第二千六百九十八話 空中都市(九)
「天人と呼ばれるものたちがいた。翼を持つ彼らは、空こそ我らが故郷だと考え、空に還ることを望んだ。どれほど長いときをかけたのかはわからないけれど、彼らはやがて悲願を叶えることに成功する。空中都市群リオ・フ・イエンが完成し、空の一部を支配圏としたのさ」
「空中都市群リオ・フ・イエン……か」
話を聞く限りでは、セツナの脳裏に浮かぶのは、空中都のような岩塊の上に築かれた都市の集合体であり、それらが我が物顔で空を支配する様子が想像できた。そして、その空の楽園には、想像上の天使のような人間たちが高慢に振る舞っているのだろう、とも想像する。
遙か太古、いまや忘れ去られた時代の話。なにがあったとしても不思議ではない。
「天人に伝わることばで空の国を意味するそうだよ」
「空の国……ねえ」
「その空の国とやらはどうなったのですか?」
「さあ?」
「さあって」
「ここの記録を調べても、よくわからないんだよ」
彼は、結晶体の中で頭を振った。淡い光を帯びた青緑色の結晶体は、彼の神々しさをより引き立たせているように見えなくもない。
「リョハンは、リオ・フ・イエンの一部に過ぎなかった上、あるときを境にリオ・フ・イエンとの連絡さえ取れなくなってしまっていたからね」
「なんでまた?」
「制御機構の機能不全が起こり、全機能が停止、リョフ山頂に墜落したようだ」
「そういうことだったんですか……」
ファリアが、すべてに合点がいったといわんばかりにつぶやいたが、セツナも納得する想いだった。
「リョハンに乗っていた天人たちのうち、生き残ったものたちは、制御機構を修復し、再び飛び立つ日を夢見たようだが、それが叶わないと悟ると、リョハンの存在を隠そうとした。それには、山頂に直撃したことが功を奏したのだろうね。彼らはあらゆる技術を用い、リョハンを山に溶け込ませた」
「どうして?」
「そりゃあ、自分たちの技術が他の種族に盗まれれば、リオ・フ・イエンが大打撃を受ける可能性があるからさ。彼らは自分たちの存在すら、隠蔽した。死すらもね」
「……なるほどね」
ミリュウが納得したのは、彼女には、古代の記憶があるからだ。聖皇六将のひとりにして、彼女の祖先であるレヴィアが生きた時代の記憶。その記憶と照らし合わせても齟齬が生じないところを見ると、マリク神のいっていることは正しいということになる。無論、疑う余地など微塵もないのだが。
「でも、神通石が神威に反応するってんなら、天人たちも神様の力を借りていたってことか?」
「いいや。天人たちが利用したのは、精霊たちさ」
「精霊……? アマラのような?」
セツナが真っ先に思い浮かべるのは、やはりマリアと一緒にいる無垢な童女のような精霊の姿だった。精霊といえば、彼女という印象が強い。エスクも精霊のおかげで助かっているのだが、どうしても、我の強いアマラのほうが思い浮かんでしまう。
「そう。それも膨大な数の精霊を動力源として利用したようだよ、リオ・フ・イエン維持のために」
「そんな……」
「精霊を自分たちの欲望のために利用していたのは、なにも天人だけじゃないわ。すべての人間種族が、そうだった。だから世界の調和、均衡が崩れ始めたのよ」
「精霊を利用……か」
「精霊は、世界に満ちる力そのものよ。それがたまたま形を持ち、自我を得たものを精霊と呼ぶことが多いけれど、本当は姿形がなくても、世界中に満ちているわ。この空間にだって」
「そうだね。この空間にだって、精霊たちは満ちている」
「そうだったのか」
「へえ……知らないことだらけだな」
シーラが難しそうな顔をした。さっきから話についていけないとでもいいたげだった。そんなシーラに対しても優しく手を差し伸べるのがマリク神だ。
「空中都は元々、空中都市群リオ・フ・イエンの一部で、それがリョフ山頂に墜落し、何百年も沈黙していた、ということはわかってくれただろう?」
「まあ……それは」
「その眠っていた機能を呼び覚ますのには随分時間がかかったけど、間に合ってくれて良かったと心底思うよ」
「間に合って……?」
「それはいったい、どういう意味ですか?」
「言葉のままの意味だよ」
