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第二十六話 矢のように

「なにをしている! まだだ! まだなにも終わっちゃいない!」

 ログナーの部隊長らしき男の怒号は、恐慌状態に陥っていた兵士たちの理性をいくらかは取り戻すことに成功したようだった。しかし、崩壊した戦線を立て直すまでには至らない。当然だろう。

 セツナの矛が噴き出した業火は、ログナー軍の右翼に布陣した多くの兵士の命を焼き払ったのだ。炎に飲まれ命を落とした兵士の数はおよそ五百人以上だというのが、ルクスの目算だったが、炎の威力は、死者の数以上の打撃をログナー軍に与えていた。

 数百名に及ぶ仲間が、一瞬にして灰燼と帰したのだ。抗うことも、逃れることもできずに、炎と消えたのだ。炎が届かないぎりぎりの距離にいたものたちとて、安堵に胸を撫で下ろすことはできなかっただろう。左翼に展開中の兵士たちも同様の思いを抱いたに違いない。

 再び、炎が荒れ狂えば、つぎは自分が死ぬかもしれない。

「いや、終わったんだなーこれが」

 ルクス=ヴェインは、自慢の銀髪をかき上げると、長剣を軽く構えなおした。全長一七〇センチを越えるほどに長い剣は、普通に考えれば片手で扱うことなどできるはずがないだろう。

 その上、ルクスは見た目には中肉中背なのだ。特別膂力があるようには見えないし、実際、ない。が、青みを帯びた刀身が、澄んだ湖面のように美しいその長剣は、彼にとっては右腕そのもののようだった。重みはなく、無意識のままに無限の軌跡を虚空に描く。

 前方は、死屍累々といった有様である。むせ返るような熱気とともに、肉の焦げ付いた臭いが立ち上ってきていた。

 その向こう側で、態勢を立て直そうともがいている者たちの姿があった。ログナーの歩兵たちである。全身を覆う分厚い甲冑は、武器による攻撃などものともしないのだろう。しかし、それは並大抵の武器の話だ。

 鉄の鎧など、一定のランク以上の召喚武装の前では、紙くずも同然である。

「奴だ! あの黒き矛を手にした奴を狙え!」

 部隊長の怒声にも似た叫びは、遠く離れたルクスの耳にも突き刺さるほどには強く、しかし、崩れ行く戦陣を立て直させるほどの影響力はなった。もっとも、その馬上の男にとっては、戦線を持ち直すつもりもなかったのだろう。自身も弓を構えた騎兵の周囲で、彼の配下の兵士たちが整然と弓を並べ、矢を番えようとするのが見えた。

 狙うは、セツナただひとり――。

「セツナ君は大事な大事な客人なのだよ」

 ルクスは、告げるのと同時に地面を蹴りつけた。前方へ飛ぶ。まったく動く気配のないセツナの横を擦り抜けて、さらに加速する。敵兵までの距離は、およそ百メートルといったところか。剣を手にしたルクスならば、その程度の距離を埋めるのにものの数秒もいらなかった。

 それでも、矢を放つためにかかる時間のほうが、わずかに短い。

(だが、行く!)

 ルクスは、全身全霊を込めて、敵兵の死体の山を踏み越えた。脳裏に、閃光が走る。


『――セツナは初めての実戦だそうだ』

『へえ、それはまた厄介な』

『厄介言うな』

『だって、厄介そのものじゃないっすか。どこの馬の骨とも知れない上に実戦経験がないなんて』

『どこの馬の骨とも知れないのは、わたしたちも同じですよ。ルクス』

『そりゃあ否定はしませんがね』

『つーことで、ひとつ頼むわ』

『はあ~。厄介ごとはいつだって俺なんだよなあ……』

『そう言いながらも、団長の頼みごとは引き受けずにはいられないルクス君なのでした~』

『副長――』


 果たして、ルクスは、セツナの面倒を見なければならなくなった。渋々ではあったが、引き受けた以上は全力でやるのが彼の流儀である。故に常にセツナの同行に気を配ってはいたのだ。

 もっとも、セツナには、心配せずともおっかないお姉さんがついているのだし、戦況や彼の召喚武装次第では、構う必要もないかもしれなかった。

 が、やはりそれはかなり甘い考えであり、幼稚な願望そのものだったことを、ルクスは苦笑とともに思い知っていた。

 セツナは、多大な戦果を上げながらもその事実に強い衝撃を受けたのか、放心したかのようだった。矢を避けることは愚か、その場から動くことすらもできそうになかった。

 状況は、最悪といってもいいかもしれない。

 護衛対象(というのは言いすぎだが)は我を忘れており、敵はその護衛対象だけに狙いを定めている。唯一、敵に対抗できるのはルクスのみであるものの、敵への距離が遠すぎた。

