第二千七百三十一話 完全武装・影式(六)
「ここはリョハンの外。マリク様が守護結界の外にございます」
レムは、寒風吹き荒ぶ上空にあって、いまや遠ざかったリョフ山を指し示しながら、いった。
「あなた様が再びリョハンに、空中都に至るのは、もはや不可能といっても過言ではございませぬ」
「過言だよ。ぼくはリョハンに終わりを突きつけ、ネア・ガンディアに勝利をもたらす。そのために戦女神ファリアを殺し、守護神マリクを封じよう。そのためにぼくはここにいるのだから」
「させませぬ」
レムは、断固として告げ、レミリオンを睨み据えた。白鎧を失い、貧相に見えなくもない真っ白な上半身を曝す獅徒は、凍てつくようなまなざしをこちらに向けている。そこには確かな怒りがあり、苛立ちがある。これまでの余裕が消えて失せ、焦りさえ生まれ始めているようだった。つまり、レムが優勢だということだろう。
「ファリア様もマリク様も、指一本触れさせませぬ」
断言し、杖を翳す。黒影の杖、その髑髏の飾りを模した先端から巨大な影の手を作りだし、上空に伸ばす。レミリオンとレムの間に横たわる距離は長く、遠い。されど、影の手は瞬く間にその間合いを埋め、レミリオンに肉薄した。ただし、レミリオンに触れることは敵わない。レミリオンは、右手を軽く振り抜いただけで影の手を吹き飛ばして見せると、大気を蹴って、空を舞った。一瞬にして最高速度に達したのだろう。物凄まじい速度で頭上を飛んでいく。だが、レムの目に追えない速度ではない。完全武装・影式は、彼女のあらゆる感覚を飛躍的に向上させているのだ。
どうやらレミリオン頭上からレムの背後に回り込もうというのではなく、レムを無視し、リョハンを目指すつもりのようだった。レムは、透かさず、レミリオンの進行方向に“破壊光線”を撃ち放つと、黒影の矛を旋回させ、自身を斬りつけた。噴き出した血の中に風景を見出し、空間転移を起こす。転移先は、レミリオンの進行方向。
転移の完了とともに“破壊光線”を回避したばかりのレミリオンの前に立ちはだかれば、彼の怒気を孕んだ表情を直視する。
「邪魔だよ」
「当然でございましょう。邪魔をしているのでございますから」
「鬱陶しい……!」
レミリオンが激昂とともに両腕を振り上げると、レムの周囲でまるで爆発が起きたかのように大気が爆ぜた。凄まじい衝撃波がレムを襲ったのだろうが、しかし、レムにはなんの影響もない。黒影の鎧、その強化された翼が全周囲を包み込む防壁を作りだし、レムを衝撃波から護ってくれたのだ。大気の爆発は、終わりがないかのように連続的に続くが、翼の防壁は微動だにしない。メイルオブドーターを元にした黒影の鎧をエッジオブサーストを元にした黒影の双刃によって強化しているのだ。簡単に破れるものではない。
爆発が終わると、レミリオンは驚きもせずに目の前にいて、こうなることくらい予定通りだとでもいわんばかりの笑みを浮かべていた。彼の笑みがなにを意味しているのかを理解できたのは、レムが翼の防壁を解いた瞬間だった。
(これは)
防壁を解いた瞬間、全身が金縛りにでも遭ったように動かなくなったのだ。“無色世界”。レミリオンは、大気の爆発でレムの注意を引き、“無色世界”を完成させたようだ。そして、“無色世界”の完成は、レミリオンを自由にした。これでレムの相手をせずに済むと判断したのだろう。こちらを嘲笑うと、すぐさま降下し、リョハンに向かう。
その様を見届けることさえできないのは、眼球ひとつ動かせない状態だからだが、レムは、焦らない。一度打開できたのだから、同じ方法で打ち破ればいいだけだ。しかも、今は上空であり、周囲に気を使う必要がない。彼女は念じ、黒影の矛の力を解き放った。全周囲攻撃。精神力を破壊の力として全身から発散する能力は、レムの全身を包み込んだレミリオンの力を一瞬にして打ち砕き、彼女を自由の身とした。見れば、レミリオンは、リョフ山の中腹に空いた大穴に辿り着こうとしている。彼の飛行速度は、素直に感心するほかないくらいに素早い。
