第二千六百九十一話 空中都市(二)
中央ヴァシュタリア大陸を北へ。
ウルクナクト号の空の旅は、順調としか言い様がないものであり、セツナたちは、ただ船内で到着を待ち続けるだけで良かった。空飛ぶ船に敵が押し寄せてくるようなこともなければ、なにがしかの障害物があるわけでもない。この変わり果て、混沌とした世界において、空ほど安全な場所もないのだ。
地上ならば、そうはいかなかったかもしれない。
そのおかげでゆっくり休むことができるのだから、なにもいうことはなく、セツナたちはじっくり休養することになんの不満もなかった。特にセツナは、マユラ神のいった通り、先の戦闘行動に於ける消耗と疲労が激しく、まずは回復に専念するべきだという神の助言に従うべきだったのだ。
とはいえ、船内の空気感がだらけきるようなことはなく、むしろ緊張してさえいた。
ネア・ガンディアの本格的な侵攻は、なにもザルワーン島のみを襲ったわけではないことが明らかになったからだ。ログナー島も、ネア・ガンディアの飛翔船団による侵攻を受け、制圧されたという。その情報を持ってきたのは、ラムナシアによってログナー島に差し向けられていたドラゴンたちであり、それらドラゴンたちは、ログナー島からネア・ガンディア軍を撃退するのが困難であると悟ると、速やかに撤退、ラムナシアとの合流を目指したのだ。そして、つい数時間前、ウルクナクト号に追いついた彼らによって、ログナー島の現状を知ることができたわけだ。
ネア・ガンディアの話題となれば、緊張せざるを得ない上、空気が重くならざるを得ず、セツナは、極力、その話題を続けないようにした。
ネア・ガンディアの指導者がレオンガンド本人であることには触れたが、深くまで言及しなかったし、現状、セツナがどのように考えているのかも、あまり語ってはいない。ファリアやミリュウもそのことが気になっているようだが、彼は、レオナがいる前では、レオンガンドのことについて話そうとは想わなかった。リョハンにつけば、説明する機会も生まれるはずだ。
そのときには、今後の方針や目的についても話さなければならないだろう。
だが、そんなセツナの想像を超えた事態が、待ち受けていた。
『諸君、至急機関室に来たまえ』
マユラ神による緊急の通信が入ったのは、セツナたちが広間で寛いでいるときであり、その瞬間、その場にいた全員が顔を見合わせた。そして、すぐさま部屋を飛び出すと、マユラ神の待つ機関室に向かった。
機関室に飛び込むと、マユラ神は難しい顔をして、待ち受けていた。
「なにがあったんです?」
「そうよ、なにがあったのよ、マユラん」
「そうだそうだ」
「……これを見よ」
マユラ神は、セツナたちの質問の嵐に辟易するようにして、頭上に映写光幕を展開した。大きな光の幕には、すぐさま外の風景が映し出されたのだが、それは、どう見ても遠方から捉えたリョフ山の様子だった。天高く聳え立つ峻険は、世界最高峰の山であるというが、確かにいままでリョフ山に並び立つほどの山を見た覚えはなかった。
「リョフ山がいったい……って、ああ!?」
「なによ、これ……?」
「どうなってんの!?」
皆が皆、映写光幕に映し出された異常事態に気づくと、声を荒げざるを得なかった。リョフ山を見たこともないウルクやネミアにはなにがなんだかよくわからないことだろうが、セツナたちには、リョフ山に起きている異常事態がはっきりとわかるのだ。
「嘘でしょ……?」
ファリアが愕然とするのも当然だった。
リョフ山の頂が綺麗さっぱり、消えてなくなっていたのだ。空中都市リョハンの代名詞ともいうべき都市区画空中都およびその周囲一帯丸ごと、消え去ってしまっている。
「な、なんで空中都がなくなってるのよ……?」
「ほ、ほかの区画は無事なんですか?」
リョハンと深い関わりを持つものたちが取り乱す中、マユラ神がもうふたつの映写光幕を展開した。そのひとつには、無傷の山門街がはっきりと映し出され、もうひとつには山間市と山道の出入り口が投影される。その様子を見る限り、山間市も無事ではあるらしい。ただ、山門街の映像には、違和感を禁じ得なかった。まるで録画映像を停止しているかのように、時が止まっているかのように変化がないからだ。
「山門街も山間市も無事……空中都だけ、なくなったってこと? どうして……?」
「そんなこと、ありえるの? 空中都には、マリク様がいたのよ? 一番、護られていたんじゃないの?」
ファリアやミリュウが混乱するのも無理のない話だった。特にファリアは、自分が生まれ育った故郷であり、“大破壊”以来二年ほど戦女神を務めていた地でもある。だれよりも思い入れがあるのだ。その都市がまるごと消滅しているとなれば、その衝撃たるや想像もできない。その様子を見た瞬間、発狂したとしてもおかしくはなかった。それでも冷静さを失わずに済んでいるのは、ファリアだからこそ、だろう。
「おかしいのは空中都が消えたことだけじゃないみたいだけどな」
「え……?」
「どういうことよ」
セツナは、その疑問には応えず、マユラ神を見遣った。
「マユラ様、船をリョハンの近くに降ろしてもらえますか」
「まだしばらくかかる。待っていろ」
マユラ神にうなずき、映写光幕に視線を戻す。
映し出された山門街の様子には、なんの変化もない。昼間だというのに、建物の外に出ている人間がひとりもいないのだ。リョハンにおいて、そのようなことがあるはずもなかった。リョハンは、ミリュウがいったようにマリク神の庇護下にある。マリク神の守護結界があればこそ、リョハンのひとびとは安心して日々を謳歌できていた。子供たちが遊び回る光景など、空中都でも見られたものだ。
それが、見受けられない。
だれもが屋内に閉じこもっているのか、それとも、別の理由があるのか。嫌な予感がしないはずもなく、セツナは、厳しい顔になるのを認めた。最悪の事態を想定しなければならなかった。
「そうだわ。ユフィなら」
「彼女がなにを知っているっていうのよ」
「ケナンユースナル様にリョハンの護りを任せたっていっていたもの。ユフィの元になにかしらの情報が入っているかもしれないでしょ」
「なるほど」
ミリュウは納得したものの、ファリアの期待は、ラムレシアにも状況が理解できないという結果によって打ち砕かれた。
ラムレシアも、先行した飛竜たちがもたらした情報によってリョハンの状況を認識していたのだが、リョハンになにが起こっているのか、まるでわからないのだという。なぜならば、リョハンの防衛につかせたケナンユースナル率いる飛竜たちが影すら見当たらず、飛竜たちから情報収集を行うこともできなかったからだ。
「これではお手上げだ」
ラムレシアは、ファリアの役に立てないことに肩を落としていたが、そんなラムレシアに対し、ファリアこそ気を遣った。ふたりの間には、親愛の情がある。
だが、一方で、ファリアは気が気ではない様子だったし、セツナは、そんな彼女の心の支えになるべく、常に寄り添った。リョハンは、彼女の生まれ故郷であり、大切な場所だ。これまでヴァシュタリアの侵攻にも不敗を誇り、“大破壊”を回避し、二度に渡るネア・ガンディアの攻撃も撥ね除けてきた都市が、なんの前触れもなく消滅するなど、考えられることではない。もちろん、長い間リョハンを離れていた以上、前触れもなにもあったものではないのだが、ファリアの心情としては、そんなことはどうだっていいことだろう。
彼女は、いまにも壊れそうなほど、追い詰められているように見えた。