第二千七百二十話 獅徒レミリオン(一)
「結界内への侵入を確認したよ。ただちに全戦力を迎撃に向かわせる」
「想像より随分と早いですね……」
ルウファは、マリク神の報せに動悸を覚えた。なにものが侵入したのかは、いわれずともわかっている。獅徒レミリオンだ。彼は、一度、ロナン=バルガザールとしてリョハンへの侵入を果たしている。その侵入にマリク神が気づかなかったのは、完全に人間に擬態していたからであり、人間のみは必ず通過させる結界の特性故だ。
リョハン市民のための結界がリョハンを危機に陥れるのだから、皮肉にしても酷いものだが、この度はその弱点を利用し、敵を引き込むことに成功したといえる。
リョハン市民がリョフ山地下坑道に隠れたいま、リョハンを包む結界内に侵入する人間など、敵以外には考えられない。それも、人間に擬態することのできるものだけであり、獅徒レミリオン以外には考えられなかった。
「彼らにしても、リョハンを潰すにはこれ以上の好機はないからね。罠とわかっていても、飛び込むしかない」
マリク神が静かに告げた。レミリオンも、これが罠だということはわかっているはずだ、というのは、ルウファにだって想像できることだ。いわば主戦力が出払った本陣なのだ。これほどわかりやすい罠もない。
「なにせ、この機を逃せば、セツナが船を落として戻ってくる。そうなると、手のつけようがない。セツナが獅徒なるものたちを倒したという事実は、彼らも十二分に知っていることだろうし……なにより、神々がセツナを相手にしたがらないだろうさ」
「だったら、リョハンを諦めてくれればいいのに」
思わず本音を漏らして、はっとする。見れば、神通石の中のマリク神が哀しそうな顔をしていた。
「そうだね。まったく、その通りだ。リョハンを諦めてくれれば、無益な争いもなくなるというのに」
「はい……」
小さく頷けば、隣のニュウ=ディーが心配そうなまなざしを向けてくるのがわかった。
「とはいえ、リョハンはなんとしてでも護らなくてはならない。わかっているよね?」
「それを俺に聞きますか」
「済まない。試すつもりはなかったんだ。リョハンのこと、頼んだよ」
「はい」
「マリク様こそ、よろしくお願いします」
「ああ。ぼくにできる限りのことはしよう」
マリク神はルウファとニュウに向かって笑いかけると、神通石の中で目を閉じた。光が瞬き、視界が白く塗り潰される。感覚の断絶、そして復活。まるで一瞬だけ死んだような、そんな異様な感覚の後、目の前に広がるのは戦場の景色だ。
マリク神による空間転移によって、ルウファはニュウとともに敵の侵入地点へと転送されたのだ。敵の侵入を確認次第、全戦力を投入し、食い止める。これが作戦の第二段階だ。戦力の逐次投入ではなく、全戦力の投入。そうしなければならない相手だということは、セツナたちからの情報提供によって判明している。獅徒は、神に匹敵するか、それ以上の力を持っている可能性があるのだ。
故に、リョハンは持てる力をすべて叩き込む必要があった。
そうしなければ勝てないかもしれない。
ちなみに、全戦力の投入にマリク神が入っていないのは、マリク神には結界の維持という重要な役割があるからだ。マリク神が結界を解けば、その瞬間、敵飛翔船の神威砲が火を噴くだろう。マリク神の結界に護られていなければ、神威砲の一撃で消し飛んだとしてもなんの不思議もないのだ。そして、敵の目的がリョハンの壊滅である以上、その機会を常に窺っているのは間違いない。結界を消し、マリク神を戦力とすることなどできるわけがない。
獅徒レミリオンの撃破と引き替えにリョハンが滅びては本末転倒も甚だしい。
