第二千七百一話 空中都市(十二)
「リオ・フ・イエン……か」
レミリオンは、機関室にあって幻光幕を見ていた。空中に展開される光の幕には、船の外の光景が映し出されている。
弐型飛翔船セオンレイの進路上、遙か遠方にそれは浮かんでいる。巨大な浮島のようなそれは、空中都市リョハンに三つ存在する居住区のひとつ、空中都を含む、リョフ山の頂そのものといってよかった。山の頂が、突如、大地の楔より解き放たれたといわんばかりに浮上し、天の彼方へ飛び去ったのが、つい先日のことだ。
その直前、ルウファの説得交渉に失敗した彼は、苦悩の末に全軍に攻撃を命令しており、彼が率いる北征船団の飛翔船三十隻は、彼の命令通りリョフ山に集合した。そして、一斉攻撃を始めようとしたそのとき、突如としてリョフ山に異変が起き、頂が切り離され、空を飛ぶという驚天動地の現象を目の当たりにしている。そのときほど驚いたことはなかったが、上昇速度にも目を見張ったものだ。
飛翔船の上昇可能高度には限界がある。そのため、追うことを諦めたのだが、それには彼なりの考えがあってのことだった。リョハンに住民が乗り込んでいるということは、どうしたところでいずれ地上に降りてこなければならないということだ。空中都に元から住んでいたひとびとの分だけならばまだしも、リョハン中のひとびとを乗せて飛んだのであれば、食料を賄えるはずもない。食料調達のためにも、それほど長い間空を飛んではいられないだろう。
故に彼は早々に追走を打ち切り、北征船団の飛翔船をリョフ山を中心とする周囲に散開させた。空高く消え去ったリョハンがどこへ降り立つのか不明である以上、広範囲を警戒しておくべきだったからだ。そうするうち、レミリオンを乗せた北征船団旗艦セオンレイは、南方より北上してくる飛翔船を確認、それがかつてヴィシュタルが手配した参型飛翔船ゼイブブラスであることが判明すると、その船の目的も理解した。
ゼイブブラスは、セツナたちの手に渡り、彼らの移動手段として活用されているからだ。そして、セツナ一行の目的地がリョハンであることは想像に難くなく、彼らがリョフ山に辿り着けば、遙か高空の空中都も降りてこざるを得ないのではないかと見た。
そして、彼の想像通り、状況は動いた。
セツナたちを乗せたゼイブブラス号がリョフ山に到達すると、しばらく後、天から空中都が降ってきたのだ。リョハン殲滅が北征船団の使命である以上、この好機を逃す手はない。彼は全軍に命令を発した。リョフ山に結集し、空中都を滅ぼせ、と。
そうして、北征船団三十隻の飛翔船がリョフ山を包囲したのだ。
「なんだそれは?」
レミリオンの発言に対し、きょとんとした反応を示したのは、従属神としてレミリオンを監視する鳥神マハヴァだ。動力装置の上に鎮座した神を見遣れば、その異形がまず先に目に付いた。屈強な肉体は人間の男のそれなのだが、首から上が猛禽類そのものなのだ。背からは極彩色の翼を生やし、頭部も極彩色の羽毛に覆われている。鋭い眼は金色に輝き、彼が神であることを示している。
神は、ひとの祈りによって生まれる。その祈りが彼のような姿を望めば、その通りに現出するものなのだろう。実際、すべての神が人間に近しい姿をしているわけではなかったし、猛獣そのものといっても過言ではない姿をした神もまた、存在するのだ。姿形が人間とかけ離れているからといって、問題があるわけではない。
「あれのことだよ」
「ふむ。あの浮遊島のことか」
「浮遊島……?」
「我が世界では、ああいう空飛ぶ島に鳥人たちが住んでいるのだよ」
「へえ……」
「もっとも、あの浮遊島と我が世界の浮遊島が空を飛ぶ原理は大きく違うようだが」
