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第二百七十四話 不死

「よみがえった? 俺が……?」

 クルードは、オリアンの言葉がにわかには信じられなかった。きっとこれは悪夢の続きで、またすぐにでもミリュウやザインの死様が展開されるに違いないと思う一方、これが現実であったとしても悪夢となんら変わらないのではないかとも思った。

「そうだ。君は一度死んでいるのだよ。覚えていないのかね?」

「覚えている……。だから不思議なのだ。どうして生きているのか」

「勝手ながら、蘇生薬の実験に付き合ってもらったのだよ」

「蘇生薬……」

 反芻するようにつぶやく。聞いたこともない薬だ。オリアンには、魔龍窟の総帥以外にも、龍府における外法研究の第一人者としての側面があるのを思い出す。魔龍窟での殺し合いは、外法研究の一環であったという話を聞いたこともあり、そのときは、さすがのクルードも怒りに我を忘れたものだ。もっとも、オリアンに怒りをぶつけるには、彼はミリュウに惚れすぎていた。彼女への影響を考えると、オリアンを負傷させることすら憚られたのだ。

「喜び給え。実験はほぼ成功し、君は地獄より舞い戻ったのだ」

「地獄だと……」

 死の間際に見たのは、黒き矛の深紅の瞳であり、つぎに訪れたのは真の闇だ。気が付くと、悪夢を見ていた。長い間、悪夢を見せつけられていた。それを地獄というのなら、そうかもしれない。しかし、オリアンが言及した地獄とは違う気がした。

 オリアンが冷ややかに笑ってくる。

「君らのようなものが行き着く果ては地獄しかあるまい?」

「あなたがそれをいうのか」

「なに。わたしとて堕ちるのは地獄だ。それくらいはわかっているさ」

 オリアンの目は、笑ってなどいなかった。冷ややかに研ぎ澄まされた目は、すべてを受け入れた上で行動しているのだとでも言わんばかりだ。が、だからといって、クルードは彼を認める気にはなれない。

「これで蘇生薬の有用性は実証できたわけだ。くくく……ミレルバスも喜ぶだろう。これで不死の軍勢が出来上がる」

(不死の軍勢……だと)

 クルードは、オリアンが発した言葉に耳を疑った。不死の軍勢。その響きだけで恐ろしい未来が想起されるのだ。たとえ敵に殺されても蘇り、何度となく襲い掛かる不死身の軍団。

 本来、人間の命はひとつだ。どんなものであれ、死ねばそれで終わりなのだ。それに失った兵力を即座に補充するというのは難しい。しかし、彼の生み出した蘇生薬によって、戦闘で死んだ兵士が蘇るというのなら、そういった問題の解決策のひとつとなりうるかもしれない。もっとも、肉体が著しく損なわれているものを蘇生したところで何の役にも立たないだろうし、そもそも蘇らないかもしれない。

 クルードが蘇生できたのは、肉体のほとんどが無事だったからだろう。

 そんなところまで考えられるほどに意識も回復してきていた。全身を苛んでいた痛みも波が引くように消えている。鮮明化していく感覚が、生の実感となってクルードの意識を包んでいく。生きている。

 手で、傷痕に触れた。脇腹に穿たれた孔は空いたままだったが、指先で触れても痛みさえ生じなかった。痛覚が麻痺してしまっているかのようだが、だとすれば、さっきまでの痛みはなんだったのか。静かに上体を起こす。オリアンが感嘆の声を漏らした。

「ほう、もう体を動かせるまでに回復したか」

「……本当に、俺は蘇ったのか」

 クルードは、自分の手を見下ろした。電熱を浴び、焼け焦げた両手は、まさにクルード=ファブルネイアの手だった。そこで、自分が全裸だということに気づくが、状況が状況だ。羞恥心など沸くはずもない。

(これが……)

 クルードは、脇腹の傷口を直視した。彼に死をもたらした致命傷の痕。ファリアが叩き込んだ起死回生の一撃。彼女はこれによってクルードを死に追いやることができたのだ。強い女性だった。ミリュウと出会う前に知り合っていれば、惚れていたかもしれない。そんなことを考える余裕さえ、クルードの中に生まれ始めていた。

 思考が、目まぐるしく回転している。ここはどこで、自分はだれなのか。本当に生き返ってしまったのか。死んだはずではなかったのか。だからミリュウを彼に託したのではないのか。

 思い出す。ここはオリアンの研究施設にある地下実験場だ。魔龍窟からも繋がっており、何度か、ここで実験に付き合わされたものだ。そこで投与された薬剤が一体何なのか、クルードたちは知ることもできなかった。その実験によって死んだものはいないが、変調をきたしたものならいないではなかった。もっとも、魔龍窟に存在するだれもかれもが狂っているのだ。多少の変調では、動じることはなかった。