戦場は、リョハンの南端の広場だった。そこに獅徒レミリオンがいて、現状リョハンに存在するすべての戦力が結集している。六大天侍に護峰侍団、《大陸召喚師協会》の武装召喚師たち。だれもが召喚武装を装備しており、レミリオンの動向を窺っていた。
レミリオンはといえば、自分を包囲する二千五百名ほどの武装召喚師たちを目の当たりにしても、余裕に満ちた態度を取っていた。ロナン=バルガザールと似て非なる姿をしたもの。真っ白に染まった髪に皮膚は、神人や神獣といった神威に毒されたものの成れの果てによく似ている。獅徒は使徒。神の使いと成り果てた彼は、もはや人外の存在であり、人間ではないのだ。似て非なるのも当然なのだろうが。
しかし、ルウファと同時に戦場に転送され、ほとんど同時にレミリオンを認識したニュウが怪訝な顔をしたのは、やはりその容姿からだろう。
「あれが、レミリオン?」
「はい」
「……ルウファ君」
ニュウがなにかを察したようだったが、ルウファは目を合わせなかった。レミリオンを見据え、相手もまたこちらを見据えるのを見た。碧い瞳。その奥底に光が走っている。
「斃すべき敵ですよ、あれは」
「まあ、その通りになってしまったけれど」
レミリオンが肩を竦めて見せてきた。そのわずかな仕草が全軍に緊張を走らせる。レミリオンが動けば、攻撃を開始するとでも指示されているのだろうか。だが、そんなことはお構いなしにレミリオンは続けてくるのだ。
「もう少し、こう、哀しんでくれてもいいんじゃない?」
「黙れ、レミリオン。おまえと語る言葉など、持ち合わせてはいない!」
叫び、ルウファは、翔けた。シルフィードフェザーの翼を羽撃かせ、レミリオンへ殺到する。悲鳴のような声が聞こえた。ニュウだ。
「ルウファ君!」
しかり、ルウファはニュウの声には耳を貸さなかった。シルフィードフェザーの能力を解き放ち、翼を三対六枚に増やす。シルフィードフェザー・オーバードライブ。シルフィードフェザーの最大能力は、彼を風の支配者に変える。広範囲の大気を掌握し、さらに速度を上げれば、一瞬後にはレミリオンを眼前に捉えている。レミリオンの真っ白な顔が笑った。
「疾いね。さすがは風使い」
声は、背後から聞こえた。
「くっ!」
目の前にあったはずのレミリオンの笑顔が残影だったことに気づいたときには、ルウファは、背中に激痛を覚えていた。全身の骨が砕け散るのではないかと想うほどの衝撃。そしてそのまま、吹き飛ばされる。
「でも、ぼくのほうが疾い」
「まだだ……! まだ!」
前方に突風を起こして慣性を殺し、強引に振り返るも、視線の先にはレミリオンはいなかった。あるのは虚空。だれもいない空間。頭上から降り注ぐ太陽光が嘘のようにあざやかだった。
「いいや、これで終わりだよ」
今度は、頭上から聞こえた。
「しばらく、眠っていてよ。兄さん」
衝撃が脳天を貫き、ルウファの意識はそこで途絶えた。
「六大天侍……だっけ? 戦女神の守護天使。こんなものなの? もっと気張って、ぼくを愉しませてよ。せめて、さ」
レミリオンは、ルウファが昏倒したのを確認すると、その体を無造作に持ち上げて見せた。二千五百名ほどの武装召喚師たちが驚きや怒りに満ちた目で自分を見つめるのを認め、ほくそ笑む。そして、彼はルウファを空高く放り投げると、そのルウファの体が風に巻かれて連れ去られるのを認めた。リョハンの武装召喚師のいずれかが、ルウファを奪取してくれたのだろう。
すると、怒声が周囲に起こった。
「貴様を愉しませる道理はない!」
「右に同じ!」
「同感!」
(多方向からの同時攻撃か。いいね!)
レミリオンは、胸中歓喜の声を上げながら、両腕を左右に伸ばした。大気を巻き上げ、自身を竜巻で包み込む。
殺意は、全周囲から殺到してきていた。




