第二千七百四十三話 風の行く果て(四)
前方に掲げた両手の先に神威を集め、撃ち放つ。神威は大気を取り込み、圧縮された空気の塊となり、目標に向かって飛翔していく。目標はレムではない。レミリオンとレム、遠く離れたふたりの間合いのちょうど中間地点に向かって打ち出された空気塊に対し、レムは彼の思惑通りの反応を見せた。
レムは、当然、自分が目標に定められたものだと想ったのだろう。羽撃き、大きく迂回しながら高速移動し、空気塊を越えるようにしてレミリオンの眼前に現れる。変わらぬ微笑が死神の証とでもいわんばかりだ。両手に握られた矛の切っ先が天を指している。気合いとともに振り下ろされようとしたちょうどそのとき、レムの後方で空気塊が爆ぜた。レムは気にも留めず矛を振り抜く。闇の矛の切っ先は、しかし、レミリオンを捉えられない。矛が切り裂くのは大気の障壁であり、レミリオンはその間に後ろに下がっている。ただ、予測を誤り、斬撃を浴びることになったのは、愚かとしかいえないが。
矛は、大気の障壁を切り裂き、空を切った。レミリオンには触れてもいないのだ。だのに、レミリオンは額を割られ、胴体を垂直に切りつけられている。まるで斬撃が飛んできたかのようだが、セツナにそういった逸話があることを思い出して、彼は苦笑した。
(なにからなにまでセツナ=カミヤじゃないか)
レムは、まさに英雄セツナの影の如く、目の前にいる。
そこで、レムの攻撃が止むわけもない。死神は空を蹴るようにして踏み込んでくると、闇の手が握った斧や槍を含めた連続攻撃を仕掛けてきた。それらを大気の障壁で受け止め続けるのは、困難を極める。障壁を生み出したつぎの瞬間には破壊され、一歩、また一歩と距離を詰められているのだ。いずれ障壁の展開が間に合わなくなる。
だが、レミリオンは、自分の優勢を疑っていなかった。
レムは、レミリオンに肉薄し、矛を振り回そうとしたその瞬間、不意に右に飛んだ。装甲に覆われた左胸に大きな穴が空く。
「これは……」
レムは、後方を一瞥すると、驚きに満ちた声を上げた。
レムの視線上、つまりレミリオンの前方には、もうひとりのレミリオンが立っていた。ただし、その姿は鳥神と合一したレミリオンの姿ではなく、獅徒レミリオンとしての素のままのものだ。それは、つい先程、レミリオンが牽制に放った空気塊の中から生まれた存在であり、彼の分身といっていい。能力的には本体に遠く及ばないものの、レムにまったく通用しないわけではないことは、先程の攻撃で明らかになっている。もっとも、その攻撃で穿たれた部分は、いまや完全に塞がれていて、さすがは不老不滅の存在だと呆れるより他はない。とはいえ。
「さすがの死神も驚いたようだね」
レミリオンは、レムが呆然としている様を見て、愉快な気分になった。ようやく、レムを出し抜くことが出来た気がする。
「ええ。まさかわたくしと同じような力の使い方をするとは、さすがに想いも寄りませぬ」
「同じような……?」
「目には目を、歯には歯を、分身には分身を、でございます」
そういうと、彼女は、自身の影の中から闇の塊を生み出して見せた。それは次第にひとの形になっていくと、レムの目の前に闇人形として具体化する。レムと同じような背格好の闇人形。手には巨大な鎌が握られていて、さながらレムの分身のようだ。
「……そうだったね」
レミリオンは、自分の愚かしさに憮然とした。
(あれが死神レムの真骨頂……か)
そういえば、そうだった。
死神レムは、“死神”と呼ばれる分身たちを使うことで知られる。彼女が“死神”使いとも呼ばれるのはそのためだ。複数の“死神”を併用することのできる彼女は、戦力としても強力無比だという話も聞いた覚えがあった。そして、その力によって数々の武功を立てたことは、ガンディア国民ならば知らぬ話ではなかった。
