第二千七百五十四話 迷いなく
逡巡は、なかった。
レミリオンの止めを刺したことについて、セツナには一切の迷いがなかった。レミリオンの正体がロナン=バルガザールであり、必ずしも彼自身の意思で戦っているわけではないことを理解していながらも、その露出したままの“核”を破壊し、その命を終わらせることについて、躊躇はまったくなかったのだ。
合一した神々との激闘の中に見出した好機だったから、ではない。
レミリオンの撃破については、ルウファに任せたのだ。いまの弱り切ったレミリオンならば、ルウファが全身全霊を発揮すれば斃せなくはないものと見ていたし、おおよそ、彼の想定通りに戦闘は進んでいた。シルフィードフェザーとレイヴンズフェザーを同時併用したルウファが、レミリオンを圧倒したのだ。そして、まさに止めの一歩手前まで漕ぎ着けた。あと一撃を叩き込めば、それで決着が付く。勝利は目前だった。しかし、そこでルウファは躊躇った。
獅徒の“核”を目の当たりにしながらも、止めの一撃を叩き込めずにいたのだ。
セツナは、ルウファが躊躇するのも無理のない話だと想っていたし、そうなる可能性も最初から考慮していた。レミリオンは、ロナンだ。ロナン=バルガザール。ルウファの実弟であり、ルウファがロナンを溺愛していたことは、だれもが知っている。その溺愛ぶりにエミルが妬けるほどだったというのだから、彼が度を知らないくらいの弟想いだったのはいうまでもない。
そんな彼が、弟の命を絶つことなどできるだろうか。
兄の役割として、弟の間違いを正そうというのはわかる。弟が敵として立ちはだかったならば、それを退けるのもまた、兄の役割だというのだろう。そういう気持ちも理解できなくはない。だが、理想と現実は違う。それは、ただの理想であり、幻想なのだ。
現実的に考えれば、いかに敵と立ちはだかったからといって、肉親を手にかけることなど、そう簡単にできることではない。
自分の人生を狂わせ、地獄のような日々を送る羽目になった末に父を呪い続けたミリュウでさえ、実の父を目の前にして、殺せなかった。
父の敵であり、リョハンの敵であるアズマリアを討とうとしたファリアも、母親の肉体を傷つけることはできなかった。
親兄弟で敵味方に分かれ、血で血を争う戦国乱世にあっても、実際に肉親を手にかけることができるものなど、そう多くはいないのだろう。
だれだって家族を殺したくはないはずだ。どれほどの理由があり、仕方がないのだとしても、他に方法はないのか、なんとかならないのか、別の手段、別の道を探すものだ。
そして、戦場では、その逡巡が致命的なものになる。
故にルウファはレミリオンに吹き飛ばされたのだが、それでよかったのかもしれない。
セツナは、矛を投げた。矛は閃光と熱を放ちながらレミリオンの起こした暴風を貫き、“核”を突き破った。“核”は一瞬にして粉々に砕け散り、レミリオンの肉体も砂のように崩れて消えた。すべて一瞬の出来事だった。レミリオンが起こそうとした嵐が消え去り、戦場に静寂が戻った。
ルウファの嘆きが聞こえた気がする。
覚悟も、している。
ルウファの実弟の命を奪ったのだ。いや、獅徒として生まれ変わった以上、それはロナンの生ではなく、獅徒レミリオンとしての生であることは間違いないのだが、そんなことは、感情には関係がない。ルウファの目の前で、彼の弟を殺した。その事実は、覆しようがない。
彼の怒りや嘆き、哀しみは、すべて受け止めなければならない。
業を背負うと決めたのだ。
「そうだろ?」
セツナは、異形の神に視線を戻し、告げた。鳥頭に龍の角、鋼の体に獣の尾を生やし、虹の羽衣を纏った神は、むしろほくそ笑んで見せた。彼らにしてみれば、獅徒がどうなろうが知ったことではないのだろう。だとすれば、ネア・ガンディアは一枚岩の組織ではないということになるが、そこに付け入る隙があるとは想えない。神々は獅子神皇によって統制され、獅徒もそれ以外の戦力もすべて獅子神皇に忠誠を誓っている。たとえそれぞれの戦力が啀み合っていたとしても、獅子神皇への忠誠という点では揺るぎない以上、揺さぶりようがないのだ。事実、神々と獅徒は啀み合っているようでいて、互いに力を貸すことに躊躇ひとつ見当たらなかった。
