第二百七十一話 彼女の処遇
「はあい、今日も悪い天気だけど、張り切っていくわよー!」
「ちょっと待て」
セツナは、突如荷台に飛び込んできた赤毛の女の姿をみた瞬間、頭痛に近いものを感じた。彼女がどうとかいう話ではなく、単純に、寝起きの頭に彼女の声が強く響いたのだ。割れるように、だ。セツナが頭痛を感じるのも無理はなかった。
「なによう、ひとがせっかく元気に振る舞ってあげてるってのに。ノリが悪い男は嫌われるわよ?」
最初とは打って変わって声を潜めながらも、ゆっくりと近づいてきたのはミリュウ=リバイエンだった。両手両足の拘束は解かれた上、ログナー方面軍の軍服を身に付けている。髪も整えられており、昨夜とは随分雰囲気が違っていた。
「なんであんたがいるんだ? あんたは捕虜じゃなかったのか? っていうかなんなんだその格好、その首」
セツナは、まくし立てるように問いかけながら、彼女の首に巻き付けられた縄に気づいた。彼女が、縄を掴み上げ、見せてくる。
「これ?」
「ミリュウが悪さをしたときのためのものなのよ」
疲労感を隠せないといった様子で荷台に上ってきたのは、ファリアだ。手には、ミリュウの首に巻かれた縄の先が握られている。いや、握られているだけではない。彼女の左手首に結び付けられていた。縄の長さは五メートル以上はあるだろうか。ミリュウがある程度自由を享受できそうな長さであり、不自由さも満喫できそうな長さだといえるだろう。
「悪さ?」
「呪文を唱えたら、きゅっ、てするらしいわ。怖いわねえ」
自分の首を絞めるような仕草をしながらこちらに寄りかかってきたミリュウをかわしながら、セツナはファリアのうんざりとした顔に視線を注いでいた。その目は鋭く、ミリュウを射抜くように見ている。ミリュウは、セツナの寝ていた毛布の上に倒れこみ、奇妙な声を上げていた。
「あなたを野放しにするほうが恐ろしいわよ」
「あらん、買いかぶり過ぎよ」
毛布の中から顔を出したミリュウが、ファリアを振り返る。一瞬、ファリアの額が痙攣したように見えたが、気のせいだろう。ふたりの間に漂う緊迫感も、気のせいに違いない。セツナは、妙な寒気に襲われながらも、それもまた気のせいなのだと自分に言い聞かせた。いまは、ふたりの関係よりももっと大事なことがある。
状況が、よくわからない。
ミリュウは捕虜だったはずだ。昨夜まで、エイン隊による監視下に置かれ、厳重に拘束されていたのだ。それが一夜明けた途端、半ば自由に行動している。おかしな話だ。まるで理解できないし、納得もできない。
「どういうことだよ……?」
セツナは、ファリアに説明を催促するように尋ねた。彼女はミリュウとにらみ合いを続けていたそうではあったが、こちらの視線に気づくと、表情を変化させた。険しさと柔らかさが混ざり合って、異様な顔つきになっていたが。
「今朝起きたら事情が変わっていたのよ」
「捕虜の身分は変わっていないけどね」
「……ちゃんと教えてくれ」
「あー、ごめんなさい。ちょっと冷静さを失っていたわ。簡単にいうと、彼女――ミリュウ=リバイエンが龍府まで同行することになったのよ。彼女が龍府の内部構造に詳しいという話を知ったアスタル将軍とエイン軍団長の判断よ。彼女の知識を用いれば龍府攻略も捗るでしょうし、間違いではないと想うのだけれど……」
それでも納得しがたいものがあるのだろう。ファリアは、困ったような顔でミリュウを見ていた。
「あたしを利用しようっていう魂胆なのよ、これが大人のやることなのよねえ」
などと、ミリュウは大きなため息を浮かべたものの、彼女はそれに納得したから自由に行動しているのではないのだろうか。とても、強制されているような人間の言動とは思えない。
「それで、彼女が提示した条件っていうのが、両手両足の拘束を解くことと、《獅子の尾》――つまり、セツナと行動をともにすること、だったのよ」
「はあ?」
セツナが生返事を浮かべたのは、ミリュウの条件のうち、ひとつがまったく理解不能だったからにほかならない。ひとつめはわかる。捕虜とはいえ、両手両足が拘束されているのはたまったものではなかっただろう。武装召喚師である彼女を安全に拘束しておくには仕方のなかったことだ。四六時中。猿轡を強いられるよりはよかったに違いないが、どちらにしても手も足も動かせないのは辛いに決まっている。
