第二千七百二十八話 完全武装・影式(三)
「自信満々だね」
レミリオンは、静かにいってきた。
白髪の青年だ。その外見的特徴は、以前、遭遇し、交戦した獅徒とそっくりといっていい。真っ白な髪に真っ白な皮膚、真っ白な甲冑と、どれを取っても真っ白なのが獅徒の特徴なのだ。もちろん、顔の造作、体格などは似ても似つかないが、全体の特徴としてはそっくりそのままといっていい。
白い人外の存在。
それが獅徒ならば、自分は黒い人外の存在とでもいうべきかもしれない。ふと、彼女はそんなことを想った。全身に充溢した力、いつも以上に肥大し、鋭敏化した感覚が、自分が万能の存在にでもなったのではないかと錯覚させる。先程の攻撃もそうだ。軽くいなしたつもりが、想像以上の一撃となってレミリオンを襲った。力加減が難しい。
完全武装・影式は、使いこなせるまでには至っていないのだ。当たり前だ。完全武装・影式を使えるようになったのは、つい昨日のことなのだ。そして、今日開戦するに当たって、練習している時間などはなかった。戦闘を目前に控え、無駄に消耗している場合ではない。
なにせ、自分が勝利の鍵なのだ。
ぶっつけ本番に近いが、不安というほどのものもなかった。
黒影の矛を軽く振り回し、構える。
「もちろんでございます。わたくしは、御主人様の影。御主人様の不在を狙う不届き者を討ち斃すのは、わたくしの存在意義そのものといっても過言ではありませぬ」
「その自信、いつまで持つかな」
「無論、いつまでも、でございます」
レムが告げると、レミリオンは冷笑した。つぎの瞬間、その姿が風に巻かれて消える。が、レムの超感覚は、レミリオンの気配が頭上に出現した瞬間に捕捉、反応していた。つまり無造作に黒影の杖を掲げ、杖の髑髏から伸びる巨大な影の手でもってはたき落としたのだ。レミリオンは、警戒こそしていたのだろうが、突如出現した巨大な掌に驚き、対応できないまま叩き落とされている。
流星のように落ちてきたレミリオンに向かって飛びかかり、蹴りつけてさらに遠くに吹き飛ばす。ファリアたちのいる戦宮から少しでも遠くへ。戦宮周辺は、空中都第一の中枢といっても過言ではない。いくら住民が避難しているからといって、そんな場所で激しい戦いを繰り広げるほど、レムも愚かではなかった。
場所を移すまでは強力な攻撃はしかけられないし、しかけるべきではない。レミリオンを撃破できたからといって空中都が壊滅状態となれば、本末転倒も甚だしい。もちろん、空中都がどれだけ壊れ果てようとも、マリク神やマユリ神が修復するだろうが、そういう問題ではないのだ。
レムは、黒影の鎧から翅を出させると、羽撃かせた。まさにメイルオブドーターの影というべきその鎧は、能力もメイルオブドーターそのものだ。メイルオブドーターが闇色の蝶の翅を生み出すように、黒影の鎧もまた、影のような蝶の翅を生み出す。そして、飛行能力を得るのだ。
空中を吹き飛んでいくレミリオンだったが、不意に静止した。これまでの戦いを見る限り、レミリオンは大気を操る能力を持っているらしいことはわかっている。空中で静止したのも、そういった能力のひとつなのだろうか。
「こんなものでぼくを斃せると?」
「いまのわたくしが、あなた様を斃すつもりだとでもお想いですか?」
「はっ、面白い冗談だ」
「つまらないでしょう。このような力加減も雑な戦い方」
「……そうか。君は、ぼくをリョハンの外へ連れて行くつもりか」
レミリオンが目を細めたのは、どういう意図があったのかはわからない。ただ、レムは、その表情の変化を見て、身構えた。するとどうか。レミリオンが嘲笑ってきた。
「だとしたら、残念だったね。これで君は終わりだ」
その瞬間、レムは自分自身の身に起こったことを理解した。一瞬にしてなにか強烈な力が全身を包み込み、身動きひとつ取れなくなる。手足どころか指一本、睫一本動かせなくなったのだ。これは、つい先程レミリオンがリョハンの武装召喚師たちを壊滅させた際に使った能力。
(“無色世界”……でしたか)
「最初から本気を出すべきなんだよ。力の出し惜しみが状況の悪化を招くのだから」
