の情報は、有益だったかもしれないが、ほかに有用なものは数えるほどもなかった。

 その中で、ミリュウ自身が龍府攻略に協力するという話は、アスタルとエインの興味を引くには十分だったようだ。十年前の龍府の構造をほとんど完全に把握しているミリュウにしてみれば、龍府内部を案内することくらい朝飯前といってもいい。もちろん、この十年で幾らかの変化はあっただろうが、長い歴史を誇る古都がそう大きく変わるようなことはないはずだ。実際、地上に出てきてから十年前の都市図と現在の都市図を見比べてみたが、驚くような違いはなかった。城壁が補修され、より強固になったというのが最大の変化だという話でわかるというものだ。

 美しい龍府の町並みに手を加えたくないというのは、国主ミレルバスでなくとも思うことだろう。

 そして、ミリュウは龍府内部の抜け道も知っている。城壁さえ突破できれば、天輪宮まで直行できる道があるのだが、そのすべてを明かしたりはしなかった。明かしてしまえば、自分は用済みになる。それではこの取引を持ちだした意味がなくなるのだ。

 ミリュウにしてみれば、一刻も早くこの窮屈な現状から抜け出したかった。足が縛られているのも苦痛だったが、なによりも両手がきつく拘束されているのがたまらなく苦しいのだ。手が使えないということがこれほどきついとは思いも寄らなかった。なにもできないといっても過言ではない。便意を催した時も大変だった。わざわざ兵士の手を借りなくてはならないのだ。屈辱以外のなにものでもなかった。

 そうやって、二日ほどを過ごしたのだ。

 いい加減、解放されたいと考えるのは、わがままだろうか。


 龍府攻略への助力。

 つまり、ミリュウは、ザルワーンを実質的に裏切ろうとしているのだ。直接手を下すつもりはない。戦闘に加わるつもりもない。いくらガンディア軍が戦力を欲していても、敵国の武装召喚師に武装召喚術の行使を頼むほどおろかではあるまい。それに、彼女はザルワーン軍と戦うことはできないだろう。

 呪縛がある。

 どれだけ恨み、どれだけ憎み、忌み嫌い、破滅を願っていても、武器を取って立ち向かうという選択ができなかった。

 それができるのならば、地上に上がったとき、龍府を滅ぼそうとしたはずだ。自分を地獄に落とし、救いの手を差し伸べもしなかったものたちを許す気はなかった。彼女としても、他者の力を借りるのではなく、自分の手で決着を付けたいと願っている。しかし、それがかなわぬ願いだということは、地上に出てからの数日で身に沁みて理解した。

 ザルワーンに対する敵意や憎悪は抱けても、実行に移せないのだ。もどかしく、歯がゆい日々は、彼女に諦めを強いた。同時に、ガンディア軍が滅ぼしてくれればいいのに、とさえ思うようになったのは、自然の成り行きなのかもしれない。

 黒き矛が、ザルワーンという国に破滅を突きつけてくれるのならば、たとえミリュウ自身が死んだとしても喜べたかもしれない。

 彼女は、ザルワーンという国に対して、それほどまでに深い悪意を抱いていた。

 生まれ育った国であっても、十年もの長い間、見棄てられていたのだ。

(十年……)

 青春の日々は、血と死の臭いに紛れて消えた。

 ミリュウは、はっと目を開いた。腿の上で、子犬が心地の良い態勢を探してもぞもぞと動いている。世界は不安定に揺れていた。馬車の荷台だ。馬車は、目的地に向かって走っているのだろう。ビューネル砦を目指しているらしい。こちらの予想ではヴリディア砦を目指すものだと思っていたのだが。

 バハンダールから向かうのならば、ヴリディア砦のほうが近いのだ。バハンダールから街道を北へ進み、東西に分かれた分岐路を東に向かっていくだけでヴリディア砦に辿り着く。ビューネル砦へは、街道から北に外れていかなければならず、安全面からもおすすめできる経路ではなかった。とはいえ、ルベンからビューネル砦辺りまではだだっ広い平原が横たわっており、馬車での移動も特に問題はない。

 ミリュウは、積み荷に背を預けるようにして座っている。腿の上の子犬は、少し前に再会したばかりだったが、ミリュウのことを気に入ってくれたのか、おとなしくしてくれている。ザインがよく遊んでいた子犬だ。漆黒の体毛に覆われた小柄な体は、丸まっていると大きな毛玉のように見えた。

 自分の首に触れる。縄が回っているのを確認して、息を吐く。受け入れた条件だとはいえ、これではまるで自分が犬のようだと思わないではない。

(犬……ね)

 いまの立場を考えると、それもあながち間違いではないのかもしれない。首輪をつければもっともらしくなるだろう。もっとも、彼女の飼い主は、隣で縄を握っている人物ではなく、左前方に座り、うとうとしている少年なのだが。

 ミリュウは、アスタルとエインにそういう条件を出したのだ。

 アスタルもエインも、龍府攻略に関するミリュウの提案に乗り気だった。龍府の中枢を制し、国主を討つことができれば、戦争の終結は加速するに違いない。戦争を素早く終わらせることができるのなら、それを用いない手はないと考えるのはおかしいことではない。

