第二千六百九十五話 空中都市(六)
ルウファとグロリアのふたりによって空中都に導かれたセツナたちが目の当たりにした光景というのは、以前の空中都と然程変わらない情景であり、そのことがセツナたちにとっては安堵を与えるものだった。心の何処かで覚悟していたように、ネア・ガンディア軍による三度目の攻撃を受け、全滅したようなこともなければ、半壊さえもしておらず、まったくの無傷といっても過言ではなかった。
夜ということもあり、道行くひとびとの姿こそほとんどないものの、中にはファリアの姿を目の当たりにして、戦女神の帰還を知り、感動するものもいたし、彼女に深々とお辞儀するひとたちも少なくなかった。
そういった光景を目の当たりにすれば、心配したことが馬鹿らしくなるくらいだったが、ファリアが心底落ち着きを取り戻したことには素直に喜んだ。リョフ山から空中都が消滅していることを知り、彼女がどれほどの衝撃と絶望を味わったのか、想像しようもない。
そんなファリアにとって、空中都が空に浮かんでいることなど、些細な問題だったに違いなく、空中都がそこにあり、どうやらリョハンのひとびとがまったくもって無事であるらしいという事実ほど嬉しいことはなかったに違いなかった。
「空中都が浮いていることについてはともかく、山門街や山間市にひとがいなかったのは、どういうことだ?」
「それも追って説明しようかと想いましたけど、まあ、皆無事だということは伝えておきますかね」
「皆無事、なのね?」
「ええ。リョハン市民、だれひとり欠けていませんよ」
ルウファが胸を張って断言すれば、ファリアは心底ほっとしたようだった。
「だれひとり……」
「良かったー」
「本当に……」
「どこかに避難した……ってわけでもなさそうだな」
「もちろん」
ルウファが当然のようにうなずく。
「どこかに避難したんじゃ、無事かどうかも確認できないでしょう」
「そりゃあそうだ」
彼の説明ももっともだ。だれひとり欠けていないと断言できるということは、リョハン市民がひとり
残らずこの空飛ぶ都市のどこかにいるということだろう。しかし、先もいったように空中都の外観に大きな変化はない。家屋の数が増えているわけでも、増改築が行われているわけでもない。となれば、考えられるのは、この巨大構造物の内部に居住区画があるのではないか、ということだ。
山間市は、リョフ山中の空洞に作られた居住区だった。それと同じように、この空飛ぶ都市の内部に広大な居住区が作られたのだとすれば、空中都が表面上、なんら変化がないことにも納得がいく。そしてそれは、空中都のみならず、その周囲一帯を含めた広大な領域がひとつの塊となって空に浮かんでいる理由にもなるのではないか。空中都以外のリョハン市民を一カ所に集めるため、このような巨大な岩塊の如き物体になったのではないか。
そんな想像を膨らませているうちにルウファとグロリアのふたりが、なにやら建物の前で足を止めた。それなりの規模の建物ので、その門前には護峰侍団の隊士たちが警護している。いかにも重要施設とでもいいたげな雰囲気のその建物は、空中都の中心から大きく外れた場所にあり、そのことが不思議でならなかった。
セツナは、ルウファたちにマリク神の居場所まで案内されているつもりだったからだ。マリク神といえば、空中都の中心に聳えた監視塔の頂に住んでいるという印象が強い。監視塔からリョフ山を覆う結界を張り巡らせつつ、リョハン全体を見守っているのが彼の神としての役割だったからだ。だのに、ルウファとグロリアはその建物へ至ると、護峰侍団の隊士たちに門を開けるように命じた。隊士たちは、素直に応じつつ、ファリアとミリュウ、そしてセツナのリョハンへの帰還を認め、大いに反応を示した。中には歓喜に打ち震えるものもいた。
そういった反応を見れば、ファリアが“大破壊”より二年余り、リョハンに在って為してきたことの意味というのがはっきりとわかるというものだろう。リョハンのひとびとの精神的支柱として、なくてはならないものだったのだ。
