第二千七百三十三話 風の王
セツナが多様する攻撃手段であるところの“破壊光線”は、黒き矛の能力のひとつであり、攻撃的かつ破壊的な力の顕現といっていいだろう。精神力を破壊的な光に変換し、撃ち出す、というただそれだけのことではあるのだが、使い勝手の良さにおいては黒き矛の能力の中で群を抜いている。威力、範囲、精度のいずれもが優れている上、消耗に関しても使い手次第、状況次第だった。つまり、力を込めれば込めるほど威力は増し、消耗も増えるが、逆に消耗を抑えることも出来る。
レムは、全身全霊の力を込めて“破壊光線”を撃ち出し、そのことによる消耗の凄まじさを体感しながらも黒き矛の影が、まさにその通りの性能でもって手の内にあることを実感した。正真正銘、黒き矛カオスブリンガーの影たる黒影の矛は、レムの精神力を吸い上げ、穂先より一条の光芒として撃ち出したのだ。破壊の力そのものたる光の奔流が視界を白く染め上げ、一瞬にしてレミリオンへと到達する。鳥頭人身の神との合一を阻止するべく放たれた光は、見事直撃し、爆光と轟音を撒き散らす。光熱の嵐が吹き荒れ、大気が掻き混ぜられていく。
激しい消耗の中呼吸を整えながら、抜群の手応えを感じたレムだったが、同時に無意味に終わったことを悟る。破壊の嵐の中心には、レミリオンの気配が確かに存在し、神威もまた、確実に存在していたからだ。だが、だからといってレミリオンたちの合一を待っている場合ではない。レムは、続けざまに“破壊光線”を撃ち放つと、黒影の双刃を鎧から分離させ、影の腕に持たせた。そして、黒影の杖とともに目の前で掲げ、双刃からは光弾を、杖からは光線を発射させる。持てる限りの遠距離攻撃を一斉に叩き込むのだ。合一中だろうが、攻撃が通らないはずもない。
絶対無敵の存在でもない限り。
そして、そんなものが存在するとは想えなかったし、もし存在するのであれば、彼らは最初からそれを投入してきたはずだ。そうしなかったということは、いま目の前にいる相手が絶対無敵であることもまた、ありえない。
“破壊光線”と杖の光線、双刃の光弾がつぎつぎと直撃し、炸裂、爆煙と爆光を撒き散らす中、それでも獅徒の気配、神の気配は動かない。カオスブリンガーでなければ神を滅ぼすことはできないということはわかりきっているが、だとしても、微動だにしないなどありうることだろうか。完全武装・影式は、完全武装状態の影。神をも滅ぼすセツナの影なのだ。まったく効果がないとは想いがたい。
無論、鳥頭人身の神がこれまでセツナが交戦してきたどの神よりも強いというのであれば話は別だが、そんなことはありえないはずだ。大いなる女神ナリアと並び立つ神エベルでもない限りは。そして、目の前にいる神がエベルでないことは、レミリオンの発言からも明らかだ。
マハヴァと、彼は呼んだ。
レミリオンが神の名を偽る理由もなければ、神がその名を偽る理由もまた、存在しない。であれば、鳥頭人身の神は、エベルではないのだ。
ではなぜ、レムの攻撃が通用していないのか。
レムがそんな疑問を抱きながらも、全霊の攻撃を続けている最中だった。
不意に爆音が途絶え、爆光も熱風も止まった。爆煙がその形を変えなくなり、“破壊光線”も光弾も光線も、止まってしまう。まるで時間が止まったように。
「安心していいよ。効いていなかったわけじゃあないからさ」
レミリオンの声が聞こえて、爆煙が渦を巻いて吹き飛ぶと、“破壊光線”も光弾も光線もなにもかもが消えてなくなった。そして、それがレムの眼前に姿を見せる。
「結構痛かったし、危うく消し炭にされるところだったのは本当なんだ。本当なんだよ」
「随分と様変わりなされましたね」
レムは、素直にそう評した。
レミリオンは、鳥頭人身の神マハヴァと合一したことで、その姿を大きく変貌させていた。獅徒の真っ白で貧相だった肉体が隆々たる筋肉に覆われただけでなく、肉体の構造そのものが変わっているように見えた。皮膚が硬化し、外骨格のようなものが形成されている。さらに全身のところどころから極彩色の翼を生やしている、とでもいうような姿だ。左右の前腕、両方の足、腰や側頭部からも翼を生やし、背中からも無数の翼を生やしている。翼の数で力量が決まるとでもいわんばかりだ。頭上には白い冠のようなものがあり、両目は金色に輝いている。金色の目。神の目。神を取り込んだことによる影響なのだろう。神威も彼自身から感じ取れるのだが、先程まで感じていた神威よりも遙かに鋭く、圧力が増している。