マハヴァがいった通りなのかは知らないが、あの島は、神の力で浮かんでいるようだった。リョハンには守護神が存在する。その神の力だけであの質量の物体を浮かせているというのは少々考えにくかったが、実際、そのようだった。飛翔船と同じような機構が、あの島の中にあるというのだ。
「原理はむしろ飛翔船と近いみたいだね」
「そのようだ」
マハヴァが鷹揚に頷く。
そして、しばらく幻光幕を眺めた後、突如として話題を変えてきた。
「しかし、本当に良いのか?」
「うん?」
「あの島には、汝の実の兄がいるのだろう?」
予期せぬ問いかけにレミリオンは彼を睨んだ。猛禽類の頭部を持つ鳥神は、その表情から感情を読み取ることが難しく、彼がなにを考えているのかはまったくわからなかった。ただひとつわかることがあるとすれば、それは、マハヴァがひとの心に土足で踏み込んでくる類の神だということだ。そういう神は、少なくない。故に彼は神が嫌いなのだ。
「何度もいっただろう。あのひとはぼくを拒絶した。ネア・ガンディアに来ることを拒んだ。だったら、討つしかない。たとえ敬愛する兄であっても、敵ならば」
「それが本音ならば、良いのだがな」
「なにがいいたい?」
「無理をしているのではないか、と想ってな」
「無理? 無理なんてしてないよ。するはずがないだろう」
彼は、告げる。自分に言い聞かせるように、静かに。
「ぼくはレミリオンだ。獅徒レミリオン。獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアが勅命こそすべて」
「……兄弟で殺し合うなど、哀しいことだ。虚しいことだ」
マハヴァの愁いに満ちた声は、レミリオンの決意を無視するようなものであり、彼は、言葉を飲み込んだ。マハヴァから目を逸らし、幻光幕に目を向ける。
古代の空中都市群リオ・フ・イエンの一部だったというそれは、いまや彼の滅ぼすべき対象としてそこに在る。徹底的な攻撃を加え、粉々に打ち砕き、すべてを滅ぼすのだ。
これまで、二度に渡ってリョハンを攻め取ることができなかった。いずれも、必ずしも手加減していたわけではない。特に二度目は、攻め滅ぼすには十分すぎるほどの戦力を投入したのだ。だのに、失敗に終わっている。その二度の失敗を拭い去るには、ここで彼が勝利し、獅徒の価値を世界に示すしかないのだ。
獅徒として転生し、そこに居場所を見出した以上、それ以外の道はない。
(兄さん……)
数年ぶりに逢えた兄の様子が脳裏を過ぎる。ルウファは、最愛の妻であり彼にとっては義理の姉にあたるエミルと幸せそうだった。故に彼は、ルウファたちをネア・ガンディアに引き入れようとした。リョハン殲滅が勅命である以上、リョハンへの攻撃を止めることはできない。ならばせめて、兄と義姉だけでも、助けたかった。
それくらいならば獅子神皇も許してくれるだろうし、それでネア・ガンディアの戦力が向上するなら、喜んで迎え入れてくれるはずだ。ルウファは、有数の武装召喚師だ。ガンディアには、彼の実力を知らないものはいない。それに、彼が加われば、バルガザール家も勢揃いとなる。
家族が揃うのだ。
それほど喜ばしいことはない。
なのに。
「勅命だ」
「わかっている。我とて、神皇陛下の御命令に逆らうつもりはない。ただ、汝のことが気がかりなだけよ」
「気にする必要はない」
レミリオンは、務めて冷静に告げた。ともすれば激発する感情を抑えるには、そうするほかなかった。
「従属神は従属神の役割を果たしてくれればいい。ぼくにはぼくの役割があり、あなたにはあなたの役割がある。それだけでいい」
「わかった」
マハヴァは、それ以上なにもいわなかった。
闘争を嫌い、日向ぼっこを至高とする鳥神にとって、兄弟で殺し合うことほど痛ましいことはないのだろうし、その心遣いには感謝したいところだが、いまは、邪魔にしかならない。
心を殺さなければ、兄を殺すことなどできるわけもないのだから。