それは、彼女が、リョハンを離れ難かった理由でもある。
「ここは?」
「まあ、着いてきてくださいよ。すぐにわかりますから」
ルウファは、結論を急がせなかった。むしろ、セツナたちを焦らすことに喜びを感じているのではないかと想うくらい、彼ははぐらかし、答えないのだ。セツナたちがそのことに不満を持っても、いまは彼に従うほかない。グロリアも、ルウファと同じらしいのだ。
門を潜り抜け、敷地内に入れば、護峰侍団の隊士たちが何人もいた。彼らはいずれもファリアの姿を見るなり、最敬礼でもって彼女を迎え入れ、戦女神の帰還を全身で喜んだ。ファリアもそんな彼らに応えながら、ときに涙ぐんだ。リョハンが無事だったことは、ファリアにとってこの上なく感動的なことなのだ。そんなファリアの手を握るミリュウの横顔は、いつになく、優しい。
外観は、空中都のどこにでもあるような建物だ。つまり、古代遺跡を何度となく改修、あるいは補修を繰り返し、だましだまし使っているような建物のひとつであり、悠久の時の流れと古代の建築技術の凄まじさを感じさせる代物だということだ。
その建物の扉を通り抜ければ、まっすぐに伸びた通路があり、通路の先には広間があった。広間へ至る間も、広間にも、何人もの護峰侍団隊士が立っていて、いずれもがファリアに目を留めた。そして、だれもが戦女神の帰還を喜んだ。
それよりもセツナが気になったのは、広間の中心ある小部屋のことだった。小部屋は円筒状で、両開きの扉がついている。扉の隣の壁には、小さな板が張り出ている。ルウファがそれを触ったところを見ると、操作盤のようだった。すると扉が開き、ルウファとグロリアがセツナたちを小部屋に入るよう促す。
「なんなの、これ?」
「まあ、乗ってください。俺たちも一緒に乗りますから、ご安心を」
「なにも怖くはないぞ。少々、狭いがな」
「確かにこの人数だと、ちょっと窮屈かもですね」
小部屋は、ふたりのいうとおり、セツナたち六名に加え、ルウファ、グロリアの二名を加えた八人では、多少どころかかなり手狭に感じる空間だった。だが、そこに入らなければ話が進まないというのであれば、致し方がない。セツナがまず最初に乗り込むと、ミリュウが飛び込んできた。
「だいじょうぶよ、あたしたち、セツナにくっつくの苦じゃないから」
「そういう問題か?」
「そういう問題じゃないの?」
「そうでございますね、御主人様に抱きつけば、狭さも苦ではありませんね」
「そ、そうだな」
「はい」
ミリュウに続き、レム、シーラ、ウルク、さらにはファリアにまで抱きつかれるような形になって、セツナはなんともいえない息苦しさを覚えたが、なにもいえなかった。続いてグロリア、ルウファが乗り込んでくると、小部屋は満員といっても過言ではない状態になった。ルウファが小部屋内側の壁にも存在する操作盤に触れると、扉が閉じた。
(この構造……)
セツナは、小部屋の外観や内部構造にどうにも見覚えがあることに気づいた。この小部屋は、エレベーターなのではないか。だとすれば、地下に降りていく以外にはないのだが、エレベーター独特の浮遊感とも違和感ともいうべき感覚は、なかった。
昇降機そのものは、ウルクナクト号にも存在する。ウルクナクト号は三層構造であり、もちろん階段を用いることも出来るが、昇降機を利用することで上層から下層まで一気に移動することが可能だったり、階段を用いるよりも楽であるため、だれもが利用していた。
ウルクナクト号が空を飛ぶのと同様の機構であるならば、ウルクナクト号と同じように空を飛ぶ空中都にも、昇降機が存在していてもなんら不思議ではない。
「これって昇降機よね?」
「そうみたいだな」
「いったい全体、どういうことなの」
「それをマリク様に聞くんだろう」
「そうだけどさ」
なんだか釈然としないとでもいいたげなミリュウだったが、そんなことを言い合っている内に昇降機は目的地に辿り着いたらしい。
扉が開き、グロリアとルウファが降りた。
そして、セツナ一行を招き入れる。