神の、全身の至る所に生えた無数の翼が羽撃く。羽が舞い散った。
「悪手だな、それは」
とは、セツナが矛を投擲したことを指しているのだろうが。
セツナは、彼らが哀れに想えてならなかった。戦いはとっくに決していて、いま彼らと行っているのは、戦いですらないのだ。ただの後始末に過ぎない。指揮官だろう獅徒レミリオンが滅び、すべての飛翔船が落ちた。レミリオンたちが乗ってきた飛翔船たちは、ラムレシア率いる飛竜たちが完全無欠に破壊し尽くしている。
あとは、セツナが目の前の神々を滅ぼすだけでいい。
そしてそのための手筈は整っていた。
神の角が輝き、雷光が天に昇る。瞬時に雷雲が頭上を覆っていく中、周囲に散らばった無数の羽から光の波紋が広がった。波紋の中から生じるのはさらに多くの光球であり、何千の羽が何十万の光球を生み出していく光景には、少しばかり苦笑せざるを得なかった。それだけのことをしても、セツナは殺せない。
完全武装は、かつてザルワーン島やログナー島で獅徒と戦ったときよりも、二段階、深化しているのだ。すべての能力があのときを遙かに上回っている。神の動きすら緩慢に見えるのだから、余程だ。セツナは透かさず上空に闇人形を配すると、両腕を左右に掲げた。籠手の“闇撫”を発動し、巨大化する。巨大な闇の掌を広げたままその場で回転することで迫り来る光球の尽くを跳ね返し、落雷には闇人形で回避する。光球をただ処理するだけでは、羽が何度となく波紋を浮かべ、そこから光球を生み出し続けるらしく、きりがなかった。が、羽に関してはランスオブデザイアが対応している。尾の尖端、螺旋を描く槍が超高速で回転することで黒い力の渦を生み出しており、その黒い竜巻に飲み込まれた羽はずたずたに引き裂かれていくしかなかった。
まさに力の渦そのものと化したセツナは、光球の隙を見つけて右手を降ろした。“闇撫”を極限に細く長く伸ばし、大地に突き刺さったままの黒き矛を掴み取る。そのまま引っこ抜いて手元まで持ってくるのに苦労はなかった。そしてその瞬間、勝敗は完全なものとなった。
神は、さらに強力な攻撃手段を用いるべく、両手を胸の前に掲げ、神威を練り上げているようだった。五柱の神が持つ莫大な神威が一点に収束し、空間そのものが歪んでいく。無尽蔵の光球の雨や落雷攻撃は、セツナを引き留め、最大威力の攻撃を放つための時間稼ぎだったのだろう。当然、そんなものに構ってやる必要もない。
セツナは、深く鋭く息を吐くと、虚空を蹴るようにして飛んだ。飛来する無数の光球、そのわずかばかりの間隙を縫うように飛行しながら神の懐に入り込む。鳥神の双眸がセツナを見ていた。変わらぬ表情からは、その感情を読み取ることなど出来ない。
「終わりだ」
告げたときには、黒き矛の切っ先は神の胸を貫いていた。胸の前に収束している最中だった神威の塊を突き破り、彼らの努力を水泡に帰しながら、だ。
「馬鹿な……」
「そんな……こんなはずでは……!」
「なんということ……」
「おのれ……おのれ……!」
複数の神の断末魔が聞こえ、神の体に黒い亀裂が走っていく。亀裂は蜘蛛の巣状に全身を包み込むと、その内側から闇色の波動を放出していった。それは黒き矛の力であり、滅びの力と言い換えてもいい。神の体が内から溢れた闇に飲まれるようにして、消えていく。
神を滅ぼす唯一に近い力。
それが黒き矛であり、魔王の杖の異名を持つ所以。
その闇から一筋の光が離れていこうとするのを認め、セツナは左手を伸ばした。無意識に発動した“闇撫”が光を掴み取り、それが神の一柱であることがわかった。逃亡を図ろうというのだろうが。
「逃がすかよ」
セツナは、神の光を“闇撫”で握り締めると、そこに黒き矛を突き入れた。




