第二千七百十五話 風の覚悟
三度目となるネア・ガンディア軍との戦いがついに始まり、既に各地で激戦が繰り広げられている。
リョフ山の内奥に隠されたリョハンより遙か遠方の地での激戦の内容というのは、随時、彼の元に届いていた。それにはマユリ神の腕輪型通信器を利用しているのだが、その腕輪型通信器の発想の元となったのは、彼が作り出した通信器だ。通信器を腕輪型にするなどという発想には驚きを禁じ得なかったが、戦いが終わったらさっそく真似をしようと考えていた。
そのためにも、この戦いを勝利でもって終わらせなければならない。
そして、リョハンを勝利に導くための策は完成しており、なんの心配もいらなかった。
とはいえ、元より戦力差は圧倒的だ。
どう考えても、リョハンの戦力がネア・ガンディア軍を上回ることなどあり得ず、ネア・ガンディア軍に打ち勝つのは至難の業だった。少なくとも、セツナたちがいなければ、リョハンは今度こそネア・ガンディアによって討ち滅ぼされるか、天高く逃げ続けた末、餓死する以外の道はなかったのだ。打倒ネア・ガンディアの望みが生まれたのは、セツナたちと合流できたからであり、彼らがネア・ガンディアの侵攻直後という都合のいい時期にリョハンを訪れてくれたからこそだった。
神をも殺す魔王の杖の護持者と、神々。
その助力がなければ、ネア・ガンディア軍を打ち破ることは敵わない。いや、その助力だけでも戦術次第では敗北の可能性も十二分にあり得るのだ。
「勝てますか」
「勝てるから、戦うのさ」
マリクは、不安げなルウファのまなざしを見つめ返し、いった。
空中都市リョハンの真の中枢ともいえる神通石の間には、神通石と同化した彼のほか、ルウファ=バルガザールとニュウ=ディーの二名がいた。ふたりを除く六大天侍は、それぞれの持ち場についている。いずれ戦場となることが間違いない以上、戦力を遊ばせておくことはできない。
「随分と楽観的ですね」
「君は、セツナを信じないのかい?」
「隊長についての心配はありませんが……しかし」
普段、だれよりも楽観的なルウファがだれよりも慎重でだれよりも不安そうな理由については心当たりがあった。
「しかし?」
「リョハンを戦場にするという策、確かなのですか?」
「君のいいたいこともわかるよ。敵を拠点に引き入れるのは愚策も愚策だ。ましてや彼らの目的がリョハンの滅亡であるのなら、彼らをリョハンに引き入れた時点で敗北は確定に近いものがある。けれど、獅徒とやらを確実に斃すには、それが一番だとセツナはいっていたよ」
「獅徒……」
ルウファが反芻し、複雑そうな心中を顔に出した。
それはそうだろう。
ネア・ガンディア軍を率いる獅徒レミリオンは、彼の実弟ロナンの変わり果てた姿だというのだ。その事実を知っているのは、リョハンでも極一部のものだけだったし、セツナたちに伝えてもいない。伝えれば、セツナたちに気を遣わせかねないという理由からであり、ルウファからの申し出でもあった。リョハンを護るためには、どうしてもレミリオンを撃破しなければならないのだ。
ネア・ガンディア軍を撃退するだけでは、同じことだ。
完勝しなければ、ならない。
完全勝利。
それは、ただ撃退するだけではいけない。ネア・ガンディア軍がリョハンに差し向けた戦力という戦力を撃ち倒し、殲滅し尽くすのだ。そうすることでネア・ガンディアにリョハンを攻撃することの無意味さを思い知らせるのが、このたびの戦いの目的だった。
だから、敵をリョハンに引き入れてでも、リョハンを戦場にしてでも、敵軍を撃滅する。
そのためにも、セツナたちに気を遣わせるようなことがあってはならない。セツナたちが真実を知れば、きっとルウファに気を遣うだろう。レミリオンを滅ぼすのではなく、撃退することに拘ってしまうかもしれない。それでは、完全勝利とはいえなくなる。また、リョハンに敵を呼び込むことになりかねないのだ。無論、完全勝利を果たしたところでどうなるものかわからないし、ネア・ガンディアの怒りを買い、もっと多くの戦力を呼び寄せる可能性もないとは言い切れない。だが、だからといって、可能性を捨て去ることなどできないのだ。
