第二千七百十八話 激戦への誘い(三)
擬似魔法。
遙か昔、レヴィアがその身に刻んだ古代の叡智をミリュウなりに分析し、術式としたそれは、ほかのだれにも真似のできないものだ。かつてこの世界に確かに存在した魔法と呼ばれる技術の再現であり、その威力たるや並の召喚武装の比ではない。それは、召喚武装の力ではないのだ。召喚武装を利用して、まったく異なる力を引き出し、引き起こしている。
ダルクスが稼いでくれた時間は、ミリュウに十分な詠唱を行わせることに成功していた。ダルクスは、ミリュウに攻撃の手が及ぶたびに確実に助けてくれたし、身を挺して守ってくれもした。ダルクスの献身的かつ超人的な活躍があればこそ、ミリュウは擬似魔法の詠唱に集中することが出来たのだし、術式の完成に漕ぎ着けたのだ。
召喚武装ラヴァーソウルの刃片を磁力で操り、刃片同士を結びつけることで古代語を描き、複雑怪奇といってもいいくらいの呪文を浮かべる。とてつもなく集中力が必要であり、時間のかかる作業だ。その間、少しでも邪魔が入り、集中が途切れれば、また一からやり直しになるかもしれない。刃片の呪文が解けた瞬間、一からの再構築になるのは間違いない。
だが、そうはならなかった。
ダルクスが敵の注意を集めていてくれたからであり、彼には感謝のしようもない。
「ありがと、ダルクス。あなたのおかげよ」
感謝の言葉を述べても、ダルクスは、なにもいわない。ただ、無言でこちらを見、小さくうなずくだけだ。そして、背後に迫った神人に拳の裏を叩きつけて吹き飛ばし、さらに重力の渦を作って複数の神人を拘束してみせる。彼は、重力の支配者だ。その力を存分に振るい、無数の神人を相手に優位に立ち回っていたのだ。もっとも、それは彼ひとりの力、というわけではない。マユリ神の加護があってはじめて、圧倒的多数の神人を相手に優勢を取れるのだ。ダルクスと召喚武装の力だけでは、数の前に押し負けかねない。
ミリュウは、ダルクスが側に駆け寄ってきたのを見て、ラヴァーソウルの柄を持つ手に力を込めた。集中しすぎて汗が滲んでいる。前方、数え切れない数の神人が一斉に襲いかかってくるのがわかった。ダルクスが後ろに下がったからだが、それでいい、と彼女は想った。
「船遊びはここまでよ」
などと告げ、擬似魔法を発動させる。
瞬間、光が走った。どこからともなく現れた一条の光が、彼女の眼前に迫った神人の胸を貫き、風穴を開けた。光は、そのまま手前の神人の足を吹き飛ばし、甲板を突き破る。かと想えば、甲板に空いた穴から飛び出した光が神人の頭を消し飛ばして上方へ至り、天蓋に激突して大穴を空け、その反動で降ってくるときには三本に増えていた。そうして、なにかに激突すると反射する光線は、神人や甲板、天蓋など、飛翔船内のあらゆるものを破壊しながら数を増していく。それは瞬く間の出来事であり、気がついたときには無数の光線が数多の神人の体を粉々に打ち砕き、無数の“核”を粉砕していた。神人だけではない。甲板、天井、船体そのものに無数の穴が空き、やがてミリュウたちの足場さえも失われるのは間違いないくらいの加速度的な破壊が始まっていた。
ミリュウはダルクスの手を引っ張って後ろに飛ぶと、ラヴァーソウルの刃片で生み出した磁力場を蹴って船体から離脱した。そうしている間にも、擬似魔法の光線は反射と増幅を繰り返しながら、船体を破壊し続けている。ついには防御障壁を反射に利用するようになると、船体を包む防御障壁内が莫大な数の光線に蹂躙されるようになる。反射の度に数が増えるのだ。しかも、一本が三本に、三本が九本に、九本が二十七本に、という風に増えており、いまや数え切れない光線が船体を破壊し回っていて、あれほど威圧的な巨体を誇った飛翔船も、もはや原形が思い出せないほどの惨状に成り果てていた。
あっという間だった。
「結構消耗したけど、その価値はあったわよね」
つぶやくと、ダルクスが静かにうなずく。