 だれもが、勝つために戦っている。勝利の近道があるのなら、それを採用し、少しでも損害を減らしたいと思うのは、指揮官としては当然だろう。

 ミリュウは、そんな彼女らの心理をくすぐり、条件を飲ませることに成功したのだ。

 彼女の提示した条件というのは、たいしたものではない。別に、捕虜であることが問題だとは覆っていないし、完全な自由を求めるつもりもなかった。そういう条件だった場合、将軍らも受け入れてはくれなかっただろう。ミリュウが求めたのは、手足の解放と、多少の自由行動だ。監視下に置かれることも、問題にはならない。ただし、自分を監視するのは、黒き矛のセツナであること。それ以外の人選は認めなかった。

 セツナの側に身を置くには、他に方法はなかった。思いつかなかっただけで、ほかにあったのかもしれないが、彼女に考えられたのはそれだけだった。龍府攻略への協力も、そのためだけのものだった。手足を解放させたのは、もののついでに過ぎない。

 きっと、彼を見ていられるのなら、どういう立場でも良かったのだろう。

 犬の背を撫でながら、ミリュウは彼の寝顔を盗み見ていた。セツナは、いつの間にか積み荷に突っ伏して眠ってしまっていたのだ。戦闘のときとは打って変わって、穏やかな寝顔だ。聞いた話によると、十七歳だという。十七歳で、ガンディア軍の象徴として知られ、それだけの戦果を求められている。

 黒き矛のセツナ。セツナ・ゼノン=カミヤ。ガンディアの王宮召喚師であり、王立親衛隊《獅子の尾》隊長。眩いばかりの肩書で飾り立てられてはいるものの、彼が、どこにでもいるような十七歳の少年だという事実は覆せない。人並みに傷つき、人並みに悩み、人並みに苦しむ、普通の少年なのだ。

 ミリュウにはわかる。

 ミリュウは十六歳のときに魔龍窟に落とされた。成果と戦果を求められる毎日の中で、気が狂いそうになったものだ。事実、狂い、壊れていくひとたちを目の当たりにし、つぎは自分の番なのではないかと恐怖さえ覚えたものだ。あれから十年。なんとか生き延び、地上に出た。今度は、本当の戦いに駆り出された。うんざりしたが、呪縛には抗えない。

 戦うしかないと覚悟した。

 敵が、黒き矛だということが判明したのはいつだっただろう。

 バハンダールを落としたのが黒き矛だという情報が入ってきたとき、彼女はなぜか喜びに震えたものだ。ガンディア軍の主力たる武装召喚師。ガンディアに勝利をもたらしてきた英雄と戦うことができるのだ。圧倒的な力を持つという黒き矛とはどういうものなのか、考えるだけで胸が躍ったものだ。

 そして、戦うことになった。

 戦場で垣間見た黒き矛のセツナは、噂に違わぬ力を披露してくれた。百人以上の兵士が、あっという間に死んだ。物言わぬ肉塊へと成り果て、濃密な血の臭いが彼女の鼻腔を満たした。

 その瞬間、ミリュウの意識は彼に囚われたのかもしれない。

(たぶん、ね……)

 視線を落とすと、太腿の上で子犬が心地よさそうに目を閉じていた。眠っている。ちょうどいい具合の場所を見つけたのだろう。ミリュウは微笑むと、手を止めた。せっかく眠りにつけたのだ。起こしてしまうようなことはしたくなかった。

 黒き矛に誘き出され、森の中で炎に包まれた。紅蓮と燃え上がる光景は、まるで世界の終わりのように美しく、烈しかった。炎に焼かれずに済んだのは運が良かったのだろう。不運な兵士たちは、つぎつぎと死んでいった。生き残ったわずかばかりとともに、セツナと対峙した。漆黒の鎧を纏った黒き矛の武装召喚師は、燃え盛る炎の中で、悪魔のようだった。

 しかし、ミリュウの召喚した幻竜卿げんりゅうきょうの力は、彼を撹乱し、黒き矛の複製に成功した。複製物を手にしたとき、彼女にはわかったことがあった。ひとつは、黒き矛がどんな召喚武装とも比較できないほどに強大な力を秘めているということ。もうひとつは、セツナが、黒き矛の力を引き出しきれていないこと。そして、彼が黒き矛の力をもっと引き出せていれば、強襲時に勝敗は決まっていたのだということ。

 そこからの記憶は曖昧だった。

 覚えているのは、黒き矛を手にしたことで、ミリュウは、自分を制御できなくなったということだ。流れこんでくる多大な情報を処理しきれなくなり、負荷が増大した。飛躍的に膨張する意識と五感が、自己と他の境界を認識しなくなっていく。戦いが激しくなればなるほど、黒き矛から溢れる力を止められなくなっていく。

 自分の意識だけが、世界を置き去りにしていく。

 加速するときの中で、逆流が起きた。

(そして、わたしはすべてを失った……)

 これから先、なにかを得ることができるのだろうか。

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