レミリオンは、忠告めいた発言とともに虚空を蹴った。まるでそこに見えない足場でもあるかのような動作だったが、彼にとって大気は足場にもなるということなのだろう。気体を固体同然に扱い、周囲の存在を拘束することも可能な能力。ルウファやグロリアの召喚武装が行う大気操作の極致とでもいうべき能力なのではないか。
レミリオンはレムの頭上を越えると、そのまま地上へ降下していった。レムには一切目もくれず、攻撃さえしてこなかったのは、一刻も早く戦宮に向かいたいからなのだろうが、だとしても障碍となる可能性のあるものを放置していくのは得策とはいえない。余程の事情がなければ、敵には止めを刺しておくべきだ。でなければ、足下を掬われることだってありうる。
(余程、自信がおありなのでしょうが)
実際、レミリオンの“無色世界”は強力無比であり、リョハンの全戦力が一瞬にして壊滅状態に陥るほどのものなのは疑いようのない事実だ。そこにレミリオンの実力が加われば、向かうところ敵無しといってよく、彼がレムの拘束に成功しただけで放置したのも無理からぬことではない。彼がレムの特性を把握しているのであれば、なおさらだ。
リョハンの武装召喚師は、いずれも優秀であり、護峰侍団の隊長たちや六大天侍ともなれば、セツナたちも一目置くほどの実力者揃いなのだが、彼らは常人なのだ。許容量を越える痛撃を食らえば意識を失うし、そうなれば意識を取り戻すまでに多少の時間を要する。つまり、昏倒させてしまえば、行動を封じることも容易いということだ。
一方、レムは、意識が消し飛ぶほどの痛撃を食らったところで、気絶したり、昏倒することがない。不老不滅の肉体は、不眠不休で働き続けても大きな支障がないくらいに丈夫であり、人間とは根本的に異なる存在といってもよかった。さらにいえば、殺されても死なないし、滅びもしない。故にレミリオンは、レムを拘束するに留めたのかもしれない。
昏倒させることができず、殺すことも滅ぼすこともできないのであれば、その場に留め置くのが手っ取り早い。
ただし、それはレムを“無色世界”で完全に封じ込め続けることができればの話だ。
瞬きさえ許されないほどの拘束力の中で、しかし、彼女は余裕をもって状況を見ていた。完全武装・影式によってすべての感覚が必要以上に研ぎ澄まされている。感知範囲は空中都全域に及び、レミリオンの動きすら手に取るようにわかった。彼がいまにも戦宮の門前に到達しようとしていることも、だ。
レムは、慌てもしなければ騒ぎもしない。ただ淡々と命じる。門の影に潜めていた“死神”壱号・真を解き放ったのだ。“死神”壱号・真は、黒影の双刃を手にし、レミリオンに斬りかかる。レミリオンは驚きに満ちた顔をしたものの、壱号・真の斬撃を軽々とかわして見せた。
レムは、“死神”の視界を自分の脳裏に投影することができるのだ。そして、“死神”壱号・真の戦いを見守りながら、自身を“無色世界”の拘束から解放するべく動き出した。
レミリオンは、大気を操る。空気を圧縮して作り出した球体を投射し、壱号・真を遠距離から攻撃しようとするのだが、壱号・真にも遠距離攻撃手段はあった。黒影の双刃は、エッジオブサーストの影だ。エッジオブサーストの能力をほとんどそのまま使うことができる。二刀一対の黒き短刀、その力を光弾として撃ち出し、レミリオンを牽制してみせた。無論、空中都を破壊しないように注意を払いつつ、だ。さらに戦宮から遠ざけるべく、レミリオンの誘導を試みるが、レミリオンは、そんな見え透いた誘いには乗らない。彼は笑う。
「余程、戦女神を失いたくないようだ。必死すぎる」
(当たり前でございます!)
レムは、胸中思い切り叫ぶと、“無色世界”の拘束を強引に打ち破ってみせた。黒影の矛は、カオスブリンガーの影。つまり、カオスブリンガーの能力もほとんどそのまま用いることができる。彼女が“無色世界”の拘束を打ち破ったのは、カオスブリンガーの能力のひとつである、全周囲攻撃によって、だ。拘束だけを打ち破るには、極めて繊細で慎重な力の制御が必要だったが、苦闘の甲斐もあり、周囲に被害を出さずに済んでいる。
そのことにほっとする暇もなく、彼女は、黒影の矛を旋回させた。
そして、みずからを切り裂いたのだ。