だというのに、レミリオンはすっかり失念していた。
分身を作って優位に立とうなどという考えは、あまりにも浅はかであり、愚かなものだったのだ。
事実、戦闘が再開すると、レミリオンの分身はレムにではなく、レムの闇人形を相手にしなければならなくなり、二対一の優位性など消えて失せてしまっていた。分身が闇人形の隙を突いてレムに攻撃するのは、不可能に近い。なぜならば闇人形は、損傷など気にすることもなく飛びかかってくるからだ。猛攻に次ぐ猛攻。隙などどこにも見当たらない。
結局、それぞれ一対一の個人戦にならざるを得なくなる。
レミリオンは、分身との連携による状況の打破を諦めると、レムとの戦闘に専念することにした。分身は、闇人形の相手をしていればいい。闇人形を出した分だけ、レムが消耗しているのは間違いないはずだ。ならば、ここからレムを追い詰めることは不可能ではないはずだ。
そう、考えた。
だが、結局、追い詰められるのは、レミリオンのほうだった。
獅神合一によって何倍にも増大したはずの力も、“無色世界”と分身の維持に割かれ、浪費してしまっていることが、全力全開となったレムに有利を取られる羽目になったのだろう。“無色世界”も分身も消し、すべての力を注ぎ込むことができるならば、状況を打破することは容易い。だが、それではリョハンの武装召喚師たちを無駄に巻き込んでしまうのは想像に難くない。ましてやルウファを傷つけかねない。彼らには、戦場の外で待機していてもらうほうがいい。
ならば、どうするか。
このままでは、レムに圧倒され続け、力を失い続けるだけだ。
これでは、目的を果たせない。
リョハンを滅ぼすという使命。
これが失敗に終われば、四度目のリョハン侵攻計画が練られるだろうし、そのときには、レミリオンが指揮官に選ばれることはない。リョハンを完全に壊滅させるための戦力が投入されることになるはずだ。そうなれば、ルウファも無事では済むまい。
それだけは、嫌だった。
レミリオンは、レムの猛攻の中、その絶大な力に目を細めた。レムは、いまや全身全霊を込めて、戦っている。主に与えられた使命を果たすため、自分の魂をも灼き尽くさんばかりの勢いだ。その覚悟、情念たるや、まばゆい限りだった。
(ぼくだって)
彼は、分身をレムに特攻させた。分身は闇人形の大鎌によって胴体を真っ二つに断ち切られながら、一陣の風となってレムに殺到する。レムは、レミリオンを蹴り飛ばすと、透かさず分身の特攻を迎え撃つ。巨大な闇の手が空気の塊となった分身を受け止め、握り潰す。その瞬間に生じた爆風が闇の手を吹き飛ばす程度には、威力があった。
レミリオンは、レムが闇人形を自分の元に戻す様を見遣りながら、告げた。
「来たれ、我が神々よ」
瞬間、彼の聲は、リョハンの遙か彼方にて戦闘中の神々に行き届いたはずだ。従属神ならば、どれだけ離れていても獅徒の聲を聞き漏らすことはない。獅徒と従属神の結びつきは、それくらいに強く、理不尽なものなのだ。
「ともに怨敵討ち滅ぼさん」
「怨敵……?」
レムが苦笑し、空を蹴った。
「怨まれる理由も理屈もわかりませんが」
「わからない?」
瞬時に間合いを詰めるなり、振り下ろされてきた矛を両手で挟み込むようにして受け止める。両手で、ではない。両手の先に集めた神威によって、矛をその場に固定したのだ。“無色世界”の応用だ。が、それでレムの猛攻が止むわけもない。槍が金切音を上げながら迫り来れば、大斧もまた、空を薙ぐように振り回される。彼は咄嗟に飛び退き、両手からつぎつぎと風弾を撃ち出した。牽制攻撃。レムはそれを黙殺し、迫り来る。
「それだから、嫌いなんだ」
そういったとき、レミリオンの周囲の空間が歪んだ。
レミリオン率いる北征船団に属する五柱の神が、つぎつぎとその姿を現したのだ。




