第二千六百九十三話 空中都市(四)
空中都は、リョフ山の頂にあったはずの居住区だ。
リョフ山の頂に古くから存在した遺跡を利用しており、ほとんど多くの建物が改修や補修をされながら使われていた。新たに建築された建物もなくはないのだが、決して多くはなかった。つまり、遺跡を住居として転用するだけで事足りるほどだった、ということなのだろう。
そんな空中都へは、リョフ山の山中を貫く山道を通って行けば、迷うことなく辿り着くことができる。山門街から山間市へ、山間市から空中都へ至る山道は、主山道さえ通れば一本道なのだ。リョフ山内には無数の副山道と呼ばれる道があり、迷宮のように複雑に入り組んでいるのだが、それは、リョフ山が攻め込まれたとき、住民が逃げ隠れるための道だったり、敵を誘い込み、迷い込ませる道だったり、攪乱するためのものだったりする。
知ってさえいれば、主山道を使えばよく、迷走することはないのだ。
その主山道を通り、セツナたちは空中都があったはず頂を目指した。
しかし、山間市から山頂へと至る主山道は、ある程度進んだところで通行止めになっていた。
「これは……いったい」
「どういうこと? どうなってんの?」
「なによ……これ……」
だれもが混乱したのは無理もなかった。
山頂に至る主山道の中程まで来たセツナたちが目の当たりにしたのは、巨大な空白だったのだ。まるで広大な空間ごと綺麗に抉り取られたかのような大穴が山道を切り裂き、山道の先の空間も切り取っている。なにもないのだ。山道だけではなく、そこから先のすべてが綺麗さっぱり失われている。そして、暗闇の中、星明かりが雨のように降り注ぎ、露出した山肌を淡く照らし出していた。吹き抜ける夜風は凍てつくほどに冷たく、リョハンの寒さを思い出させるようだった。
船内で見たリョフ山の様子を思い出して、ようやく合点がいく。リョフ山から空中都付近一帯が削り取られるように消失していたのだから、山道の途中からなにもかもが失われていたとしても、なんら不思議ではなかった。
「じゃ、じゃあ……空中都は、どうなったの……?」
「消滅した……の?」
ミリュウが愕然と天を仰ぎ、ファリアがその場にへたり込む。山中を貫く主山道からは本来見えないはずの星空が頭上から数多の光を降り注がせ、感じることなどありえない夜風が肌を包み込んでいく。それが無情なまでの現実を伝えるようで、ファリアには堪えたのかもしれない。
「待て、落ち着けよふたりとも」
「そうでございます。まだそうと決まったわけではございませぬ」
「で、でも、なにもないのよ? なにもかも、なくなっているのよ!?」
ファリアが叫ぶのも無理はなかった。
主山道の先にあったのは、絶望的な光景でしかなく、希望などどこにも見当たりはしないのだ。主山道に生まれた空白は、なにか強大な力によって切り裂かれたとしか考えられない爪痕であり、それは、空中都がなにがしかの攻撃を受けて消滅した可能性を示唆していた。
しかも、リョハンが攻撃を受ける可能性は、十二分にあるのだ。ネア・ガンディアが二度に渡ってリョハンを攻撃したという事実があり、つい先日、ネア・ガンディアがザルワーン島、ログナー島の本格的な制圧に乗り出したという現実がある。三度、リョハン侵攻のため、軍勢を差し向けた可能性は皆無とは言い切れない。それも、第一次、第二次以上の戦力を差し向けてきたとなれば、マリク神と武装召喚師たち、ケナンユースナル率いる竜属では守り切れないだろう。
第二次ですら、セツナがいなければどうなったものか。
「みんな……死んじゃったの……?」
「そんな……そんなこと……お母様」
「ファリア……」
セツナは、こんなとき、彼女になにもいってやれない自分に腹が立った。山道に座り込み、茫然となにもない空間を見遣るファリアは、見るからに打ち拉がれている。そんな彼女の心の支えとなることさえできない。セツナ自身、衝撃を受けているし、混乱の真っ只中にいるというのもあるだろうが、それにしたって、もっと言い様はあるはずだ。とは想うのだが、しかし、この絶望的な現実をねじ曲げるような力ある言葉など、存在するものだろうか。
