第二千七百三十九話 激化変転(二)
擬似召喚魔法の完成と発動によって起きたのは、もちろん、召喚だ。
イルス・ヴァレとは異なる世界に存在する力あるものの召喚。
それは、具体的な形となって、ミリュウたちの前に現れる。
デイシアが虹と美を司る女神ならば、それは、闇を司る存在といってもいいだろう。暗黒の闇がひとの形をしているとでもいうべき姿をしたそれは、デイシアの頭上に現れ、召喚と同時に攻撃を開始した。つまり、デイシアに向かって細長い両腕を振り下ろしたのだ。ただそれだけでデイシアとそれの間に横たわる空間がねじ曲がり、デイシアが咄嗟に掲げた杖がひしゃげ、腕がねじ切れる。腕を失うだけで済んだのは、デイシアが咄嗟に空間転移で場所を移したからだ。だれもいなくなった空間の歪みはあっという間に極致に達し、あのままデイシアがいたならば原形も留めないくらいに破壊されたのではないかと思えた。もっとも、それで決着がつくはずもないが。
それにしても、強大な力であることは確かであり、デイシアが警戒を強めるのも当然といえた。闇の化身とでもいうべきそれとの距離を取ったデイシアは、透かさず右腕を復元すると、両手を翳した。七色の光が奔流となって闇の化身へ向かう。闇の化身は、闇をその場に滞留させたまま、自分自身はその場を飛び離れて見せた。七色の光線は、滞留する闇に吸い込まれるように収束し、直撃、閃光を撒き散らした。
闇の化身はといえば、デイシアの背後に転移している。いや、それを闇の化身といっていいのか、どうか。闇の衣を脱ぎ捨てたそれは、肉も皮もない骨だけの存在だった。骨は白く、むしろ輝いているようですらある。構造は人体に近いが、完全に一致してはいない。頭蓋骨そのものが人間のそれと大きく異なっている。眼孔は四つ、腕は六本あり、長い尾骨が揺れていた。
デイシアが振り向きざまに七色の閃光を撃ち放つと、骸骨の化け物というべきそれは、みずからの尾を手で掴み、引き抜いた。尾骨が変形し、長大な鎌となる。その鎌でもって七色の閃光を切り裂き、デイシアとの距離を詰めていく。
「あれがおまえの召喚した存在か?」
「う、うん……そうだけど」
「まったく……途方もないことをするな」
「え?」
ミリュウは思わず生返事を浮かべた。まさか、マユリ神が感嘆の声を上げるとは思ってもいなかったからだ。
「あれもまた、異世界の神だ」
「神様……あれが?」
「おまえは、おまえの父がそうしたように異世界の神を召喚して見せたのだ。それもわたしやハサカラウと同等の力を持つ神をな」
「マユリんと同等……それって」
「ああ。とんでもないことだぞ、ミリュウ」
マユリ神は、心の底から賞賛するようにして、いった。ミリュウはその言葉を受けても、信じられない気持ちでいた。もちろん、神に対抗する以上、強力無比な存在を召喚するつもりだったし、そうでなければならないこともわかりきってはいた。なんたって相手は神なのだ。生半可な存在では、神の相手などできるわけがない。故にミリュウは、擬似召喚魔法の呪文をとにかく強大な力を持った存在への召喚状とし、術式を紡ぎ上げた。その結果、異世界より召喚されたのが骨の化け物だ。
そのとき、不意に骨の化け物の四つの眼孔から金色の光が漏れた。金色の眼光。それはまさに神の瞳と同じ色であり、光だった。神々しく、力強く、幻想的だ。骨の化け物だというのに、おぞましさや恐ろしさよりも頼もしさを感じるのは、それが神だからなのかもしれない。
「これならば、勝てる」
「勝てる……勝てるのね」
「ああ」