 セツナの後方からは、シグルドを筆頭とする傭兵の軍勢が接近してきているのだが、彼らがセツナを身を挺してまで庇う道理はなかった。それ以前に間に合わない。

「放てぇっ!」

 敵兵の号令がルクスの意識を刺激したのは、彼が弓兵に到達するまでもう一息というところだった。つぎの跳躍で届くくらいの距離だった。飛べば、長剣の一閃で撫で斬りに斬り殺せたはずだった。それは過信などではない。ルクスと長剣ならば、それが可能であった。

 しかし、それももはや幻想になった。

 十数の矢が、一斉に放たれた。

「っ!」

 大気を切り裂いて飛翔するいくつもの矢は、一瞬にしてルクスの脇を通過した。視覚で捕捉できるものでもない。そもそも、剣によって拡張された感覚で捉えることができたところで、それだけではなんの意味もないのだ。

 矢は、セツナに殺到したのだろうが、ルクスにはそれを確認する暇はなかった。悔しさを噛み殺し、最後の跳躍によって騎兵と弓兵の部隊の下に辿り着く。

「遅い到着だなあ!」

 馬上の男が、勝利を確信した言葉を吐いてきたが、ルクスは、なにひとつ感情を揺さぶられるようなことはなかった。周囲の弓兵が恐怖に引き攣ったような声を上げたのも、どうでもよかった。ただあるのは、己への怒りだけだった。武装召喚師の護衛ひとつ満足に果たせない、無能な己への絶望的な怒り。

 ルクスは、剣を振るおうとした。瞬間、

「ドーレス隊長!?」

 弓兵のひとりが、慌てふためいたように馬上の兵士を振り仰いだ。騎兵は、なにやら自らの采配にでも酔っているのか、鷹揚にそちらに顔を向けた。兜のバイザーから覗く目が、ぎらぎらと輝いていた。

「なんだ?」

「目標に向かった矢が、すべて撃ち落されました!」

「――!」

 兵士の報告には、ルクスさえも驚いていた。もちろん、馬上の隊長もまた、驚愕に体を震わせる。

「な、馬鹿な!? ありえん! そんなことがあってたま――」

「あ~、そういえばそうだよ。あのひとがいるんだった」

 ルクスは、その場で飛び上がるのと同時にドーレス隊長とやらを重厚な甲冑もろとも切り捨てると、着地の瞬間に眼前にいた弓兵を透かさず袈裟懸けに斬り倒した。絶命である。悲鳴を上げさせることもなかった。

 もっとも、次の瞬間、背に乗せている男が斬られたことを把握した馬が、甲高い悲鳴を上げていたが。

「なんだよ、馬鹿馬鹿しい。最初から俺らが余計な気を回す必要なんてなかったってことじゃん」

 隊長の亡骸を乗せたまま駆け出した馬を見送りながら、ルクスは、長剣を軽く振った。刀身に付着した血液が、焼け焦げた地面に飛び散る。焼死体がないところを見ると、この辺りには兵士がいなかったらしい。

「ぐ~……。この怒りはどこへ向ければいいのだ……?」

 ルクスは、その怒りは己の失態から来たものであることなどすっかりと忘れて、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。周囲の弓兵は、いつの間にか消えていた。彼らの理性を辛くも繋ぎとめていた隊長が、目の前で斬り殺されたのだ。逃げ出したくなるのも無理はないだろう。

 とはいえ、兵士ならば、眼前の敵に矢を射掛けるか、近接戦闘を仕掛けるべきだとは想うのだが。

「ま、どうでもいいさ」

 ルクスは、そのときになってようやく後方を振り返った。焼き殺された兵士の亡骸の山の向こう側に、無傷のセツナと、それを取り囲む傭兵達の姿があった。そのさらに後方には、翼を広げた怪鳥とでも言うべき異形の弓を構えたままのファリア=ベルファリアの姿があった。

 彼女の弓から放たれた矢が、敵兵の十数の矢をすべて射落としたのだ。

「オーロラストーム……か」

 それが彼女の召喚武装であり、その力はガンディアの先王も一目置くほどだったというのだが。

「それなら、おまえも負けないさ」

 ルクスは、長剣を目の前に掲げると、慈しむようにその美しい刀身を見つめた。澄み切った湖面を想起させる青の刀身は、いまや《蒼き風》の象徴として語られることも多くなっていた。

 それはもちろん、ルクスが活躍するからであり、その活躍は偏に、この碧い長剣のおかげであった。

「そうだろう? グレイブストーン」

 青の剣が応えることはなかったが。

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