第二千七百四十六話 風の行く果て(七)
セツナは、獅徒レミリオンの姿に神々の影を見た。元々レミリオンなる獅徒がどのような姿をしていたのかは、知らない。直接対面するのはこれが初めてだ。しかし、彼がいま、同行したすべての神々の力を取り込んでいることは、その外見からも明らかだった。
元となっているのは、人間だろう。獅徒の姿は、人間に酷似している。人間の転生なのだから、似ているのは当然だ。肌や髪色は白く変色し、目が金色に輝いている。その顔立ちは、だれかを思い起こさせるのだが、すぐには思い出せない。奇妙なことに肘や腰、踝から翼を生やしており、額の両側から角が伸びていた。胴体は鋼鉄の装甲に覆われ、臀部からはふさふさの長い尾が伸びている。虹で編まれたような羽衣を纏い、背後に光輪を負っていた。それら特徴的な部分は、いずれかの神のものだろう。
獅徒が神と合一することで、その力を何倍にも増幅することができるということは、以前の獅徒との戦いで判明している。それまではセツナにしてやられる一方だったミズトリスが食い下がれる程度には強くなったのだ。神を取り込んだ獅徒の力を侮ることは出来ない。
しかも、レミリオンの場合は、最低でも六柱の神を取り込んでいると考えられた。リョハンを遠巻きに包囲した飛翔船団。そのうち、神が乗っていたのは、中型五隻と大型の一隻と考えられ、実際小型飛翔船の一隻にも神の姿はなかった。
つまり、六柱の神がこの度のリョハン侵攻に投入されたということだ。
それでも二度目の侵攻時に比べると規模の小さなものだが、リョハンの戦力を鑑みれば、その程度の戦力で十分だと判断してもおかしくはない。実際、セツナたちがリョハンに辿り着かなければ、リョハンは滅ぼされていたかもしれないのだ。
だが、そうはならなかった。
セツナたちがリョハンに辿り着き、ネア・ガンディアの軍勢を各個撃破していくことに成功したからだ。仕方なく出張ってきたレミリオンは、単独でリョハンを落とそうとしたのだろうが、それも敵わなかった。ただの獅徒ならば、完全武装・影式を使いこなすレムの相手ではない。そして、レミリオンは最終手段に出た。それが神々の招集であり、合一。故に各方面の神々がすべて消え失せ、各方面の戦いは終わった。
セツナは、ルノウの消失後、仕方なく各方面の戦いを終わらせるべく、飛び回ったのだが、すべて空振りに終わっている。ルノウとほぼ同時に招集に応じたのだろうし、セツナが神々に一撃も食らわせられなかったのは、致し方のないことだ。
その結果、レミリオンの力が遙かに増大し、極めて強大なものになっているのだとしても、だ。
「なら、仕方がない」
レミリオンが、嘆息するようにいった。
「英雄さんには、ここで待っていてもらうとしよう」
「はっ――」
セツナが一笑に付した瞬間だった。レミリオンが大気を撫でるように手を振った。セツナは、急に身動きひとつ取れなくなったことに気がついた。全身が圧迫され、手や足どころか瞼ひとつ、眼球ひとつ動かせなくなる。どういう原理かはわからない。だがそれが周囲の武装召喚師たちをその場に拘束している手段だということには瞬時に気づいている。そして、ついさきほどまで、レムを拘束していたものだということにも、だ。
それならば、対処は可能だ。
彼は、凍り付いたように動かないこちらを確認して、安堵の息を吐いたレミリオンが背を向けるのを見届けると、黒き矛の力を解き放った。全身から全周囲に向けての力の解放。全周囲攻撃と呼称するそれは、莫大な力の拡散であり、レミリオンによる拘束を打ち破ると、周囲の地形にも甚大な損害を与えた。大地を大きく抉り取ったのだ。とはいえ、リョフ山の空洞を破壊するほどではない。セツナの周囲だけに留まっている。
拘束を破壊するためにどの程度の力が必要なのか、やってみなければわからないのだから、致し方がない。
「……どうして」
レミリオンがこちらを振り向きざま、告げてくる。
「どうして、そこで待っていてくれないんだ、あなたは」
「俺が黙ってファリアを殺させるとでも思ってんのかよ」
セツナは、ロッドオブエンヴィーの能力“闇撫”を発動しながら、いった。髑髏の口から放出された巨大な闇の腕があっという間にレミリオンに肉薄するも、突如巻き起こった竜巻によってばらばらに切り裂かれる。だが、それで終わる攻撃ではない。ばらばらになった闇は、レミリオンの周囲に凝縮し、彼の胴体を握り締めて見せた。レミリオンは、なぜか呆然とした表情をする。その意味がセツナにはわからない。
「そうか。そうだった。すっかり失念していましたよ」
レミリオンの声を聞きながら、セツナは、“闇撫”で彼を握り締めたまま、飛んだ。遙か後方、リョフ山の外へ向かって、全速力で飛翔する。レミリオンは、抗わなかった。“闇撫”に握り締められたまま、セツナをじっと見つめてくる。金色に輝く瞳が、奇妙なほどにまっすぐだ。敵意は少なく、むしろ、好意に近い感情を感じ取る。
「当代の戦女神はファリアさんだったってこと」
「あん……?」
「そりゃあ、あなたも力の限り戦いますよね。そうじゃなきゃ、あなたじゃない」
「なにをいって」
「でも、それはぼくだって同じなんだ」
レミリオンが“闇撫”を強引に振り解いたのは、リョフ山の外へ至ってからのことだ。彼はそれまで身動ぎひとつしなかった。まるで、セツナにリョフ山の外へ連れ出されるのを待っていたかのようであり、実際にそうなのだろうということは、彼が神威の嵐を巻き起こしたことで理解できる。彼も、リョフ山の空洞内では、全力を発揮できなかったのかもしれない。どういう理由かは、知らない。リョフ山に大穴を空けたのだろう彼が、リョフ山を崩壊させないために配慮するとは考えにくい。なにか別の理由があるのだろうが。
「あのひとを殺さずに終わるには、それしか方法がない」
「は?」
「いえ、こちらのことです。気にしないでください」
とは、いってきたものの、気になる言葉ではあった。
(あのひと……それにファリアさんっていったな、あいつ……)
それだけではない。レミリオンはどうやら、セツナのこともよく知っている風だった。その顔にも見覚えがあり、声にも聞き覚えがある。記憶違いでなければ、どこかで知り合った人物の成れの果てなのかもしれない、という可能性が脳裏を過ぎり、セツナは、柄を強く握った。黒き矛は、先程から怒り狂っている。目の前に憎むべき神々の集合体がいるのだ。黒き矛が猛り狂うのも当然といえば、当然だろう。
斃すべき敵。
その事実に変わりはない。
たとえ相手が、いつかどこかで知り合い、言葉を交わした人物であったとしても、彼が獅徒として現れ、リョハンの壊滅や戦女神の殺害を目論んでいるというのであれば、斃すしかない。それ以外の選択肢など、存在しない。
交渉できる相手ではないのだ。
「……気にはしねえよ。俺はおまえを斃す。そして、ネア・ガンディアがもう二度とリョハン侵攻を企まないようにしてやる」
「……残念ですが、それは無理でしょうね」
「は、やってみなけりゃ――」
「あなたがぼくを滅ぼそうと、この軍勢を壊滅させようと、神皇陛下が世界統一を掲げる以上、リョハンの制圧は実現しなければならない目標のひとつで在り続けるでしょう。もっとも、それ以前の問題として、ぼくがあなたに負けるはずもありませんが」
レミリオンは、そういって、戦いの口火を切った。