マユリ神は力強くうなずくと、ミリュウとダルクスを防御障壁で抱えたまま、空中を高速移動した。召喚に成功したからといって、傍観を決め込んでいる場合ではないということだろう。ミリュウの擬似召喚魔法によって呼び出した存在が神であり、強大な力を秘めているとはいえ、デイシアを封殺しきるにはまだ足りない。骨の神は、デイシアを圧倒してはいる。デイシアの攻撃の数々を鎌の一振りで打ち破り、間合いに踏み込み、女神の体を切り裂いて見せたのだから、力の差は歴然だ。デイシアは、怒りに満ちた声を上げ、力を振るう。虹色の光が四方八方に飛び散り、嵐の如く吹き荒び、骨の神を襲う。力の差は歴然とはいえ、デイシアの攻撃が骨の神にまったく効果がないわけではないのだ。骨の神が防御を捨てているということもあるのだろうが、虹色の光の嵐の中で、骨の神の肩甲骨や肋骨が打ち砕かれた。それでも骨の神は攻勢を止めない。デイシアの生み出す光の渦の中を駆け抜け、肉薄する。
その様を上空から見下ろしているのが、ミリュウたちだ。
マユリ神は、防御障壁を解くと、両手を振り翳した。すると、ダルクスが先に動く。鎧から染み出した闇の力がデイシアの頭上に巨大な球体を作り出す。それは重力球であり、嵐となって吹き荒れる虹色の光を加速度的に吸い寄せていく。となれば、骨の神の侵攻を阻むものはなくなり、デイシアが頭上を仰ぎ見た。そこへ降り注ぐのが、マユリ神の神威の雨だ。集中豪雨の如く降り注ぐ神威の奔流がデイシアが咄嗟に展開した防御障壁につぎつぎと直撃し、炸裂する。鳴り止まない爆発音の中、骨の神がデイシアに殺到した。大上段に振りかぶった鎌を振り下ろして防御障壁を断ち切れば、残る四本の腕が神威を叩き込む。凄まじい神威の爆発が起きた。世界が震撼したのではないかと思うほどの爆発。衝撃波がミリュウたちの元へも届くくらいだ。
そして、その閃光の中、飛来するなにかが見えた。凶悪な殺意。デイシア。狙いは、ミリュウ――。
「なっ……!?」
ミリュウが思わず叫んだときだった。
神威の爆発光の中を突っ切って飛来したのは、当然、復元真っ只中のデイシアだったのだが、デイシアの殺意に満ちた目は、ミリュウも目前で驚愕に見開かれ、顔面に剣閃が奔ったのだ。黒い剣閃が奔るとともにデイシアは苦痛に顔を歪めながら飛び退き、そのまま姿を消す。空間転移だろう。どこへ転移したのかはわからない。ただ、この周囲ではないことは確かだ。気配が消えている。
代わりといってはなんだが、まったく別の気配が彼女の目の前に現れていた。
全身を闇で武装した人物が闇色の翼を広げ、浮かんでいた。セツナだ。
「なんでセツナがここに!? あたしを愛してくれるため!?」
「どういう理由だよ」
彼は、どうしようもないな、とでもいいたげにこちらを振り返った。完全武装状態のセツナは、黒き矛だけを手にしているとき以上に禍々しく、破壊的に見える。そしてそれがこの世のなによりも雄々しく、素敵なものに見えるのだから、愛情というのは恐ろしい。
「ルノウが逃げやがったからな、こっちに来たんだが……」
「逃げた?」
「こちらも同じだな。デイシアはたったいま逃げた」
マユリ神の発言により、デイシアがこの戦場から完全に姿を消したことを認識する。どれだけ精神を集中させても、周囲にデイシアの気配を感じ取ることは出来なかった。
「いや、逃げたというよりは、強制的に転送させられたといったほうが正しいかもしれない」
「強制的に……か」
「追い詰められたからってわけじゃないの?」
ミリュウは、骨の神が在るべき世界に還っていく様を見遣りながら、問うた。擬似召喚魔法は、完璧な完全無欠の召喚魔法ではない。あくまで擬似的に召喚魔法を再現しているに過ぎず、払った代価に応じた時間だけしか召喚していることはできないのだ。時間を超過すれば、契約に従い、在るべき世界に送還される。
皇神たちも、そのような契約を結んでいれば、五百年の長きに渡ってイルス・ヴァレに拘束されることもなかったのだろうが、詮無きことだ。
「ああ。追い詰められているんだろうよ」
セツナが悪い笑みを浮かべた。
「奴らの指揮官殿がな」