マリク神が神妙な顔つきになった意味については、ルウファが代わりに話してくれた。
「ネア・ガンディアの三度目の攻撃を受けるところだったんですよ」
「それを遙か上空まで逃げることで回避したってわけさ」
『三度目の……攻撃……!?』
セツナたちは、異口同音に驚愕するほかなかった。
ネア・ガンディアによるリョハンへの三度目の攻撃の可能性については、セツナたちも考えていたことではあった。
二度に渡って行い、しくじったネア・ガンディアのリョハン侵攻だが、彼らがそう簡単に諦めるものではないことは、想像に難くなかった。一度目の失敗で諦めず、二度目にはさらなる戦力を繰り出してきたのだ。その二度目も失敗に終わったからといって、それでおしまいになるとは考えにくいのだ。
なにせ、ネア・ガンディアのリョハン侵攻の目的がわからなかった。リョハンが武装召喚師の総本山であり、ネア・ガンディアにとって脅威となり得る、というだけでは、拘るほどの理由にはなり得ない。なぜならば、ネア・ガンディアの戦力を持ってすれば、リョハンなど風の前の塵の如く、吹けば飛ぶようなものだ。ネア・ガンディアには数多の神々が属し、神に近しい力を持つものたちも数多く存在する。それら戦力を大量投入すれば、それだけでリョハンは壊滅するだろう。
二度目の侵攻がまさにそれで、セツナが間に合わなければ、リョハンが滅び去ったとしても不思議ではなかったのだ。
ただ、ネア・ガンディアも、二度も失敗した以上、三度目となれば慎重に事を運ぶものと見ていたし、実際、すぐさま三度目の侵攻は起きなかった。セツナたちが帝国に行って戻ってくるだけの時間的猶予ができたのは、二度に渡る撃退の事実があるからこそだろう。
とはいえ、自分たちの留守を狙ったのだろう三度目の侵攻を聞かされたセツナたちは、肝が冷える思いだったし、気が気ではなかった。幸運にもリョハンの制御機構の起動に成功し、空を飛ぶことができたために第三次侵攻を回避するという手を取ることができたものの、もし、ネア・ガンディアと現状のリョハンが直接戦うことになっていれば、どうなっていたのか。
想像するだにぞっとしない。
ちなみに、山門街や山間市の住民がいなかったのは、ネア・ガンディアの第三次侵攻に際し、空中都に急いで移住させたからであり、そのため、生活感が残ったままだったようだ。そして、山門街や山間市の住民は、空中都の地上区画のほか、地下遺構に新たに作られた居住区に住居を割り当てられており、空中都に目立った変化がなかったのもそのためだ。地上にこそ変化はないが、空中都の地下は、以前と見違えるほどに変化しているという。
簡単にいえば、空中都の地下に山間市と山門街がそのまま移動したような、そんな空間が広がっているのだそうだ。
「気になるなら後で見て回るといい。ひとが住むに相応しい街を作ったという自負があるんだ」
とは、マリク神。
地下居住区の設計には、マリク神が関わっているということだろう。空中都市リョハンの複雑であろう機構を把握しているのがマリク神のみである以上、彼が陣頭指揮を執らなければならないのは必然といえる。居住区を広げるために余計なことをして、機能不全に陥っては目も当てられない。実際、彼が居住区を設計したからこそ、リョハンは空を飛び、ネア・ガンディアの侵攻を回避することに成功したのだ。
「でも、回避したっていうけど……諦めて帰ってくれたの?」
「まさか」
「はい?」
マリク神は、朗らかに微笑んでくる。
「ネア・ガンディアの連中は、ぼくらが降りてくるのを待っているだろうさ」
「それってつまり」
「君らには期待しているよ」
「……そういうこと」
セツナは、半眼になるのを抑えられず、彼を見遣った。
ネア・ガンディアは、諦めまい。たとえ攻撃の届かない空の彼方に逃げられたとしても、追いかけるなり、つぎの機会を待つだろう。迎撃し、完膚なきまでに叩き潰さなければならないのだ。
(いや、それでも駄目だ)
胸中、頭を振る。
脳裏には、レオンガンドの姿が浮かんだ。
聖皇の力、その器たる獅子神皇を討たない限り、ネア・ガンディアの侵攻を止めることはできない。