リョハンをネア・ガンディアの脅威から逃れさせることのできる可能性。
そこに縋るためにも、レミリオンを討ち滅ぼさなければ、ならない。
ルウファにとっては、苦渋の決断だっただろう。だけれども、彼ならば、戦女神の守護天使にして六大天侍たる彼ならば、それ以外に取るべき道はなかった。どれだけ家族を愛していても、肉親のことを想っていても、リョハンのためならば鬼にもなるのがいまの彼なのだ。
「獅徒がいかなるものなのかについては、彼から聞いたよ。倒すべき敵だということもね」
「わかっています」
ルウファが、静かにうなずく。
「だからこそ、俺はここにいるんです」
彼の悲痛なまでの決意に満ちたまなざしを受けて、マリクは、なにもいえなかった。
ルウファは、自分の手でレミリオンを討つつもりなのだ。
その覚悟は、悲壮といってもいい。
だからこそマリクは、彼を愛し、彼の力になろうと想う。
すべてはリョハンのため。
風が啼いている。
レミリオンは、飛翔船セオンレイの天蓋の上にいた。飛翔船は、マハヴァが動かしている。レミリオンが機関室にいる必要はなく、彼は自由だった。
風のように。
「あなたは、そこにいるんだね」
遙か彼方、いまや以前の姿も思い出せないほどに変わり果てたリョフ山が霧に包まれていた。彼が知る限り世界最高峰の峻険は、彼率いる軍勢が押し寄せたとき、突如としてその姿を変えている。山頂一帯が光に包まれ、空を飛んだのだ。そしてそのまま、飛翔船でも辿り着けない高度へと上昇していくのを見届けるしかなかったことを昨日の出来事のように覚えている。しかも現在、リョフ山はそのとき以上の変貌を遂げているのだが、その理由は、天高く飛び去ったリョハンが地上に舞い戻り、山中に身を潜めたからだった。つまり、山頂にあったはずの都市が、そのまま山の内側に隠れているということだが、そのためにリョフ山に大穴を空ける必要があり、実際に彼はその瞬間を目にしている。
つまり、リョハンから莫大な光量が降り注ぎ、リョフ山を貫いた瞬間をだ。そして、その光が穿った穴の中へとリョハンは消えた。いまや山の内側、リョフ山の山嶺に護られるようにして、隠れている。
もっとも、山嶺程度が護りになるなどとはリョハン側も考えていないだろう。そんなものは、神威砲の一撃で消し飛ばせたし、三十隻の飛翔船が一斉砲撃すれば、リョフ山ごとリョハンを吹き飛ばすことも不可能ではなかった。
だからこそ、リョハン側は、戦力を分散してでも各方面の船隊を叩くことにしたのだろうが。
その結果、リョハンは手薄になっているというのは本末転倒という以外にない。しかし、こちらが包囲殲滅策に出た時点で、リョハン側に取れる対抗策など限られていたのだから、致し方がないだろう。護りに徹するのは、不可能だ。こちらには三十隻の飛翔船があり、それらが一斉に神威砲を放てば、リョハンがどれだけ護りを固めたところで一溜まりもない。六柱の神の増幅された力は、一瞬にしてリョハンを地上より消し去るだろう。
リョハンは、賭けに出るしかなかったのだ。
ただ、その賭けの出方が、レミリオンたちの想像とは異なるものだっただけだ。
指揮官たるレミリオンを撃ち倒すことに全力を注ぐものと考えていた。それならば、短期決戦になり得るだろうし、戦力を一極に集中することもでき、戦力不足を補える戦術だったはずだ。レミリオンならばそうしただろうし、マハヴァもそう考えていた。
しかし、リョハンが取ったのは、レミリオンを無視し、各方面の船隊を攻撃するという策であり、予期せぬ戦術といえば、そうだった。レミリオン率いる主力船隊を黙殺するなど、通常、考えられない。これでは、がら空きのリョハンに攻撃しろといっているようなものではないか。
もちろん、彼は、それもまた、リョハンの思う壺だということもわかっている。これは策だ。レミリオンをリョハンに引き入れるための。
だが。
「兄さん」
つぶやいて、彼は拳を握った。
風が啼いている。
まるで彼の心情を表すように。
まるで、彼の兄の心情を映すように。
風が荒れている。