獅徒と神の合一は、どういうわけか力を何倍にも増大させるという話だが、実際に目の当たりにすると卑怯と想わざるを得ない。
もっとも、それを言い出せばレム自身の卑怯ぶりたるやなんともいいようもないものだが。
「そうだろう? これでようやく獅徒の本気を出せる」
「ではわたくしも、本気でお相手致しましょう」
「痛々しいね」
レミリオンは、まるでレムの心中を察したかのように微笑んでくる。その姿が掻き消えた。
「君は、ついさっき本気を出したばかりじゃあないか」
声が聞こえたときには、凄まじい衝撃が脇腹に突き刺さっていて、つぎの瞬間、爆風とともに吹き飛ばされている自分を認識する。そして、ようやくレミリオンが自分の背後に現れたのだと理解するのだが、そのときにはレミリオンの気配は別の場所に移動している。頭上。見上げれば、レミリオンが右手をこちらに翳していた。風圧が襲い来る。
「全身全霊の攻撃。痛かったよ」
「くっ」
凶悪な風圧によって地面に叩きつけられただけでなく全身をばらばらにされ、レムはうめいた。不老不滅であっても、痛みを感じないわけではない。むしろ、不老不滅であり、並大抵のことで意識不明にならないため、常人よりも多くの痛みを感じなければならなかった。
ばらばらになった肉体が戻ったときには、レミリオンは頭上から左に移動している。移動速度、飛行速度が速すぎる。ただ、追いつけない速度ではない。完全武装・影式で戦えない相手ではない。そこまで圧倒的な力の差は感じなかった。
「ほら、どうしたんだい? ぼくが見えていないのかな?」
「いいえ!」
叫び、槍でもってレミリオンの足を受け止めれば、風圧によって影の腕を吹き飛ばされ、続けざまに振り抜いてきた右腕が巻き起こす竜巻に全身を切り刻まれる。激痛が全身を苛んだ。だが、その程度で止まるレムでもない。切り裂かれるたびに再生し復元する肉体を動かし、双刃を重ねる。擬似的な時間静止によって竜巻を強制的に止め、抜け出せば、レミリオンが笑っていた。
「そんなものじゃあ、ぼくは止められない。止められないんだよ」
レミリオンの背中の翼が輝き、光が暴風となってレムを包み込んだ。
風が啼いている。
まるでなにかを訴えるように。
まるで運命の儚さを謳うかのように。
(ロナン……君は……)
脳裏に浮かぶのは、少年時代の屈託のない実弟の顔であり、その太陽のように眩しい笑顔は、いまもなお色褪せることなく記憶に焼き付いている。無邪気と自由奔放という言葉が彼ほど似合う人間はいなかったし、ときにはそのために怪我をすることもあったが、その穢れなき魂には、周囲のだれもが微笑みを浮かべたものだ。
バルガザール家にとって、希有な人間といってもよかった。
ロナンがいたからこそ、バルガザール家は纏まっていたのではないか、とも想える。
アルガザードもラクサスももちろんルウファも、ロナンにだけは甘かった。甘くならざるを得なかった。ロナンという自由気ままな存在こそが、ともすればばらばらになりそうな家を支えていたというのは不思議な話だが、単純かつ明快な理由でもあったかもしれない。
ロナンは、ひとに愛される性格の持ち主だった。
屈託がなく、純粋で、素直。それでいて他人想い。そんな彼のことを嫌う人間など、バルガザール家にはいなかったし、だからこそ、家の中心たり得たのだ。
ゆっくりと、瞼を開く。
レミリオンの攻撃による痛みは消えていて、それがなんであるかは瞬時に理解した。グロリア=オウレリアのエンジェルリングだ。天使の輪を掲げたグロリアがこちらに気づいたのは、常にルウファに意識を向けていたからだろう。
「気がついたか」
「師匠……俺は……」
なにもできなかった。
そういおうとして、頭を振る。状況がわからない。
「いえ、現状は?」
戦いは終わったのか、それとも、まだ続いているのか。




