第二千七百九話 それぞれの戦い(二)
ネア・ガンディア軍の飛翔船は、リョハンの六方向から迫りつつあった。六方向とは、即ち、真北、北東、北西、南東、南西、真南であり、それぞれ五隻の飛翔船が隊伍を組んでいることまで明らかになっている。
その中でセツナが撃沈するべき対象として選んだのは、五方向の船隊だけであり、リョハンの真南から接近中の船隊には戦力を割り当てるどころか、警戒することさえしなかった。真南の船隊は、ネア・ガンディア軍の主力船隊であることが明らかであり、無闇に手を出して余計な被害を出すことを恐れたのもあるが、戦術として、真南の船隊は放置していても問題がないとの判断からだった。
「本当にだいじょうぶなのかしらね?」
ミリュウが疑問を口にしたのは南西の敵船隊に向かっている最中のことだ。高空を超高速で移動することができているのは、当然、ミリュウの力でもなければ、彼女と組むダルクスの力でもない。マユリ神がミリュウとダルクスのふたりを抱えるようにして、空を飛んでいた。実際に抱えているのではなく、神威の膜とでもいうべきものでふたりを包み込み、運んでいるのだ。
マユラ神によって強引に叩き起こされたマユリ神は当初こそ不機嫌だったものの、状況を理解すると、態度を変えた。希望を司る女神には、この世界に絶望を撒くネア・ガンディアの存在など許し得ないのだ。そして、リョハンの存亡がかかっているとなれば、発憤しないわけにはいかない、と女神はいった。
やはり、マユリ神ほど頼もしく、心強い味方はいない、と、ミリュウは想ったものだ。
「彼奴らとて、考える頭がないわけではない。我々の動きを見て、思考し、違和を覚え、想像するだろう。ネア・ガンディアにとって最大の敵は、セツナだ。セツナがリョハンにいる以上、おいそれと手は出せない。故に彼奴らは三十隻の飛翔船による一斉砲撃を行うべく、包囲網を布こうとしているはずだ」
「それも、想像よね? まったく別の方法でリョハンを攻撃しようとしているかもしれないじゃない?」
「神通石によって強化されたマリクの結界を打破するのは、簡単なことではない。少なくとも、彼奴らが正面からぶつかることになんの利も見いだせないほどのものだ」
「だから、一斉砲撃以外には考えられない?」
「それが一番手っ取り早いというのもある。リョハンをこの世界から跡形もなく消し去ることができれば、彼奴らにとってこれほど喜ばしいことはあるまいよ」
「まあ……それはいいわ。たぶん、そうなんでしょうし。でも、本当に奴らがあたしたちの思い通りに動いてくれるかしら」
「動くだろう。動かざるを得なくなる」
マユリ神は、確信めいた口調で告げてくる。女神の断定には、口を挟めない力強さがあった。
「リョハンを消滅させるための手段を失えば、リョハンに直接攻撃を仕掛ける以外にはないのだからな」
「でもさっき、マリク様の結界は破るのは困難だって」
「破るのは、な」
「……どういう意味?」
ミリュウが訝しむと、マユリ神は、視線を逸らした。まっすぐ、前方を見遣りながら告げる。
「長話はここまでだ。あれが、わたしたちの敵だぞ、ミリュウ」
「わかってるわよう、いわれなくたってさ」
目標たる敵船隊が近づきつつあることには気づいていたが、それよりも話の内容のほうに意識が行っていたのも事実だ。思考を切り替え、戦いに意識を集中させる。
「やるわよ、ダルクス!」
隣を見れば、漆黒の甲冑に身を包んだ男は、いつものような無口で頷いてくる。それがいかにも頼もしく想えるのは、これまでの戦いで築いてきた絆によるところが大きいはずだが、それ以上の力を感じずにはいられなかった。ダルクスには、最初から全幅の信頼を置けたのだ。不思議なことだったし、他人のことなどどうだっていいミリュウには普通ありえないことなのだが、なぜか、ダルクスに関しては当然のようにも想えた。
「全部撃ち落として、セツナにいっぱいいっぱい褒めてもらうんだから!」
俄然、やる気があるのは、出撃前、セツナと話し合う時間があったからだ。
(それから、あんなことやこんなことを……!)
セツナは、ミリュウに約束してくれたのだ。
戦いが終わった暁には、ミリュウのいうことを聞いてくれる、と。
それだけでミリュウのやる気は百倍にも千倍にも増幅するものだ。
前方、群青の船体が特徴的な大型飛翔船に率いられた船隊は、こちらの接近に気づいたのか、既に戦闘態勢に入っているようだった。
群青の飛翔船の船首から、神威砲がその威圧的な姿を現していた。
リョハンの南東、辺り一面に雪が降り積もり、銀世界が広がる大地の上、吹き荒ぶ冷風を突っ切るように彼女は飛んでいた。
ラムレシア=ユーファ・ドラース。
ラングウィン=シルフェ・ドラースによってつけられた仮初めの名ではあったが、彼女は、その意味を理解するとともに即座に気に入り、みずからそう名乗るようになった。蒼白衣の狂女王という意味の竜語であり、蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースからすべてを受け継いだ存在に相応しい名前だといえた。もっとも、彼女が気に入ったのは、そこだけではない。ラングウィンが、彼女のその有り様を蒼白衣と称してくれたことがなによりも嬉しかった。
蒼白。
蒼と白。
偉大なる父ラムレスの蒼と、その娘たるユフィーリアの白がひとつになった証。
彼女のいまの姿そのものといっていい。
ラムレス=サイファ・ドラースの特徴と、ユフィーリア=サーラインの特徴を併せ持つ、半人半竜の存在。それが彼女だ。
そんな彼女はいま、友のため、戦女神との約束を護るため、空を駆けていた。ユフィーリアにとっての友であり、ラムレスにとっての契約者、同盟者ともいうべき人物は、ラムレシアにとってはどう表現すればいいのか、いまいちわからなくなっていた。
なぜならば、竜王への転生は、命の合一、魂の合一を意味するものだったからだ。
つまり、ラムレシアは、ユフィーリアではないのだ。ユフィーリアとラムレス、双方のすべてがひとつとなり、新たに誕生した存在――それが、ラムレシア=ユーファ・ドラースなのだ。だが、その人格は多分にユフィーリアのそれであり、ラムレスの要素はほとんどなかった。霧散したわけではない。全身、ありとあらゆる部分に溶け込み、完全に合一しているというべきだろう。
ラムレスは、ユフィーリアを優先したのだ。ユフィーリアの命を救うための竜王転生だったのだ。故に、新たに生まれたラムレシア=ユーファ・ドラースには、ユフィーリアの人格が宿り、彼女そのものとなった。なってしまった。
それを喜ぶべきか、哀しむべきかはわからない。
永遠に答えの出ない問いなのかもしれない。
ラムレスは、いない。もう二度と、彼とともに在ることは叶わず、彼の飛膜に包まれて眠ることもできなくなってしまった。いつか彼とともに飛ぶという願いも、叶わぬ夢と成り果てた。
空を飛べるようには、なった。
だが、それだけだ。
それでは意味がない。
それだけでは、なんの意味もないのだ。
ともに飛べなければ、この翼にいったいどんな意味があるのか。
嬉しくもなんともない。
とはいえ、いまは空を飛び回れることに感謝しなければならないのもまた事実であり、その事実が彼女を苦い顔にさせた。
そして、そんな彼女の心情を察したように、数多の眷属、無数の飛竜たちが一斉に吼えた。
竜属の咆哮は、竜語そのもの。
無数の魔法が発動し、初冬の空を紅く染め上げた。