しかし、彼をもう二度とリョハンに到達させるつもりもなく、レムは、矛の切っ先で自身を切り裂くと、空間転移によってリョフ山の穴の前に到達した。レミリオンの進行方向に立ちはだかる形になる。さすがのレミリオンも“無色世界”をあっさりと打破されたことには衝撃を受けたのか、レムを目視した瞬間、動きを止めた。頭を振り、つぶやいてくる。
「……まったく、嫌になるね」
「それはこちらの台詞でございます。さっさと諦めてくだされば良いものを、二度も三度も襲いかかってきて。そのたびに存亡をかけた戦いを強いられる側の気持ちになって頂きたいものです」
「はっ……」
彼は吐き捨てるようにいった。
「くだらない」
「くだらなくありませぬ」
レムは、レミリオンを睨み据え、矛を持つ手に力を込めた。杖をさらに増やした影の手に預け、矛を両手で握る。長柄の武器は両手で扱うに限るのだ。そのほうが力も込められるし、力を引き出すこともできる。
「だれもが今日を生き、明日を生きるのに必死だといいますのに、あなた様方ときたら……!」
「それは生者の都合だろ? ぼくには関係ないね」
レミリオンの言葉を耳にしたときには、レムは、彼に向かって飛びかかっていた。レミリオンが左に飛んでかわすのを見越して影の腕を伸ばし、その横っ面を殴りつけて進路上に舞い戻らせると、その怒気に満ちた顔を見据えながら矛を振り抜く。肩口から脇腹まで切り裂いて胴体を真っ二つにすれば、右腕に斧を叩きつけ、左腕に槍を突き刺す。斧が右腕を破壊すれば、槍が左腕を粉砕した。その上で、残った上半身を全霊を込めた“破壊光線”で吹き飛ばす。莫大な光量が視界を白く染め上げ、大気を燃え上がらせる中、レミリオンの上半身がその中で溶けて消えていく。
レムは、その最後を見届けてもなお、気を抜けなかった。
あまりにあっさりとした最後だった。本当に斃せたのかどうか怪しいものだったし、なにより、気配が残っている。
獅徒は使徒。使徒は復元能力を持つ。神人のように“核”を持っていて、その“核”を破壊しない限り無限に近く再生と復元を繰り返すものと見ていいらしい。つまり、レミリオンも“核”が残っている限り無限に再生するということだ。“核”を破壊した確証がない以上、まだ生きている可能性が高い。
レムは眼下を見下ろした。眼下には、人っ子ひとりいない山門街が静寂の中にあるのだが、その山門街の建物群が吹き飛ぶ瞬間を目の当たりにする。レミリオンだ。地上に落下した体の一部から復元したらしい。
彼女は、すかさず矛による空間転移を使い、レミリオンの眼前、山門街の真っ只中へ転移した。建物群の崩壊によって粉塵が立ちこめる中、無傷のレミリオンを確認する。全身、完全に復元していた。頭、胴体、肩、腕、足――あらゆる部位がまったくの無傷なのだ。神人といい、使徒といい、神の影響を受けたものの生命力たるや、うんざりするくらいに凄まじい。
「本当に鬱陶しいね、君は」
「あなた様の撃滅がわたくしに与えられた使命故、それは本望というものでございます」
「いらいらするよ……そういうところ」
レミリオンは、苛立ちを隠さずに告げてくると、右腕を振り上げた。レムの足下から突風が吹き上げ、彼女を空高く打ち上げる。もっとも、全身を覆う翼の防壁がレムの身を守っている。なんの意味もない。牽制攻撃にすらならない。だが、と、レムは考える。
だが、レミリオンがまったく無意味な行動をするものだろうか。
そう考えたつぎの瞬間だった。
凄まじい熱量の接近に顔を上げると、莫大な量の光が眼前に迫っていた。
神威砲だ。