中空。船上から離脱したのは、当然、光線の嵐に巻き込まれないようにするためだ。もちろん、自分とダルクスは攻撃対象に入っていないものの、あのままあの場所に居続けると、自分たちの居場所だけは無事ということになる。甲板の一部が残ったところでなんの問題もないのだが、逆をいえば、その一部が残り、そこにミリュウたちがいることになんの意味もない。落ちるだけだ。
ならば、船体から離脱し、光線に破壊し尽くさせるべきだろう。
そして、反射と増幅、破壊を繰り返す擬似魔法の光線は、船体をでたらめに破壊し尽くし、ついに爆散させるに至る。船の残骸が爆発光に飲まれていく光景をミリュウたちはラヴァーソウルの磁力場を飛び移りながら見ていた。すると、柔らかな浮遊感がミリュウの全身を包み込んだ。
「さすがはミリュウ。見事だ」
と、賞賛してくれたのは、マユリ神であり、ミリュウたちを包み込んだのは女神の力のようだった。見れば、頭上から女神が降りてくる。
「マユリんこそ!」
ミリュウがいったのは、小型飛翔船がマユリ神の手によって撃沈されていたことについて、だ。防御障壁に護られた中型飛翔船を撃墜するのはミリュウたちの役割だったが、残る四隻の小型飛翔船は、マユリ神の役目だった。そしてマユリ神はみずからの役目を難なくこなして見せたのだ。当然できるものと信じていたものの、平然とやり遂げた事実には賞賛の言葉しかなかった。その賞賛に応えるように、マユリ神の力がミリュウたちを包み込んでいく。柔らかな光。癒やしの力。擬似魔法による消耗が緩やかに癒やされていくのがわかる。
「ダルクスもよくミリュウを護った」
褒められ、ダルクスは言葉もなくうなずく。どこか照れたような印象を受けるのは、気のせいではあるまい。
「だが、本番はこれからだ」
「わかってるって!」
ミリュウは、マユリ神の警告を素直に受け取ると、爆発光が収束していく光景を目の当たりにした。発散ではなく、収束。残骸が爆風に吹き飛ばされる中、力ある光だけが収束していく様は神秘的とさえいえる。飛翔船の内部を巡っていた神威が収束する一点といえば、ひとつしか考えられない。
神の居場所だ。
そして、ミリュウは、その一点に収束した光の中に浮かび上がる影を見た。
「話には聞いていたけれど……ここまでやるとは想定外ね」
神威の光が消え去り、白日の下に曝されたそれは、一見、年端もいかない幼女の姿をしていた。ただし、一目見ただけでも、人間ではないと想えるほどの特徴が数多にあり、その外見に騙されるものはいないだろう。少なくとも、身の丈よりも遙かに長い頭髪が七色にきらめいているような人間がいる、などという話は聞いたことがない。肌は透けるように白く、骨と皮だけのような肢体には空色の帯が巻き付けられているような印象を受けた。目は大きく、異様なまでに輝いている。当然、金色にだ。虹色の睫がその大きな目を縁取り、彩っている。
「でも、あなたたちの快進撃もここまで。虹と美の女神デイシアが直々に滅ぼして上げるわ」
いうが早いか、デイシアと名乗った幼女姿の神は、胸の前で両手を重ね合わせた。幼女同然の肢体だ。その腕も細く、軽く触れただけで折れそうなほどか弱く見えた。が、無論、そんなことはありえない。しかしミリュウは、想っていることとはまったく別のことをいった。
「デイシア? それがあんたの名前ね。虹と美の女神って。虹はともかく、美はどこにあるのかしら」
「幼稚な挑発ね。そんなものにこのデイシアが乗るとでも想ってる?」
「うふふ。対等に接してあげているだけよ、デイシアちゃん」
「……人間風情がなにをいうのかしら」
呆れてものもいえないといった様子で、デイシアはつぶやき、両手をゆっくりと離していく。手と手の間に神威が溢れ、光芒となってきらめく。その光の奔流の中、なにかが具体化してくようだった。デイシアが両手を振り抜いたとき、それは明確な形となる。右手には七つの突起を持つ長杖、左手には正方形の盾が現れている。いずれも複雑な装飾がまばゆく輝いていて、神々しさを演出しているかのようだった。
「おい、ミリュウ」
「わかってるわ。別に見た目で判断してないから、安心してよ」
ミリュウは告げ、マユリ神が回避行動を取るのに身を任せた。
長杖の七つの突起から、七色の光が迸り、襲いかかってきたのだ。