目の前の現実から目を背けさせることなど、できるわけもない。
現実として、リョハンの空中都は消滅し、山道の途中から抉り取られたように消え去ってしまっている。この事実を覆すような情報でもない限り、ファリアを立ち直らせることなどできないのではないか。
リョハンは、ファリアの故郷であり、空中都にはようやく解放された彼女の母親がいた。祖父もいたし、親族も多くいただろう。顔見知りとなれば、もっと多い。それらがすべて失われたとなれば、その絶望たるや凄まじいものとなるはずだ。
かける言葉も見つからない。
すると、不意にウルクが声をかけてきた。ファリアを気遣っているのだろう。小声だった。
「セツナ」
「なんだ?」
「周囲を調査してみたところ、奇妙な形跡を検知しました」
「奇妙な形跡?」
「はい。ウルクナクト号やネア・ガンディアの飛翔船から検知されるものと同種の波形、その形跡が周囲一帯から検知できるのです」
「うん?」
「つまり、どういうことだ?」
「わかりません」
セツナとシーラ、レムはウルクの説明に首を傾げるほかなかった。飛翔船と同種の波形といわれても、それがなにを示すのか、まったく想像がつかない。飛翔船がなんらかの波形、波長のようなものを発しているということさえ、知らなかったのだ。突然、そのようなことを言い出されても、混乱するだけだ。そして、ウルクがそういった波形を調べられることも知らなかった。
「ただ、これらの傷跡は、なんらかの攻撃の結果によって生じたものではないと考えられる、ということです」
ウルクの補足説明は、希望を見出すには十分過ぎる力を持っていた。
「え……?」
「攻撃の爪痕じゃないってこと?」
「だとしたら、なんなんだ? そもそも、飛翔船から検知される波形って……」
『神威だろう。この船の動力は、神威にほかならない。ただし、純粋な神威ではない。船の動力へと変換された神威は、特殊な波となる』
腕輪型通信器から聞こえてきたのは、マユラ神の声だった。マユラ神は、通信器越しにこちらの会話を聞いてれていたのだろう。
『そして、その特殊な波こそ、この船のあらゆる機構の動力源となり、船を空に浮かばせる力となる。頭上を見よ』
マユラ神の発言によって、セツナたちは一斉に頭上を仰いだ。主山道に穿たれた大穴から覗くのは、満天の星空だ。空気の綺麗さ故、どこまでも見通すことのできる夜空の中、膨大な数の星々が瞬いている。さながら、無数の宝石をちりばめたが如き光景だった。そんなものを見せて、どうするというのか。
「え……?」
「なに……?」
『おまえたちの目には見えぬか? あれが……』
マユラ神は、どこか呆れたような声でいってきたのだが、セツナは最初、神がなにをいっているのかまったく理解できなかった。しかし、目を凝らしているうちに、マユラ神がなにを指し示しているのか、なぜ空を見ろといったのかがわかってきた。
「あれ……」
「あれって……いったい」
「なに……なんなの……?」
「あれは……」
だれもが口をあんぐりと開けて、それを認識した。
莫大な数の星々が瞬く夜空だというのに、視界の中心近くに黒い点があるのだ。それは最初、黒い点とも認識できないほどに小さく、存在感も薄いものだったが、時を経るに連れて、大きくなっていっており、主張を強めていた。
「巨大な構造物のようですが……確かに飛翔船と同じ波動を発しているようです」
「浮かんでるってこと? なにが……」
「まさか、空中都……!?」
ファリアが愕然と声を上げる中、それは、ゆっくりと降下してきているのがわかった。
そして、地上に近づくに連れ、夜の闇に覆われていた全容が星明かりに曝され、明らかになっていく。