それはいい。
後者の条件を提示した理由が想像もできなかった。呆然と呟く。
「俺と行動をともに?」
セツナがミリュウに目を向けると、彼女は、さっきまでの傍若無人さが鳴りを潜めたように毛布の上でちょこんと座っていた。上目遣いでこちらを見ていた彼女は、セツナの視線に気づくと、頬を赤らめて目をそらした。ミリュウの態度に疑問を禁じ得ぬまま、ファリアを見やる。ファリアは肩を竦めて、いってくる。
「セツナが監視してくれるのなら、どういう扱いでも構わないって彼女がいったから、こういう扱いになったのよ」
「なんでまた」
「知らないわよ。セツナ、彼女になにかした? された? 昨夜、面会したそうじゃない」
ファリアが神妙な顔つきになったのは、セツナの身を案じてのこともあるのだろうが、ミリュウという敵だった女とセツナの関係が気になっているからに違いない。どこにいっていたのかは知らないが、ここに戻って来るまでの間にミリュウが彼女になにかを話したのかもしれない。いや、間違いなくなんらかの会話は交わしているだろう。それがセツナの印象を悪くするようなものでさえなければいいのだが。ファリアに誤解されたくはない。
彼女との関係など、殺し合った間柄、というだけでしかないのだ。特別な感情などあろうはずもなく、昨夜のわずかな時間でなにがあるということもない。しかも、クルードの話をした後、彼女はひとりになりたいといってきたのだ。セツナは、彼女の心情を察し、《獅子の尾》の馬車に戻っている。ファリアは既に寝ていたので、彼女に報告することもできなかったが。
「話をしただけだよ」
「どんな?」
「黒き矛について、とかね」
「そう……なにもされなかったのね?」
「できっこなかったろ?」
セツナは、ファリアの心配性っぷりに吹き出しかけて、なんとか堪えた。笑えば、彼女の怒りを買うかもしれない。ファリアの神経を逆撫でにするようなことはしたくなかった。
そして、ミリュウがセツナに対してなにもできなかったというのは、彼女も知っているはずだ。両手は封じられ、足も縛られていた。立ち上がることもままならなければ、セツナに近寄ってくることもできなかった。常に一定の距離を保っていたのだ。
「うん、そうよね……。それにセツナが何かするはずないもんね。ごめんなさい、変に疑ったりして」
「いや、いいよ。気にしてない」
消沈するファリアにわざとらしく笑いかける。彼女が疑うのも無理はないことだと思った。ミリュウは二日前、殺し合った相手だ。命を懸けて戦った間柄だ。互いにカオスブリンガーを手にして、手加減をするということもなかった。セツナは彼女に命を奪われかけ、辛くも生き延びたのだ。そんな死闘を交えたはずの相手が、一日二日で親しげに接してくるのはどう考えてもおかしかった。セツナとミリュウの間になにかがあったのではないか、と推察するのは普通のことだ。
しかも、ミリュウはセツナによる監視を希望したといい、ファリアの疑念が深まるのは仕方のないことだ。セツナとしては、早急に彼女の疑いを解かねばならないとは思うのだが、同時に、ミリュウがどうしてそこまで自分に関わろうとしているのかも知らなければならなかった。
昨夜の面会のときもそうだが、ミリュウはなぜかセツナに対して親しげに振る舞ってくるのだ。二日前、敵として戦ったばかりだ。憎しみや恨みで戦ったわけではないとはいえ、彼女がエイン隊の兵士を殺した事実は消えないし、セツナが彼女の部下を殺した記憶も色褪せない。
セツナは、ミリュウの熱烈な視線の不可解さに困惑しながら、ファリアの表情を窺った。彼女もなにがなにやらわかっていない、といった風情であり、彼女の扱いに困り果てているのは一目瞭然だった。
と、ファリアが思い出した様に手を叩いた。
「そうだわ。見送りに行きましょう。そのために呼びに来たのよ」
「見送る? だれを」
「副長に決っているでしょ」
ファリアに告げられて、セツナは、あっとなった。
ルウファが、バハンダールへの後送を了承したということだ。