 自分は、クルード=ファブルネイア。五竜氏族ファブルネイア家の人間であり、十年前、魔龍窟に落とされた。武装召喚師としての修練という名の地獄の中で、女神を見た。ミリュウ=リバイエン。隣に立つ男の娘とはとても思えないような、可憐で強烈な輝きを放つ少女。彼女のために人生を捧げても悔いはないとさえ思えた。十年。彼女は成長し、美しい女性になった。自分は、彼女には釣り合わない。そう悟ってはいいたが、せめて、彼女の側にいたいとは思っていた。

 だから、この数日間は幸福だったのだ。

 ミレルバス=ライバーンによって地上に出されて以来、彼は常に彼女の隣にいることができた。地下にいるときもずっと一緒にいたのだが、あのころよりも余程近くに感じられたのだ。陽の光の影響なのかも知れず、絶望的な闇の中では距離感が測りにくかったというのもあったのだろう。

 彼女のこと考えると、体内に流れる血が激しく脈打つのを感じる。鼓動が高鳴り、なにかを訴えている、せっかく生き返ったのだ、と。蘇ることができたのだ、と。ならば、なすべきことは一つしかない。

「そうだ。君は黄泉還り、再びの生を得たのだ。とはいえ、君はその命を有効に使わなくてはならない。蘇生薬ひとつに多大な資金が投じられている」

 オリアンの濁った目が、こちらを見据えていた。見つめているだけで気が狂いそうになるような目だった。ミリュウとは似ても似つかない。顔立ちは母親譲りなのだと誇る彼女の気持ちもわからなくはなかった。

「俺にどうしろと?」

「君には、龍府の守護を担ってもらいたい」

「龍府の守護……」

 オリアンの言葉がなにを示しているのか、クルードにはわからなかった。守護を担う。防衛任務に着くということではないらしい。似たようなものかもしれないし、そういう言い回しが好きなだけかもしれない。が、彼の口ぶりから察するに、そうではない。もっと深い意味がありそうだった。だからこそ、抽象的な言い方になっているのだろうか。

「ガンディア軍は、龍府に向かって進軍中だ。ナグラシア、バハンダール、ゼオル、マルウェール……すでに四つの都市が落とされ、多くの戦力が失われた。魔龍窟の武装召喚師も、君以外は戦死してしまったよ」

「ミリュウは生きている……」

 言い返しながら、彼はマルウェールまで陥落していたということに驚きを覚えた。マルウェールはザルワーン北東部の都市であり、十年前は剣豪で知られたエイス=カザーンが翼将を務めていたはずなのだが、クルードたちが地上に上る前に別の翼将に変わっていた。エイスのことはよく知っている。クルードの父が彼に師事していたからだ。もっとも、クルードの父は、剣術の腕は一向に上がらず、エイスも困っていたようだが。

「ほう。生きていたか。悪運の強い娘だ」

 オリアンの言い様は、実の娘の生存を喜ぶ親のものではなかった。が、別段驚くに値しない。ミリュウを魔龍窟に捧げたような男だ。娘とも思っていないのだとしてもなんら不思議ではなかった。だからこそクルードは彼に憤りを感じる。

 クルードは、自分の親以上に彼を憎んでいた。ミリュウへの想いがそうさせるのだろう。ミリュウには理解されない感情かもしれないが、構わない。

 彼は、オリアンへの怒りを噛み殺しながら、いった。

「彼女はガンディア軍に囚われている。彼女を救いたい」

「駄目だ。勝手な行動は許可できない」

 凍てついた声で否定され、クルードは男を睨みつけた。オリアンはまったく動じる様子もなく、ただ冷ややかに笑うのだ。そして、静かに告げてくる。

「しかし、だ。君が龍府の守護を担い、ガンディア軍の撃退に成功した暁には、君の望みを叶えよう」

「俺の望み……」

「ミリュウと結ばれたいのなら、それを叶えてやってもいい。あれはわたしの娘だ。わたしが命じれば、背くことはできまい」

 クルードが卑しく笑う様を見据えながら、クルードは、両手で拳を作っていた。胸が鳴る。激しく、鳴っている。鼓動が、頭の中に反響していた。

 夢。

 これは悪い夢ではない。

(ミリュウ……今度こそ、君を)

 決意を胸に秘めたとき、クルードの脳裏に浮かんでいた少女の輪郭がぼやけて崩れた。

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